大天使

 核が粉々に弾け飛んだ反動で、テンシはリーラの胸元へ飛び込んだ。その拍子に、二人の翼が散るように消えた。リーラは小さな体を抱きしめ、背中から落ちる。

 僅かに息の詰まる痛みに顔を歪めたあと、彼女は手の中に違和感を感じて開いた。黒い手の平に転がったのは、見る角度によって赤と青に色を変える石。核の一部だ。


「どういう事だ……?」


 彼女の口から疑問が零れたのは、胸の中にまだテンシが居るからだ。通常、テンシは核が己の対外に出たり破壊されれば、羽となって姿を保てなくなる。

 そのはずなのに、テンシはそのまま。しかも、顔ができている。先程までは白い不完全な彫刻のようだったのに、今は少し幼さを残した少年の顔があるのだ。

 竜真の恐怖と歓喜に震えた声が紡いだ言葉を思い出す。あの男は、コレを大天使と呼んでいた。しかしにわかには信じがたい。


「リーラ!」

「リーラさん……!」


 遠くからの悲痛な呼び声が、リーラの意識を思考から覚ます。結界の外で待つよう指示したミアたちが、走って来ていた。忠徳たちから強大な相手だと聞いているだろうから、相当心配をかけてしまっただろう。

 リーラは申し訳なさそうな笑顔で、無事だと知らせるために皆へ手を振って見せる。そんな彼女の首へ一番に抱きついたのは、誰よりも重そうな服を着たミア。


「もう馬鹿ぁ! 俺たちなんのためにいるのさあ!」

「はは、悪かったよ。キミらを失うには惜しいからさ」

「う~」

「ミア、リーラさん疲れてるから」

「いいよヒスイ君」


 離れるように促す翡翠を静止させ、磁石のようにくっ付いたミアの頭を撫でる。


「良かった。無事みたいだね」

「!」


 頭上から別の声が降った。それは、今日集めた五人のものではない。安心したようにそう言ってリーラに手を差し出したのは、三十代ほどに見える男。

 なんの変哲もない、ここに居る六人に比べれば一般人に紛れそうな見た目だ。だからと言うべきか、異質に見えるのは、瞳が目蓋によって隠されている事だろうか。それなのに、何故か目が合っている感覚がする。

 しかし、ミアは彼の存在に気づくと、慌ててリーラを解放する。束縛が解けて手を取った彼女は、意外そうな顔をした。


「早かったじゃないか、マスター」

「一大事と聞けばね。君が死んだと知ったら、子犬に噛まれてしまう」


 それは嫌だと、彼は苦笑いした。

 リーラが口にした『マスター』。それはテンシ狩りという組織を作った張本人。人混みにでも入れば、一瞬で見失いそうな見た目だが、各国の代表が束になって掛かっても敵わない相手だ。気さくに話すリーラでさえ、逆らおうとは思わない。

 マスターは立ち上がったリーラの腕が抱える子供に視線を向ける。


「その子が、聞いていたテンシ?」

「大天使だそうだ」


 目蓋が下がったままだから確かではないが、その言葉にマスターは驚いたようだった。そしてしばらく思案に黙ると、二人は目だけで互いの考えを交わし合う。

 やがて目蓋越しの瞳は、逃げないよう未だ忠徳の肩の上に居る竜真に向けられた。竜真は背後からの視線に悪寒を感じ、体を震わせる。緊張に精神が研ぎ澄まされ、聴覚が普段なら聞き逃す足音も拾った。


「はじめまして、山崎竜真さん」


 いつの間にか前に回られ、竜真の喉からひゅっと恐怖の音が鳴った。マスターは穏やかな笑顔で、律儀に会釈する。


「色々、貴方からお話をお聞きしたいのですが」

「お、俺が言える事は何も」

「あぁ、勘違いさせましたね。了承を得るための会話ではなく、今後の予定を言いたいだけです」

「は?」

「話を聞くために、家に招きます。ただ、その間喚かれると迷惑なので──」


 マスターはそこで言葉を区切ると、静かに片手を挙げる。皆、それに応えて目を閉じた。全員の瞳が隠れたのを確認した彼は、いったいなんだと忙しなく左右する竜真の顔を両手で包んだ。

 竜真の顔を向き合う形で固定すると、そこで初めて、マスターの目蓋が持ち上がる。そこに、。竜真は自分が見た光景に唖然とする。


「おやすみなさい」


 そうしている間に声が聞こえたと思うと、意識が闇へすぅっと引きずり込まれた。

 忠徳は肩がぐんと重くなったのを感じて目を開ける。担いだ竜真がグッタリしていた。

 マスターは少し離れると、スマホで誰かへ通話を始めた。それによって終わったと理解したのか、皆も遅れて目を開く。誰も、マスターが何をしたのか尋ねない。それは暗黙の了解だった。やがて通話を終えると、マスターは振り返り親しげに笑った。


「みんな、今日も協力してくれて、ありがとう。あまり怪我はないようだけど、念のためそれぞれで確かめてね。それじゃあ、次の任務までゆっくり休んでほしい」


 締めくくりの言葉のすぐあと、車のガスを吐く音が遠くから聞こえた。木々に隠れた山道から、一台の車がやって来た。車はマスターの背後で停まり、ゆっくり窓が開かれる。顔を見せたのは、円華と源郎だった。

 瓦礫の散らばった現場に顔をしかめる源郎の肩口から、花のような笑顔で円華が顔を出す。


「みなさん、お疲れ様です!」

「やあ二人とも」

「……ずいぶん派手に暴れたな」


 源郎の手厳しい感想に、リーラは肩をすくめる。彼の視線は、担がれて気を失った竜真へ向き、やがてマスターへ転がされる。マスターはそれに変わらず微笑みを返した。


「大丈夫、死んではいません。彼らもプロですから。それに、移動中騒がれては迷惑でしょう?」


 殺すなと言った相手は殺さない。託された仕事は必ずこなす。もちろん相手の動きによって、五体満足でとは限らないが。

 源郎はその一言で察したのか、口をつぐんで大人しく後ろのドアを開けた。マスターは後部座席に座らせた竜真の隣に座ると、最後に窓を下げる。


「それじゃあみんな、また。リーラ、その子の事、報告頼むね」


 それぞれが会釈する中、リーラは葉巻を挟んだ手をひらひら振る。そうして車が山道の向こう側へ消えるのを見計らい、彼女は五人へ振り返った。


「そいつ、どうするんだ?」

「様子見だ。さて諸君、今日はここで解散だ。あ、そうそう、飲み会は予定通り行うから、空いている者はぜひ来てくれたまえ。ワタシは少し遅れるから、先に始めて構わないから」

「は~い」

「お疲れ様でした」


 リーラは葉巻を口に移すとテンシを抱え直し、皆に見送られながら現場をあとにした。


        ─── **             ─── **


 人の気配が消えた夕方。山奥に密かに建てられていた研究所は、その頃には跡形もなくなっていた。散らかった瓦礫は迅速に片付けられている。まるで建物など最初からなかったかのようだ。そんな騒がしさが掻き消えたそこを、三人分の足が踏む。

 クリーム色のスーツは、田畑しかないここにはあまり馴染まない。小綺麗な見た目の男は、右手で作った拳を、ぶるぶると震わせていた。片方の手を繋いだグレースは、その怒りで震える彼を心配そうに見上げる。


「ギヴァー……大天使の場所、分からなくなった。ごめんなさい」


 申し訳なさそうに下がった頭を、ギヴァーは優しく撫でる。


「お前のせいじゃないよ。僕の人選ミスだ」


 日本は他国に比べ、天使という存在にあまり執着が無い。そんな中、ここ数十年でようやく足を伸ばせるようになった。

 本格的に天使作りをする際、協力を募った数人。その中に混ざった竜真は、人一倍天使作りに精を出してくれた。そんな彼とはいい関係を続けられると思ったが、それはギヴァーの思い過ごしだった。

 楽園に必要不可欠である【大天使】。人間界で大天使が生きるためには、人から天使となった器が必要だった。様々な失敗作を生みながらも、ようやく完成に身を結んだ。しかし竜真は、その圧倒的な力の前で魔がさしたのだろう。

 彼は強大な力を独り占めしようと、ギヴァーに無断で、器である玻璃をここに連れてきた。つまりは、裏切ったのだ。

 それを知り駆けつけたが、すでに竜真はおろか建物すらなくなっている。テンシ狩りに先を越されたとすぐ理解できた。


「やれやれ……あの子に味方する元天使、厄介だな」

「…………ギヴァー様。後始末は」


 潰されたような、聞くに耐えない掠れた声が二人の後ろから投げられる。それはギヴァーと似ているスーツを着た少年。帽子を目深にかぶっていて、顔は見えない。

 杖をついた白い手袋をした手が、何か耐えるように痙攣している。


「あぁ、すまないノア。すぐ済ませる」


 ギヴァーは右手を上げると、パキンと指を鳴らす。


「さあ、帰ろう。と思ったが、せっかくだし、少し観光しようか」


 無駄足だったが、かと言ってこのまま黙って帰るのはもったいない。せっかくだし、あまり来る機会の無かった土地を楽しく歩いて、思い出を作る時間にしよう。

 グレースは思ってもなかった定案に、緑と黄の混ざった瞳を丸くする。


「本当?」

「ああ。ノア、お土産を買っていくよ。ホテルへ行けるかい?」


 本当は一緒に行きたいが、彼はあまり長時間動くとつらい思いをする体だ。ノアは何も言わずにコクンと頷く。駅に向かった二人の背を見たあと、帽子の影から覗く青緑の右目が周囲をキョロキョロした。何かを探しているように見える。

 しかしなんの成果もなかったのか、やがて諦めるように目は影に隠れた。


「どうした?」


 立ち止まってこちらを見たギヴァーに首を横に振り、ノアは彼らの元へ向かった。

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