第15話別邸での事件(後編)
考えるより先に身体が動いてしまうのは私の悪い癖のひとつだった。周りの人に再三注意をされているにも拘わらずまたもやらかしてしまったようだ。
湖に飛び込んだ私は咄嗟に目を閉じて口を両手で覆った。しかし水中にいるはずが脚をバタつかせても水の抵抗が感じられない。私は不思議に思いそっと薄目を開いた。
目の前には半透明の壁がある。その壁の向こうはもちろん水だ。私はどこも濡れていないことに気が付いた。
『私は水竜フローリア様に仕える水の精霊フィリスと申します。壁が間に合いまして安心しました。』
「立派な防御壁ありがとうございます。あのアイリーシャと申します。」
《ヘぇー水の精霊って水中で普通に話が出来るんだ。》
水の精霊フィリスは上半身こそ人と同じ姿だが下半身は足がなく
おっと本来の目的を忘れてはいけないわ。
「あ、兄が
『失礼ですが、泳げもしないのにどうやって助けるつもりだったんですか?』
とても不思議そうな顔で返された。馬鹿にしているつもりではないようだが、それに対して傷付いている自分が不甲斐ない。しかも何故私が泳げないのを知っているのだろう?精霊は何でもお見通しなのかしら?
フィリスは兄のアルベルトが湖底の魔法陣の中におり無事だと教えてくれた。そしてこの湖で起きたことを話し始めた。それは今から5日前、農作業で使用する水を供給するため湖の水門を開けた時だった。何者かが呪いのかけられた水晶を湖に投げ込んだのだ。その水晶から無数の死んだ者の魂が湖へ飛び出して、一斉に水竜フローリア様に襲いかかり、体の自由を奪ってしまったのだと。
死んだ者の魂とは転生できなかった魂のことだ。この世界で自ら命を絶った者に架せられる重罰である。どんな状況に置かれようとも自ら命を絶つことは許されない行為だ。そして自ら死を選んだ魂は転生できずに永久に彷徨い続けるか、浄化魔法によって永久消滅するかだ。
そしておそらく領地の農作物の異変は湖水の状態が悪かったことが影響しているのだろう。水竜フローリア様は千年以上もこの湖を護ってくれている尊い存在なのだ。なのに…
《誰がこんなことを?犯人を許せない。》
私は深呼吸をした。感情をあらわにしている場合ではない。私がやるべきことは早く呪いを解くことだ。水竜フローリア様を苦しめている死んだ者の魂を浄化しなければならない。
私は湖底に目をやる。湖はさほど深くはないが視界が悪く底が見えない。
《とにかく急がなきゃ》
『事態は一刻を争いますので、アイリーシャ様を湖底の魔法陣へ転送しますね。』
フィリスは失礼しますと防御壁をすり抜け私の手を握り目を瞑った。すると数秒後には魔法陣に到着していた。
水竜フローリア様の住む湖は湖底から高さ数メートルは水のない状態を維持していてる。頭上を見るとキラキラとした水面がある。水面の下にいるのは不思議な感覚だ。この湖の不思議な構造は魔法の歴史書で知っていたが、まさか自分がここに足を踏み入れるとは思ってもみなかった。普段は湖の周辺に結界がはられており人間が近寄ることすら出来ないのだ。
そして湖底は暗く視界が悪い。その闇は恐怖心を煽る。しかも何とも言えないおぞましい声が聞こえて来る。
『死ね。』『お前はそこまでして生きる価値があるのか?』『お前など必要ない。』『自ら死を選べばこの苦しみから解放されるのだ。』
雑音混じりで聞こえてくる異様な声は生きている者の声ではないと理解できた。これが死んだ者の魂の声なのだろう。
すると何かが私の手に触れる。その何かはとても冷たく恐怖を感じた。血の気が引くとはこういう事だろうか思わず目をつむった。しかし予想に反して聞き覚えのある声だった。
「アリス、僕だよ。」目を開けるとお兄様が目の前に立っていたのだ。先ほどお兄様の手が当たったらしい。視界が悪いせいか変に勘ぐってしまった。私は無事であるお兄様の姿を見た途端涙腺が崩壊しそうになったが、ひとまず耐えることにした。ぐぬぬ…
「お、に…ま。(お兄様)」ちゃんと声にならない。そしてお兄様はいつものように私の頭を優しく撫でた。
「大丈夫だよ。アリスなら水竜様を救えるはずだよ。」
「あ、がとう…ます。(ありがとうございます。)」
私はお兄様の言葉を聞き心に落ち着きを取り戻した。目も暗さに慣れたようだ。ようやく水竜フローリア様を苦しめている黒い塊を確認することが出来たのだった。
私はお兄様を魔法陣に残し、1人で死んだ魂であるその黒い塊に気付かれないようにゆっくりゆっくりと近づいて行った。その黒い塊に触れることが出来ると思った瞬間、黒い塊が私に気付き牙を剥く。
《来る。今だ!》
「”悪しき魂よ。消滅せよ。”」私は両手を前に出し唱えた。
すると私に向かってくる黒い塊は次々にうめき声をあげながら跡形もなく消えていく。
全ての黒い塊が目の前から消え去ると”パリーン”ガラスの割れるような音が聞こえ水竜フローリア様が姿を現したのだった。
意外にも外見は竜ではなくどこからみても人間だ。今までに見たこともないような美しく気高い女性の姿だった。私はしばし目を奪われた。
『娘よ、礼を言う。この水晶は私が預かっておくとしよう。』
「水竜様のお役に立ててよかったです。」私がそう言うと姿が消えた。
見上げると湖は驚くほど美しく輝いていた。
《お、終わった。》
「アリス、大丈夫か?」
お兄様のいる方向に身体を向けて尋ねた。
「お兄様、水竜様を治療しなくても良かったのでしょうか?」
少し困った顔をしてお兄様は答えた。
「アリスは、一度に浄化魔法と治癒魔法を使ったんだよ。」
その後フィリスがやって来て今回の恩返しは必ずすると誓約を交わされたのだった。別邸まではジェイドが再び転移魔法を使って送ってくれることになった。
自分はとても良いことをしたのだと意気揚々と帰宅したが、別邸で待っていたお父様の顔を見た瞬間恐怖で凍りついたのだった。
横にいたお兄様も珍しく私と同じ青白い顔をしていたのがとても印象的だった。
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