第11話アルベルトとルチアーナ
治療を理由にアイリーシャの寮部屋を後にした私は、ルチアーナと寮の談話室で話をしていた。
夏期休暇が始まりほとんどの生徒は帰省している為、普段は騒がしい談話室も閑散としていた。
「アルベルト様。本当に申し訳ありません。」
「ああ、ルチアーナ嬢を責める権利は私にはない。君の様子がおかしい事に気付いていたし、警戒はしていたんだ。しかし考えが甘かったようだ。学校でこのような事件が起こるなど思ってもみなかったからね。」
「私が浅はかでした。公爵令嬢たるものが恥ずかしいです。アイリーシャ様を虐げるような真似を…」
もちろん私もルチアーナの意思でアイリーシャを虐げていたのなら黙ってはいなかった。
「いや、君はあのミラ・アンダーソンに呪術をかけられていたようだ。彼女より君の魔力量が多かったことで何とか助かったようだが、魔力量が下回ればもっと酷い目にあわされていたかもしれないね。」
この国で黒魔術いわば呪術は禁忌とされており、使用したことが明るみになれば重い罪に問われることになる。また呪術を使うには闇の精霊と誓約を交わす必要があり、闇の精霊は手助けをする対価とし命を求めることもあるという。
まともな人間であれば、呪術に手を出すことはないだろう。
「そんなことあり得ないですわ。何故…」
さすがのルチアーナも表情を崩さずにはいられなかった。たまに頭痛や吐き気がしていたのは呪術の影響だったのかもしれないと身震いさせた。
そして彼女も私と同じ疑問に辿り着いた。
「私にはミラさんが何故こんなことしたかわからないんです。まさかアルベルト様をお慕いしていたわけではないですよね?」
「いいや、その考えは切り捨ててくれていい。事件の話を聞く為に彼女に会いに行ったけれど、すごい形相で睨まれてしまったからね。この件は引き続き調査することになったよ。」
今回の事件で犯人がわざわざ呪術を使い何を手にしたかったかわかっていない。
護衛も兼ね近くで控えているトーマスに視線を移した。私と目の合ったトーマスは小さな溜息をついた。
「ところで先ほどの治癒師はマグリット公爵家のご厚意だろうか?」
「いいえ、私も父に確認したのですが、父が治癒師に連絡を取った時には既にこちらに向かうよう手筈が整えられていたようです。」
「そうか、とにかく君も
「その…私の気持ちをご存知だったのでしょうか?」
私は少し間をおいて答えた。
「婚約前からと言ったら気分を害するかな?」
「そうでしたのね。フフフ、私の父が考えそうなことですものね。でもこの感情は切り捨てることにしますわ。」
私の瞳を見つめたルチアーナに迷いは感じられなかった。
「後悔しないかな?」
「はい」と清々しい笑顔でルチアーナは答えた。今回の事件でいつまでもウィルアムズへの思いに囚われていた自分はとても愚かだったと。そのせいで関係のないアイリーシャまで巻き込んでしまったと悔いた気持ちを正直に話してくれた。
しばらく話を続けた後、ルチアーナを寮部屋前まで送り届けた。別れの挨拶をするとルチアーナが最後に言っておきたいことがあると微笑んだ。
「私もアルベルト様の心を占めている令嬢がいる事を知っておりましたのよ。」
「…」私はしばらく言葉を失った。
「図星ですわね。」とルチアーナは悪戯に笑い「これで失礼致します。」と綺麗なお辞儀をして寮部屋に入って行った。
"パタン"とドアの閉まる音が響いた。
隣にいたトーマスが「女性って怖いですね。」と口にしたのだった。
◆
遅かれ早かれ私とルチアーナの婚約は解消することになっていた。この話はマグリット公爵とポーレット侯爵夫妻、そして私だけが知る話だ。
そもそもルチアーナとウィルアムズの婚約を解消した原因は、バックフェル公爵家に問題があったと聞いている。
お互いの初代公爵家の当主が交わした約束は直系の子孫同士の婚姻を結ぶ事だった。
しかしバックフェル公爵家の嫡男であるウィルアムズは血縁関係のない養子だった。その事実を婚約し数年経ってから知る事になったマグリット公爵は激怒した。
その時すでに娘のルチアーナはウィルアムズに好意を寄せていたが、マグリット公爵は嘘をついてまで婚姻を結ぼうとしたバックフェル公爵が許せなかった。
娘とウィルアムズの距離を少しでも離そうと婚約解消に踏み切ったという。しかし幼いながらも美しい容姿をしているルチアーナは公爵令嬢という高位な身分だ。結婚するとなれば多額の持参金を用意する事となる。
婚約者の座を狙う欲にまみれた不届きな輩があとを絶たないだろうと娘を危惧したマグリット公爵は学生時代から付き合いのあるポーレット侯爵に相談を持ちかけた。
婚約者としての義務は最低限でかまわない。
悪い虫が付かぬよう娘を守って欲しい。
そして娘を惑わす真似は決してしないよう念を押された。
父であるポーレット侯爵からは「このような気持ちは、娘を持つ親になれば理解できる事だろう。少しの間、その役目をお願いするよ。」と言葉を掛けられた。
私は仮の婚約者役をするようにマグリット公爵直々に頼まれたのだった。
そうしてポーレット侯爵家はマグリット公爵家に貸しを作る形となった。
私とルチアーナ嬢の婚約後に真実とは異なる様々な噂が飛び交った。自分たちを餌に好き勝手言っている者たちが滑稽でたまらなかった。しばらくして誰かが意図的にバックフェル公爵家に都合の良い噂を流しそれが定着した。
ウィルアムズよりもルチアーナの方が魔力量が劣るというのは事実だった為、むやみに否定できなかった。既に14歳という若さでウィルアムズは国内でゆびおりの魔力量の持ち主として有名だったからだ。
先程の様子からすると、ルチアーナ嬢は私がウィルアムズを諦めさせる為にマグリット公爵が用意した仮の婚約者だと気付いていたのだろう。
時間を確認すると侍女のデイジーに頼んであったアップルパイがそろそろ出来上がる頃だとアイリーシャの寮部屋に向かった。
私は不覚にもここ数日の寝不足ですっかり魔道具の件を忘れていたのだった。
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