予期せぬ客

 べギーは面倒くさそうなため息を吐いていた。ノアとの契約を終えて、核を盗んだはいいが、客足が妙に少ない。まあ金はしこたま手に入ったから、しばらくは休んでもいい。しかし職業病なのか、せっかく盗んだのが勿体無く思え、なんとか売り捌こうとしていた。

 この核、重宝されるから相当根が張ると思いきや、鑑定士にとってはただの石ころと同じにしか見えないようだ。成分を分析しても、どの宝石にも当てはまらない。あげくにはただの綺麗な石だという結果だ。こんな無価値な物、持っていても仕方ない。早く売って、手放してしまいたかった。


(しっかし、なんなんだぁ? いつもならこの時間、人が多いってのに)


 ベギーは人が多い平日をいつも狙っている。ただの人波ではなく、主に若い女性が通る道が狙い目だ。彼女らは悩みが絶えないから。そういえばノアの指示で、最後に売ったのも日本人女性だ。

 悩みを聞けば苦労していて、娘の病気のために躍起になっていた。石の説明をすれば、縋る勢いで必要以上の金を置いていった。その後? 娘がどうなろうと、知った事ではない。こちらも生きるのに必死なんだ。


「ずいぶん雲行きが悪いな……」


 空を見上げると薄暗い。雲行きかと思ったが、そうではないらしかった。雲は無いし晴れているのだが、どんよりとしている。なんだか気持ちの悪い晴天だ。空気が悪い。気付けば、人が全く通らなくなった。

 今日は店じまいか。そう思って椅子から腰を上げた時、コツンコツンと足音が響いた。遠くに目を凝らすが、人影のようなものは見えない。それどころか、向こう側が霧で見えないのにべギーは気付いた。

 彼は後ずさり、足早にその場から歩き出す。足音は聞こえ続ける。急かされるようにべギーは足を早め、やがてついに走り出した。それなのに、コツンコツンというゆっくりとした足音は影のように遠ざからない。


(なんだ、なんなんだ?!)


 まるで悪魔にでも悪戯をされているかのようだ。そんな事を思いながら後ろに視線を向て、何かから逃げている時──。


「その通りだよ」

「ひっ!」


 ドンっと柔らかな壁にぶつかり、べギーは情けない声を上げて尻もちをついた。こちらを見下ろすのは、光の無い珍しい紫の瞳。リーラは恐ろしいものを見る目をする彼に、にこっと笑って見せた。


「どうした? そんなに怯えて」

「は、ぁ……は? あ、あぁ」


 頭が混乱する中、なんだ客かと冷静に整理する。しかしリーラは笑顔を解いたと同時、狩人の証である手帳を見せた。


「初めましてべギー……いや、ポール・シュミット。ワタシはリーラ。夢の天使についての件で、テンシ狩りドイツ元代表としてオマエを捕獲する」


 告げられたのはべギーの本名。彼は引きつる笑顔で、未だ地面に付けた腰を後ろにずらす。テンシ狩りの名前は知っている。詳しくは教えてもらわなかったが、ノアたちとは相反する組織。そして注意するようにとも言われた。


「オマエは核の効果を知っていて売ったそうだね?」

「ね、願いが叶うんだろ? それで相手がどうなろうと、知ったこっちゃない。こっちだって、生きる金が必要なんだ!」


 べギーはゆっくり立ち上がり、ニヤリと笑いながら「騙される方が悪い」と言い放って駆け出した。代表と言っていたが、拍子抜けした。相手は女。男の脚力になんて追いつけない。それもリーラの靴はヒールが高いブーツだ。


「また鬼ごっこか」


 リーラはやれやれと首を横に振り、歩き出す。慌てた様子はない。なにせこの空間にはもう1人狩人が居るのだから。

 やっぱり追ってこない。べギーがそう思っていれば、ドスンという比較的大きな足が着地する音が目の前から聞こえた。今度は四つ足。聳え立つ巨大な足にぶつかった。グルル……と低く唸る音を頼りに上を見上げれば、この世のものではない巨大な狼。


「ば、化け物……!」

「おいおい、他人の子犬にひどい言い様だな?」

「はっ?」


 そう言ってゾネの頭を撫でるのは、いつの間に追い付いたのか分からないリーラ。こっちは息が上がっているのに、彼女は一切疲れた素振りを見せない。


「だ、誰か! 助けてくれ!」


 震えた叫び声が、建物に反射して遠くをこだまする。しかし誰も来ない。リーラは無様に救いを求める彼に、カラカラと笑った。


「さっき言っていたじゃないか。悪魔の悪戯を受けてるみたいだ……と。その通りだと言ったはずだぞ?」

「ひ、ひぃ!」


 天使に続いて悪魔だなんて、冗談じゃない。こっちはただの人間だ。卑怯だ。べギーは腰を抜かしながら、また走り出そうとした。

 リーラは呆れたようにため息を吐く。別に鬼ごっこは嫌いじゃないが、さすがに飽きる。べギーの背中を追う事はせず、彼に向かってパキンと指を鳴らした。瞬間、彼女の影が伸び、鞭のようになってべギーの足をすくう。ベギーは何がなんだか分からないまま、無様に転んだ。突然の痛みに一瞬だけ閉じた目を開けば、後ろに狼、前には悪魔。

 リーラは手を横に差し出す。するとどこからともなくカラスの群れが現れ、彼女の手を囲む。黒い群れが消えたそこには、まるで死神が持つような真っ赤な鎌が握られている。

 リーラは鎌の先端で、べギーの顎を持ち上げる。


「一度手足を失う感覚を味わっておくか?」

「な、なんで俺の居場所が分かった……?!」

「オマエが核を持っていたからだよ。それは本来の持ち主に場所を伝えるからね」

「そんな……そんな事、知らない……!」


 そんな事を知っていたら盗まなかった。そう思った所で、べギーはまさかとハッとする。ノアは盗むのも計画に入れていたのだと。気付かないふりをすれば、狩人が勝手に処分してくれるから黙認していたのだ。

 サッと顔を青くさせる彼に、リーラは察したようだ。


「騙されたみたいだね」

「そ、そうだ、俺は騙された! だから」

「騙された方が悪い……だったな?」

「あ」


 自分で、さっき言った言葉。散々騙してきた者の末路だと、彼はようやく理解した。


 リーベの案内によってたどり着いた場所に、リーラが結界を張って数十分。結界と言っても、外からすればなんの変化もない、日常が広がっている。通行人だって普通に通っている。それでも、中に入ったリーラとゾネは、まるで鏡の中にでも入ったかのように消えた。中にはべギーを含んだ3人だけ。

 リーベは核のありかが分かる。だからすぐにべギーの位置を見つけた。しかし待っている間、蝶子は不安だった。リーラが強いのは理解しているが、まだ現実味のない状況。外で監視をしているギャレンは、彼女の不安を理解していた。


「もう時期だろう。それより、べギーに会う覚悟はできているか?」

「……、……」

「忘れるな、君が気を負う必要はない。君は被害者だ」

「あ、リーラ!」


 核の鼓動を強く感じたのか、リーベは空虚に向かって彼女を呼んだ。数秒後、べギーを引きずったゾネとリーラが現れる。堪らず抱きついた彼に、リーラは没収した核を渡した。

 べギーは迎えの中に居る蝶子に首をかしげる。見覚えがある顔だ。


「ポール・シュミット。彼女はオマエが最後に売った女性の娘だ。オマエの売った核の犠牲者というわけだね」


 そうだ、あの女性とよく似ている。聞いていた話では、娘は癌で余命わずかだったはず。「何か言う事は?」そうリーラに言われた彼は、クッと笑う。


「……良かったな? 死ななかったみたいで」


 蝶子は怒りにカッと血が熱くなるのを感じた。目が赤く染まる。しかし鋭い爪が伸びた拳が振り上げられるより前に、バキッと痛々しい音が聞こえた。

 数メートル先に吹っ飛んだべギーの側に、折れた歯が数本転がる。顔面が変形するほどの1発をお見舞いしたのは、蝶子ではなくリーラだった。彼女はいつもの笑顔を捨て、ゾッとするような無表情で見下ろす。


「クズ野郎が。地下に連れて行け」


 これで謝罪でもすれば、少しは優しい最期にしてやったのに。

 ギャレンは胸に手を添えて会釈し、すっかり気絶したベギーを車に乗せる。続いて後部座席にゾネとリーベも一緒に乗り込み、ひと足先に帰っていった。大天使の核を持っていると、無闇に天使を引き寄せるため、先に帰らせたのだ。リーラと蝶子はまだ予定がある。その間、核を取り込んで眠った無防備なリーベの子守りは、ゾネに任せた。

 車を見送ってから、リーラは「あっ」と後悔を零す。べギーを殴る権利は、蝶子にあった。それなのに、あまりにも頭に来たから手を下してしまった。蝶子は一部始終をぽかんとしながら見ていたが、やがてあははとおかしそうに笑う。


「顔、すごい事になってましたね。ありがとうございます、僕のために怒ってくれて。スッキリしました」


 どうやら本当に鬱憤は晴れたみたいで、彼女はおかしさのあまりに出た涙を拭っている。今度はリーラがぽかんとしたが、安心したように微笑んだ。まあ、彼女の手が痛くならなかったならそれでいいか。


「さあ、これを報告しに行こう」

「はい」


 残った用事というのは、蝶子の両親の墓参りだ。まだ夢の天使は見つかっていない。それでもべギーを捕らえたという踏ん切りの一歩はついた。蝶子にとっては、まだ自分が殺した事に立ち直れていない。しかしこれで少しは彼らに顔を向けられる。

 五十嵐夫婦が眠る墓の近くに、ちょうどリーラの知り合いも眠っていた。だから付き添いをする事になったのだ。


「リーラさんのお知り合いって、狩人ですか?」

「いや、まだワタシが子供の頃のさ。一緒に育った、姉みたいな存在かな」


 途中、墓に備える花飾りを街で買って、霊園に向かう。緑豊かなそこは、日本では恐ろしいとされる場所なのにとても明るく、美しい。文化の違いのせいか、リーラは日本の墓地も怖いとは思った事がない。

 五十嵐家の墓の前で、蝶子はそっと花を添える。


「パパ、ママ……久しぶり。今日、べギーさんを捕まえてもらったよ。2人とも……痛い事して、ごめんなさい。せっかく良くなったのに、最後に心配させちゃって、ごめんなさい。体が弱くて……」


 出て来るのは後悔。黒い手袋に包まれた手が、優しく蝶子の頭を撫でた。途端に、じわりと目に涙がたまる。


「……ぼく、僕のっ……僕の家族に、なってくれて、ありがとう……。生きるよっ、ちゃんと、生きるから……心配、しないでね」


 涙に詰まりながら、やっと本当に言いたかった言葉が吐き出された。これからどんなにつらくても、この体に悩まされても、絶対に幸せに生きる。向こうでも心配させないために。

 あとは家族の時間にしてあげよう。リーラも目的の墓石の前に立つ。そこで少し違和感を覚えた。誰かが来た気配がする。人間とは考えられない。


「……ルチナ? キミはそこに居るか?」


 呼びかけても反応が無いなんて分かっている。しかしこの不安と化する違和感を拭いたかった。ここで穏やかに眠っていると、信じたかった。


「リーラさん、どうしました?」

「……いや、もういいのかね?」

「はい、たくさんお喋りできました。ありがとうございます」


 リーラは少し考えつつも、眠っているであろう彼女の石へ「また来るよ」と告げ、その場を去った。


「あの、リーラさん」

「うん?」

「僕も、テンシ狩りに入れませんか?」


 屋敷前の湖を渡った頃、そんな事を言われてリーラは細い目を丸くさせた。冗談を言っているわけではないのは、蝶子の表情で分かる。しかしリーラの答えは決まっていた。


「ダメだ」

「どうしてですか? テンシの人も居るんでしょう?」

「キミはできない」

「危険な事は知っています。でも、できます!」

「……着いてきたまえ」


 通された書庫に並ぶ本棚の1冊を、手袋に包まれた長い指が押し込む。すると、重たい音を立てて地面が揺れ、床の一部が開いた。隠し通路だ。階段が暗闇へ続いている。


「足元に気を付けて」


 差し伸べられた手を取って、蝶子は恐る恐る地下に進む。階段が終わったのか、広い空間に出た。リーラが灯りをつけると、鋭利な眩しさに蝶子は目を細める。金属の反射がいくつも見えた。よく見ると、壁中に様々な武器が並んでいる。武器庫だ。

 リーラは、唖然と部屋を見渡す蝶子に、拳銃を手渡す。生まれて初めて持った本物の銃は冷たくて重く、不気味な感覚だった。


「この仕事は殺しだ」

「わ、分かっています」

「時には、仲間を殺す」

「え?」

「狩人は心を病みやすい。天使にとっていい餌だ。例え話だが、ワタシがテンシになったとしよう」


 リーラは蝶子に銃をしっかり握らせると、自分の豊満な胸元に当てる。ちょうど心臓がある場所だ。蝶子はびくっと体を震わせる。


「撃てるか?」

「え、あ……うっ」


 引き金に置かれた指は、まるで自分から切り離されたかのように、感覚を失っていた。撃てない。怖い。


「迷ったね? この迷いで、ワタシはキミを殺し、他の仲間も殺せるよ」


 リーラは結果を知っていた。だから無理なのだ。彼女は普通の感性の持ち主で、とても優しい。


「で、でも、リーベ君は」

「あの子は残酷だよ? 殺せと言えば、敵を殺す」

「じゃあ、僕の事も、リーラさんは撃てますか?」

「……もちろん」


 本気の目だ。しかし蝶子はその行動が、リーラにとって本心ではないのを理解した。ああ、彼女は今まで何人と仲間を撃ったんだろう。その都度傷つき、代表だからと言い聞かせてきたんだ。自分が撃てば、仲間は罪悪感を負わないからと。

 銃が手からすり抜け、ガチャンと虚しく床を転がる。次の瞬間、蝶子の丸い目から涙が溢れた。リーラはまさか泣くと思っていなかったため、ぎょっとして慌てて抱き寄せる。


「す、すまない、別に怖がせようとしたわけでは……いや、性急すぎたか」

「ちが、ちがうんです……っ」

「違う?」

「やっと、役に立てると、思って……僕、せっかく生きたのに、なんの役にも、立てないっ」


 弱くてごめんなさい。彼女はそう謝って泣いた。

 悲しませたかったわけじゃない。ただ幸せに、何不自由なく笑って生きてほしかったのに。しかし彼女の性格を考えればすぐに分かる事だと、リーラは反省する。これまでの人生で、蝶子は役に立ちたいと願う事が多かった。だから何もせず幸せになれと言っても、それは彼女にとって幸せではない。

 リーラは蝶子の涙をハンカチで拭いながら微笑んだ。


「キミが役に立てないだって? とんだ勘違いだ」

「えっ……?」

「キミは料理が好きだね? 家事も」

「は、はい」

「ワタシは訳あって、この手足を使うのが苦手でね。料理や家事がてんでダメなんだ。キミの手料理が食べてみたい。チョウコ君さえ良ければだが」

「やります!」


 本来、ドイツでは1人が家事をするという習慣はない。しかし食い気味に手を握った蝶子に、リーラは何も言わずに任せる事にした。

 そろそろ地上へ戻ろうかとした時、ポケットに入れたスマホが通話を報せて震えていた。先に蝶子を出して、部屋に行っているように指示する。武器庫を閉めてから出ると、相手はしもべの1人である蛇のズゥースだった。


「どうした?」

『今孤児院に居るんだけどさ? なんか、ヤネスとご主人様に会わせて~って女の子が居るの。だぁれ?』

「名前は?」

『ルチナだって』

「なんだって?」

『あ、訳あり? 僕が追い返してあげよっか?』

「……いや、いい。外で待つように言っていてくれ。ワタシが行く」

『はぁい』


 通話を切ってから早々に屋敷を出る。黒い翼が空を掻いて、空を急いだ。嫌な予感がする。なにせルチナというのは、先ほどの墓に眠っているはずの名前なのだから。

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