第78話悪女はそれを理解する

マリアは大きな溜息をついた。

何故なら目の前の光景は自分の思い描いていたものとはかなり異なっていたからだ。


“パチン”いう音がするとアイリーシャの姿がウィルアムズになったのである。


あまりにも衝撃的で一瞬頭の中が真っ白になった。


《はあ?》


マリアは想定外の出来事を必死になって考えた。


まさかウィルアムズがアイリーシャになりすましていた?

変身魔法は高度なため誰でも容易く出来るものではないが魔術が得意なウィルアムズなら可能だ。


《まんまと騙されたの?》


だがその考えはマリアの中で打ち消された。


もしもウィルアムズがアイリーシャに変装していて元の姿に戻ったとしたならケガを負っているはずだ。

しかしウィルアムズから血の臭いがしないためそれはおかしいと思ったのだ。


確かにマリアはたった数分前にルチアーナの腕の中のアイリーシャの背中の傷を自分の目で確認したのだ。


《間違いなく傷口から血が滲んでいるのを見たもの…》


いっそのこと目の前のウィルアムズの背中に傷がないか服を脱がせて確かめたいところだがさすがに無理な話である。


もしアイリーシャに変装していたのがウィルアムズならケガの手当てを施してあることになる。

そうなると時間を止めでもしない限り無理な話である。


しかし時間を止めることはあり得ない。

喩えどんなに優れた魔法使いでも時間を止めることは不可能とされている。

過去に偉大なる魔術師と讃えられた人物でさえ成し得なかったことなのだ。


ただ”時空の女神”の寵愛を受けたものにその力が与えられることがあると言い伝えがある。

しかしそれは非現実的な御伽話の世界の話で夢のまた夢だ。


つまり結論からすると時間を止めることは誰にも出来ない。

マリアはウィリアムズがアイリーシャに変装していたという可能性は排除したのだった。


だからこれはきっとルチアーナを心配したウィルアムズが隠れて様子を窺っていたと考えた。


《それ以外考えられないわ》


それにのダークウルフは爪には毒を持っている。

毒といっても一時的に身体が麻痺して動けなくなるのだが…

もしウィルアムズが本当にケガをしているのなら動けないはずだがそんな素振りは微塵もない。


きっと身の危険を感じたアイリーシャが自身で転移魔法を発動させたのだろう。

その後にウィルアムズがアイリーシャと入れ替わったかのように転移したと考えた。


マリアはまるで舞台演出のように派手に登場したのは注目されるのが好きなウィルアムズらしいと変に納得したのだ。


アイリーシャ自身が転移魔法を使えるのかはわからないが今はそこは重要ではなかった。

マリアの目的はアイリーシャのだ。



マリアは早朝にデリックを使ってアイリーシャに手紙を届けた。

ミラのことで大事な話があるためルチアーナと一緒にミラのいる療養施設まで来て欲しいと綴った。

またルチアーナ以外の同行は避けるようにと念を押しておいた。


マリアはデリックが昨晩アルベルトに相談したことは計算通りである。

きっと優しいデリックなら婚約者マリアの破滅を止めるため何らかの行動を起こすと知っていたのだ。


そして魔物の召喚は二人を脅かすつもりだった。

マリアはルチアーナとウィルアムズの二人に個人的な恨みがあるわけではない。

だが運悪くマリアはバックフェル家とマグリット家の婚約騒動に巻き込まれたのは事実だ。

だからほんの少し二人の困った顔を見てみるのも悪くないと考えた。


《嘘?こんなはずじゃなかったのに…》


マリアの知るルチアーナは令嬢のお手本のようにお淑やかだった。

血は苦手だと本人の口からも聞いたことがあった。

そしてミラが自殺を図ったと聞いただけで気を失って倒れたのは昨日のことである。


しかし目の前のルチアーナはひとつ目蜘蛛やダーククロウという魔物を見ても泣きも嘆きもしない。

それどころか彼女は勇ましくウィルアムズと共に戦っている。


そんなつもりはなかったのにルチアーナとウィルアムズが戦闘モードに突入したため引くに引けなくなったのだ。


《何で?戦闘経験なんてないはずでしょ?》


ふっと先ほどウィルアムズが発したセリフが気になった。


『…ルチアーナを甘く見ていた…』


そうマグリット家の血を強調する口ぶりだった。


マリアはその言葉の意味を理解しようと考えを巡らせた。

そしてある出来事を思い出した。

確かに一度だけルチアーナが血を見ても動じなかった日があったのだ。いつもなら血を見ると顔色が青ざめていたはずだ。

だがその時のルチアーナは毅然とした態度でケガをしたクラスメイトに「大丈夫ですか?」と声をかけていた。

もちろんいつもと違うルチアーナに違和感を感じたが、その日限りのことだった。

だからきっとルチアーナがその日は無理をしたのだろうと解釈したのだ。


だがしかしよくよく考えてみると…


マグリット公爵家は代々戦いに優れた魔法を持ちその力を国に使うと忠誠を誓い自国防衛のための騎士団を統一してきた話は有名である。


そしてマグリット公爵家にその魔法を稀に強力に引き継ぐ子が誕生するといわれている。

その子は”戦士の子”といわれていて、いわば戦いの魔法に優れた魔法使いを示す。


ならばルチアーナがマグリット家が誇る”戦士の子”だとしたら、目の前で繰り広げられている出来事に説明がつくだろう。


《血が彼女の覚醒を促したのね》


ルチアーナが”戦士の子”という事実を隠すためにか弱い女性だと印象付けるように振る舞っていた?

いいや、ルチアーナの怖がりかたはとても演技をしていたようにはみえなかった。だから臆病だと思い込むように何かしら操作されていたと考える方が妥当であろう。


マリアは確信した。


《ルチアーナは様は戦士の子なのだわ…》


「なるほど、そう言うことね。でももうすぐ全て終わるし深入りは不要ね。」とマリアはボソリと呟いた。


『マリア、なにか言ったか?』


「何でもないわ。レヴァイン、こうなったら四の陣まで楽しんどいてくれる?」


『ああ、わかった。お前は何処へ行く?』


「あっちのほうから血の匂いがするの。」


『今日の生け贄か?』


「生け贄じゃないわよ。ちょっとここを離れるわ。それと間違えても二人は殺さないでよ?」


『ああ、わかってるよ。ククク…』


マリアは血の匂いにとても敏感なのだ。

血は黒魔術を使う際に必要なアイテムだからか嗅覚が敏感になっているのだろうか?

実はマリアの体には魔方陣を刻んだ傷が腕にたくさんある。

マリア本人は令嬢らしからぬその傷痕を自分と大切な人を守ってきた勲章だと思っている。


まるで美味しい匂いに誘われるかのようにマリアはその場をそっと離れた。

そして血の主はアイリーシャであるはずだと疑うことはなかった。

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