花畑の診療所

 開きっぱなしの丸い瞳は、普段は忙しなく青、黄、緑と色を変えるのに、今は灰色をしている。そこから見える視界は絶対に自分のものなのに、どうしてか他人事のようにリーベは眺めていた。まるで夢を見ているような感覚だ。しかし指先で煌めくお守りが、彼を現実に引き戻す。

 腕が痛い。感覚が戻ってまずそう思った。次に足が疲れているのかとても重たい。今すぐ立ち止まりたいのに、引っ張られているせいで出来なかった。

 感覚が完全に戻ると共に、視界に映っているものと、状況を理解した。真っ白な腕を手綱のように乱暴に引っ張っているのは、顔が見えないがリーラの背中ではない。そもそも彼女はこんな乱暴にしないし、歩幅を合わせてくれる。まだ幼い脳がそれを噛み砕いて飲み込んだ途端、灰色の瞳が恐怖の青に染まる。


「いたいっ」

「あ?」


 身じろぐいだ事で相手が後ろに振り返る。リーベは記憶力が良かった。一度会った相手の顔と名前、特徴を完璧に覚えて忘れない。だから、腕を掴んでいる相手が三日前に少し話をした独であるのにすぐ気が付いた。

 だが相手が分かったところで、何の解決にもなっていない。どうして彼が居るのかも、どうして自分が店内ではなく外に居るのかも分からない。


「なんで、リーラは? わたしはお店の中にいたんだ。どうしてここに? なんで一緒にいるんだ?」

「……催眠が解けやがったか」


 舌打ちをする独の感情は、わざわざ匂いで感じ取らなくても理解できる。そしていくらリーベが目覚めたばかりで幼い思考しかできなくても、これ以上進んでいけないのは分かった。

 少しでも抵抗したくて、細い足を地面に踏ん張らせる。しかしそれは、独の機嫌を損なわせるだけの行動にしかならない。


「黙って歩け」


 独は必死に手から逃れようとする細い腕を強く掴み、乱暴にグイッと引っ張る。リーベの体は耐えられず、転びそうになるのを再び歩く事で阻止するしかできなかった。


「どうしてわたしはここにいるんだ? どこに行くんだ?」

「黙ってろって言っただろ」

「言ってくれなきゃ、ついて行かないぞ!」


 リーベはもつれた足をなんとか正すと、今度は自分の体を逆方向へ引っ張った。踏ん張って止まる事が難しいのなら、体重を後ろへ乗せればいくらかマシの抵抗になる。余計に腕は痛くなるが、それでもこれ以上店から距離を取りたくない。

 リーベの肌は、色を置き忘れた白紙のような白さ。そのせいで、少しの刺激が大袈裟な痣を作る。掴んだそのままの痕が思った以上の色を見せた事に、独は驚いて足を止めた。

 ギヴァーから核を譲ってもらった時の条件を思い出す。それはリーベを連れてくる事だが、傷をつけずにというのを念押しされていた。従うのも癪だが、後々厄介ごとになっても困る。望んだ通りに手を離してやると、リーベの体は体重をかけていた後ろへよろけ、尻もちをついた。

 揺れた視界と下からの衝撃にリーベは驚いたのか、キョトンとする。しかしすぐハッとすると、見下ろしてくる独を精一杯に睨んだ。


「どうしてわたしは独といるんだ?」


 睨んでいるつもりだろうが、あまり威厳はない。なんなら見上げる目は、デコピンをすればすぐ涙を溜めそうだ。

 しかし傷つけないのが約束だと、独は面倒くさそうにため息を吐く。そして視線を合わせるように、足を広げた状態でしゃがんで睨み返した。


「お前を攫ったんだよ。アイツを殺すためにな」

「あいつ?」

「お前のパートナーだよ」


 想像していなかった相手に、瞳が紫色に変わる。独がそれを奇妙な目で見ていると、リーベは勢いよく立ち上がった。


「そんなひどい事、したらダメだ! わたしは協力しないぞ!」

「んな決定権、お前にないんだよ。引き渡す間、少しくらい人質になれ」

「……独は、リーラが嫌いなのか?」

「は?」

「嫌いだから、そんなひどい事をするのか?」


 リーベの顔は悲しそうに歪み、瞳は紫から青へ移り変わる。独は焦茶の目をパチクリさせると、どうしてか可笑しそうに笑った。他人に対して好き嫌いという感情を持った事のない彼にとって、その問いは心底笑うものなのだ。


「アイツを殺せば、俺は強さを見せつけられるんだ。たったそれだけ。単なる踏み台に対して、好き嫌いもあるかよ」


 独のテンシ狩りは、偶然から始まった。様子のおかしな人間を見かけたと思えば、それが人気のない場所で化け物になって人を殺している。そんな現場を見たのが最初だ。

 もちろん驚きはした。しかし一般人ならばトラウマとなるだろう現場を見た彼に湧いたのは、恐怖ではなく興味。だが普段から見た目恐ろしい毒虫を集め、それらを改造してより狂気を生み出しているのだ。好奇心の方を優先するのも無理はない。

 一般人として暮らしている彼だが、他者が持たない毒虫という武器を常に持っている。だから実験程度に、テンシと対峙させてみた。相手は毒に耐性がなかったのか、体を這う毒蜘蛛によってあっさり倒された。独にとってはつまらない結果だ。

 平穏な日常に飽き飽きしていたところに、せっかく針が差し込まれたと思ったのに。それをこんな形で終わらせたくはない。その思いから、独はテンシを家に連れ帰った。思考を捻り、とある興味を持つ。それは、目の前で倒れる化け物の血を、毒虫に混ぜたらどうなるかというもの。

 幸い、部屋の中に実験道具は揃っている。取り掛かった結果、出来上がったのはこれまでにない毒虫。他の虫と狭い空間に閉じ込めて様子を見ると、圧倒的な力で生き残った。正直、不意をついたとしてもあんなに呆気なく倒されたテンシの血だから、あまり期待はしていなかった。しかし予想もしないその出来栄えに、独は今までにない興奮を覚えた。

 弱いテンシの血でいいのができたんだ。もっと上を目指せる。

 そうして、彼のテンシ狩りが始まった。天使が存在し、望みを叶えた人間の末路がテンシと呼ばれるのは、狩っている最中に知った。そうすると、おのずとテンシ狩りの存在も知る。

 一度殺したテンシが、独を狩人の仲間だと勘違いしたのだ。それがきっかけで、テンシから情報を聞き出した。テンシ狩りには、信じられないが異能を持つ者も居て、そんな狩人をまとめる人物も悪魔だと知った。そしてその悪魔は女だと。ただの女だったら、独はスルーしていた。目をつけた理由は、テンシたちがリーラに怯えていたから。


「そんな存在を俺が殺せば、俺はより最強に近づけるだろ?」


 会ってみたら少し拍子抜けした。どんな恐ろしい姿で、部下の狩人に恐れられていると思っていた。それなのに、現実は真逆。だからすぐ勝てると、独は確信した。

 リーラを殺したあとは、彼女も手を出す事を恐れるマスターに挑む気でいる。流石に手練れだろうが、殺せる自信はあった。

 リーベはその話を聞きながら、不思議でたまらなかった。どうして彼は強さにこだわるのだろう。何故一番になりたがるのだろうかと。


「……不安なのか?」

「あ?」

「自分が強くないと、怖いのか?」


 リーベにとって、そうとしか思えなかった。自分の存在意義を、彼は強さでしか測れない。自分を自分で認める手段が、強さしかないのだ。なんて哀れなのだろうか。

 独は胸の奥が怒りでカッと熱くなるのを感じた。リーベは顔に感情が出やすい。ただでさえ目の色が思いによって変わるのだから。だからこそ、同情されているのが目に見えて分かる。


「……なんだその目は。馬鹿にしてんのか? あ?」


 独にとってその感情は、ただ不愉快でしかない。一番になる事は、退屈しのぎの遊びに過ぎない。そんな遊びに茶々を入れられる気分だ。

 独は、小洒落たリボンに包まれたリーベの胸元をグッと鷲掴む。血の昇りやすい彼の頭から、傷付けないという約束は抜けてしまった。しかしリーベは全く怯えた様子を見せない。


「わたしを殴ったって、強くならない」

「! このっ」


 独は感情のまま、拳を振り上げる。すると振り落とされた拳がリーベの鼻先に触れる直前、辺りを閃光が駆け抜けた。目を焼くような鋭い光に、独は両腕で顔を覆う。

 光が世界を白く染めたのは数秒。腕で庇っても、視界はチカチカしていた。瞬きを数回繰り返し、ようやく独の視力は回復する。


「いない……?!」


 目の前に居たはずのリーベが、忽然と姿を消していた。


─── **─── **


 眩しい光に目を閉じたのは、リーベも一緒だった。突き刺すような光が止んで数秒経ち、ようやく痛みが治った。

 恐る恐る目を開くと、そこに居たのは独ではない、見知らぬスーツの背中。


「ほぇ……?」


 何が起こったのか分からず、驚きのあまりとぼけた音が口から漏れる。すると、黒い瞳をした男は優しく微笑んだ。


「はじめまして、大天使」


 リーベの瞳の色が、緑色に染まった。男の言う通りはじめましてのはずなのに、優しくて低いその声を知っている。ずっと前の事のように感じるが、すぐ思い出した。その声は、楽園を望んで語って聴かせてくれた声だ。

 ぼうっと男を見上げていると、彼は微笑みを崩さないまま口を開く。


「怪我はないかな?」

「あ、うん」

「そうか、なら良かった。私はギヴァー。よろしく、大天使」

「わたしは大天使じゃなくて、リーベっていう名前なんだ」

「リーベ……ふぅん? 彼女らしい名付けだ」


 ギヴァーはどこか懐かしむように、面白そうにクスクスと笑う。

 風が、リーベの花に甘い香りを伝えた。そこで彼の目は、初めてギヴァー以外を映す。二人が居るのは、青い花畑。ギヴァーの後ろに、一軒の家がある。


「ここはどこだ?」

「私の診療所だ」

「しんりょう?」

「心に傷を負った人間が、お喋りをしに来る病院さ。ここでの立ち話もなんだから、中でお話しでもどうだろう?」

「帰らなきゃ」

「あとで帰れるよ。大丈夫。今日は話をするだけだからね」


 手を差し伸べられるも、リーベは周囲を見渡した。見知らぬ場所。建物は診療所以外見当たらない。

 ここで手を取らず、どこかへ逃げてもギヴァーは追ってこないだろう。どうしてか、彼はそういう事をする人ではないと確信が持てた。だが逃げたところで、行き着く先がない。となれば、選択肢は手を取るのみとなる。


(わたしの勘違いじゃなかったら、楽園について、聞けるかもしれない)


 そうすれば少しはリーラの役に立てる。そして、どうしてギヴァーが楽園なんて恐ろしい未来を考えるか、理由を知りたい。だってあの時の声も、今も、どうしても彼が悪者には思えないから。

 リーベは知るために白い手袋に包まれた手を握り、彼の案内で玄関のドアをくぐった。

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