第10話アリスという女の子

 前世の記憶を持って生まれてきた私は、輪廻転生を常識とするこの世界でも稀な存在のようだ。


 私の前世は魔法が存在しない世界だった。地球という惑星体に190以上の国が存在していた。そのうちのひとつ日本という国に生まれた。名前は戸田アリスという女の子だった。

現世ほどではないがそれなりに裕福な家庭だった。厳格ではあるが娘に甘い父と優しくしっかり者の母と私の3人家族だった。もちろん学校にも通っておりたくさんの友達に恵まれ幸せに暮らしていた。


 しかし12歳になる年に私は体調を崩した。はじめは風邪のような症状だったので特に気にする事はなかったが、一向に体調が回復する気配はなかった。大きな病院で検査を受けた時には既に重い病が身体を蝕んでいた。

 すぐに入院となり治療が始まった。訳もわからずたくさんの薬を投与され、髪の毛は抜け、手や足、顔までもひどくむくんでしまった。そして肌はがさがさでツヤもなく、爪は黒くなっていった。


 入院当初はたくさんの友達がお見舞いに来てくれたが、誰も来ないようにお願いした。

 正直な気持ち、今の自分を誰にも見られたくないからだ。こんな自分は嫌だ。鏡も見たくない。

 それでも何通かの手紙がたまに届いていた。


 私は目の前の現実を受け止める事を拒んだ。


 みんなと通うはずだった学校の制服に袖を通したい。

 たくさんオシャレもしたい、まだ恋だってしていない。

 出来れば歌が好きだから歌手になりたいし、両親と約束していた海外旅行もしたい。


 何でどうして私なのだろう?

 私は生まれてから何か悪い行いをしたのだろうか?


 やり切れない気持ちを消化する事が出来ずに涙が涸れるほど泣いた。


 自暴自棄になっていた私に母親だけは今まで通りに接してくれた。


「アリスちゃんは可愛いわね。」「天使みたいね。」「治療頑張ってくれてありがとう。」「元気になったらオーディション受けようね。」と決して後ろ向きな発言はしなかった。ましてや涙など見せずに笑顔を絶やさなかったのだ。

 戸惑っていた父親も母親の影響を受け次第に私との距離が縮まった。


 私は母に救われた。病気を克服して、いつかは夢を叶えたいと思えるようになった。


 その時は自分の事ばかりで気が付けなかったが、今考えると母親はとても強い女性だったと思う。


 医療技術がかなり発達しているにもかかわらず、すべての病気を治す事は不可能だ。

 少しばかりの延命は可能だが、それこそ永遠の命など存在しない。

 魔法がある世界でもそうなのだから…命は尊いものだと痛感させられる。


 闘病生活は数年続き、ついに手術を受けることになった。

 手術の成功率はかなり低かったが、選択の余地は残されていなかった。


 手術が始まる前に母親が私を激励した。「アリスちゃん。これが終わったらきっと楽しいことが待ってるわよ。」

 優しく耳元で囁く声とは対照的に私の手を握る手はとてもあたたかく力強かった。父親と母親は笑顔で私を見送ったのだった。


「ママ、パパ…会いたいよ。」


 自分でも驚いたが、ぽつりと本音を声にした。すると涙が次から次へと私の頬を伝う。


 私はあの後、手術で命を落としたのだろう…


 3歳の頃、前世の記憶がある事に気が付いたが、それはただの過去の出来事でしかなかった。

 自分の事ではなく他人事のように捉えていた。幼すぎて複雑な感情もまだ理解できていなかったからだ。


 《ママとパパの子に生まれてよかった。最期までありがとう。》


 しばらくしても涙が止まる事はなかった。


 "コンコン"と寝室のドアを叩く音がした。


「お嬢様、お目覚めでしょうか?」とドア越しにデイジーが声をかけてきた。


「あ、う゛ん。さっきね。」


 明らかに声がおかしかったが、察しのいいデイジーならスルーしてくれるだろう。


 "ガチャリ"


 《ひゃっ》


 入室の許可もしていないのにドアを開けられるとは思わなかったがそれにびっくりした為、涙が止まった。しかし開けられたドアに視線を移すと、何故かデイジーではなく兄が立っていた。


「アッ、アリス何があったんだ?傷がまだ痛むのか?」


 兄は普段の様子とは異なり落ち着きなく言った。


「アルベルト様。困ります!女性の部屋に許可なく入っては行けません!」


 デイジーは呆れたように兄に言い放った。


 このやり取りを見るのは何回目だろうか?


 兄は私が少しでも体調を崩すとこのように飛んで来るのだ。小さい頃は良かったが、年頃になるにつれて、部屋の出入りが厳しくなった。

 それでも心配性の兄はこのようにやって来るのだった。


 兄の過保護っぷりに感心していると。私は自分の指にある魔道具の説明を受けていない事を思い出した。


「お兄様、今度は逃げ場はありませんわよ!」


 私は手を顔に近づけ指輪をちらつかせ兄を軽く睨み付けた。

 先程まで泣いていたはずの私が強気な発言をしたため兄とデイジーは驚きつつも表情は和らいだ。


「お嬢様、お元気を取り戻したようで何よりです。」


 デイジーは温かいお茶を準備をしますと寝室を後にした。


 兄は逃げるのを諦めてソファーに腰を下ろした。


「言っておくが、話は長いくなるので覚悟するように。」


 私は頷き今度は逃がすまいかと兄の隣を占領した。

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