第81話静寂な世界、一握りの出来心

今この世界はアイリーシャとアルベルトの異分子を除けば時間トキが止まっている。

その対象は枝から飛び立とうとしている小鳥、風になびく草木、澄んだ青い空、掴めそうな積雲、そして太陽にも及ぶ。


アイリーシャはダークウルフを拘束すために時間トキを止める魔法を初めて使った。

前世でも経験のない初めての魔法だったためその時は風景を見る余裕はなかった。


しかし今回は美しい世界が目に飛び込んできたのだ。

静寂に包まれた音のない世界はなんとも色鮮やかでその美しさに魅了される。

アイリーシャは目を輝かせてつい本音を漏らした。


「凄い…芸術作品みたい」


もちろんアイリーシャもこんな悠長なことを抜かしている場合でないことは重々承知している。

するとアイリーシャのこと以外で滅多に心が躍ることのないアルベルトは淡々と言葉を落とす。


「アリス、時間いいの?」


「あ、そのぉつい気を取られてしまいました。でも私もやるべきことは解っています。」


アイリーシャは自分の浮ついた心をアルベルトに見透かされていることに気が付き居た堪れなくなりつい早口で答えた。


早速アイリーシャはルチアーナに触れないように姿ウィルアムズの肩に手を置いた。


やはりウィルアムズもすぐに覚醒することはなかった。

アルベルトの時は焦ってしまったが今回は動揺することはない。


アイリーシャは呼吸を整えウィルアムズが負った患部に手をかざした。


「”再生リバース”」


アイリーシャが呪文を唱えたかと思うとなんと一瞬で背中の傷が消えていった。

しかも裂けて血が付着していたドレスさえもケガをする前の状態に戻っていたのだ。


アルベルトはアイリーシャの魔法に目を奪われただ黙って見ていた。


アイリーシャが使ったのは治癒魔法ではなく再生魔法というものだった。ケガを治したのではなくケガをする前の状態に戻したのだ。


魔法が成功したことを確認したアイリーシャは再びウィルアムズの肩に触れた。

するとようやくウィルアムズが覚醒したのだった。


ウィルアムズとアルベルトは事前に打合せしていたのでこの状況は理解している。

静止している世界を前にしても動揺することなく落ち着いた様子だった。


だが姿ウィルアムズは訝し気な顔をしてアイリーシャに向かってこう尋ねた。


「君はアイリーシャ嬢だよね?」


アイリーシャは姿ウィルアムズにそんな質問を投げられとても妙な気分だった。

傍からみれば姉妹が向き合って会話をしているように見えるのだが…


「はい?間違いないですわ。」


「なるほどこれは見事に羽化したんだ。うーん?ある意味詐欺レベル的な…なるほど。」


《羽化?詐欺?》


アイリーシャは自分が姿ではないことを思い出した。


「この姿で会うの初めてでしたね。事情があり見目が変わってはおりますが、アイリーシャ・ポーレットです。以後、お見知りおきくださいませ。」


「ああ、承知したよ。」


「オイ、間違いなくアイリーシャだ。ウィルアムズ頼むからアイリーシャの姿でその声は勘弁してくれないか?非常に気分が悪い。」


ウィルアムズは先ほどから地声で話をしていたのだ。

そして何故かアルベルトは当然のようにアイリーシャの後方から抱き着いた。

アイリーシャは必死でアルベルトを引き剥がそうとしたが力及ばずアイリーシャは仕方なく身を預けたのである。


ウィルアムズは二人のやりとりを気にする様子もなく返答をした。


「ああ、僕もこれでは動き辛い…作戦通り解除するよ。」


ウィリアムズはパチンと指を鳴らすと本来の姿に戻った。


しかしウィルアムズはレースやリボンの付いたドレス姿だったのだ。

今回身につけていたドレスは洋裁魔術師によって作られたものである。

そのため変身魔法を解いても衣装はウィルアムズの体に合うサイズになっている。


アイリーシャは超美男子であるウィルアムズのドレス姿に目を輝かせていた。


《すっ凄い!何故か悪くないわ》


「アリスダメだよ。」


その言葉と同時にアルベルトはアイリーシャの両目を手で覆った。


「なっ、何でですか?」


「危険だからこれは目にしてはダメだ。」


アイリーシャは危険とは何なのか見当もつかずに変な応答になった。


「はひぃ?」


「危険とは失礼だな。僕のドレス姿もありだと思うけど着替えるよ。」


「ん?お召し変えは魔法ではないのですか?」


「着替えくらいでは使わないよ。今後もどうなるか読めない。もし魔力切れでも起こしたら危険だろ?」


「その通りだ。魔力を温存しておく必要がある。」


何でもかんでも魔法を使っていてはウィルアムズ様でもやはり魔力が足りなくなってしてしまうのだ。

そして今からマリアが何を仕出かすのかわからない状況である。


「なるほど、私の考えが及ばずに申し訳ありません。」


アイリーシャの目からアルベルトの手が離れたかと思うと体をくるりと反転させられた。

「絶対に見てはいけないよ」と釘を刺され今度はアルベルトの胸に顔を埋める羽目になった。


《いくら元々仲の良い兄妹といえどもウィルアムズ様の前でこんな過剰に接触して大丈夫なのかしら??》


視界が塞がれているアイリーシャには見えてはいないがウィルアムズは魔道具であるコンパクトな収納袋から衣服を取り出した。


ウィルアムズは着替えながらアルベルトと言葉を交わす。


「僕の上半身を見るくらいなら構わないだろ?」


「はあ?ウィルアムズは見られても平気だろうがアリスには刺激が強すぎる。」


「ふーん、てっきりアルベルトの着替えで慣れているかと思ったよ。」


ポーレット家うちはそういうのに厳しいんだ。私の肉体からだも見せてないのに何故わざわざウィルアムズのを見せる必要があるというんだ?」


「アルベルト、君ってやはり面倒な感じだな?」


「他人に自分を理解されなくても結構だ。」


「しかし今はルチアと婚約関係にあるんだろ?なら節度ある行動をとるべきじゃないか?流石に目に余るぞ…」


「そこは最後まで見て見ぬふりして欲しかったな…」


ウィルアムズはアルベルトの『例え羽があろうと籠から逃がすつもりはない。』という言葉を思い出して笑いを堪えながら答えた。


「ああ、どう見ても妹に接しているようには見えないからね。令嬢に塩対応のアルベルトはどこへいったやら…」


ウィルアムズはアルベルトと執着する相手が相違であることに安堵したのだった。

するとウィルアムズの身支度が整ったタイミングで静寂に包まれていたこの世界に音が響いた。


”ピキッ”


この音は時間トキを止めた世界がもうすぐ終わる合図だ。


「お兄様、もうすぐ時間です。」


「ウィルアムズ、予定通り頼んだ。」


「ああ」


「ウィルアムズ様、ルチアーナ様をよろしくお願いします。」


「ああ、喜んで」


アルベルトは腕の中にいるアイリーシャを強く引き寄せて転移魔法を使った。


アルベルトとアイリーシャは無事に魔法陣に戻って来たのだった。

アイリーシャがアルベルトの腕から抜け出そうとするとただでは逃してはくれなかった。


「もぉお兄様、さっきもウィルアムズ様に注意されたばかりですよ。」


「知ってる」


「だったら何で?」


「うん。我慢するからその前にアリスを補給させて」


「ん?」


アルベルトは人差し指を自分の頬に当てさもここにとキスをお強請りしている。


「してくれたら私の魔力が回復するだろう?」


言われてみればアルベルトはダークウルフの拘束や転移や防音壁を作ったりと魔法を使いっぱなしだった。


《確かに…》


「でも頬にですよ?」


前世の記憶を辿ると回復系の能力を持った魔法使いが他人の魔力を回復させるときには接触キスとういう手段が手っ取り早い方法だったのだ。かと言って聖女システィーナはこの方法は使っていなかった。

しかしアルベルトはこの方法を知っていたらしい。

もちろんこれは回復魔法を発動させて行う必要があり単なる接触キスではない。

それに術者の唇が接触する場所は唇でなくとも手の甲や指や瞼でも構わないのである。


アルベルトはアイリーシャにしか見せないであろう極上の甘い笑顔で頷いた。


「うん」


アイリーシャはそんな笑顔に動揺を隠しきれない。


《反則とも思える笑顔でしかも『うん』だなんて…お兄様ズル過ぎる》


何度も言うがアイリーシャはアルベルトの顔がドストライクである。アルベルトの関係性や気持ちうんぬんを知ってからどうも平静を保てない。


だがそんなアイリーシャをよそにアルベルトは何食わぬ顔でアイリーシャの口元に頬を近づけて来たのだ。

アイリーシャは自分だけがドキドキしている気がしてならなかった。


だから何となく悔しくてアルベルトの唇を奪ったのだ。

頬へのキス待ちで目を瞑っていたアルベルトはアイリーシャの唇が重なると聞いたことのないセクシーな声を出した。


「あ…ぅん」


そしてアイリーシャが唇を離すとアルベルトは何とも驚いた顔をして目を見開いた。

しかもアルベルトの顔は赤く染まりとても動揺しているようだ。


「アリス?え?」


あのアルベルトが挙動不審になりながら首に手を当ててアイリーシャと目を合わせようとしない。


アイリーシャはアルベルトの反応にご満悦であった。


《お兄様!その反応、可愛い》


アイリーシャがなんとも締まりのない顔をしていると急に”パリーン”という大きな音が響いた。


すると言うまでもなく世界は一斉に動き出したのだ。

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