虹色の核
顔よりも幅のある刃の風圧は、ただ下ろしただけでも凄まじい。ヨアケはたまらず足に力を入れ、腕で顔を庇う。
「はははっ脆い脆い」
「……脳筋野郎」
「そのおかげで入れたじゃないか」
衝撃に飛ばされてきた鉄屑を払うヨアケの言葉に、忠徳はガハハと豪快に笑う。
彼は純粋な人間だ。しかし趣味である筋トレが功を成し、車一台程度ならば一人で持ち上げられるほどの力を持っている。もう歳も六十近いと言うのに、全く衰えを見せない。
「ひ、ひぃ!」
情けない悲鳴が聞こえた。二人のではない。ヨアケたちは、同時に瓦礫の向こうを見る。
ドアの残骸の奥に腰を抜かしているのは、白衣姿の男。見覚えのある顔だ。ヨアケは確認のため、ズボンのポケットの入れた写真を取り出す。それは、テンシ狩り全員に配られた物だ。
少しシワの付いた写真に写っている男で間違いない。
「お前、山崎竜真だな?」
「な、なんで名前を」
「俺らはテンシ狩りってぇもんだ」
状況を理解したのか、竜真はさあっと顔を青くさせる。悪事であると理解しているテンシ作りに加担しているのだから、その反応は当然だ。しかし、どうしてか彼は、逃げるどころかヨアケの足へ縋り付いた。
「あ? んだてめえ。くっ付くな、気持ちわりい」
「助けてくれ!」
忠徳とヨアケは、思ってもみなかった言葉に顔を見合わせる。許しならまだ分かるが、何故救いを求めるのだろうか。
「大天使が暴走したんだ」
「大天使?」
「お前さん何言ってんだ?」
「だ、だから──」
竜真の声が不自然に聞こえなくなる。それは、部屋の中でガラスが派手に割れた音にかき消されたからだった。
ヨアケと忠徳はその音に、室内へ顔を向ける。僅かに残った土埃が舞う部屋の中、いくつかのテンシの残骸が散らばっていた。壊れたガラスは、正面の壁。ガラスの中は小さな部屋のような作りで、何かを収容していたようだ。
その何かというのはおそらく、部屋の手前で、ガラス片に紛れてうずくまるものだろう。
「あれがテンシか?」
「人間じゃあねえな」
肌着すら付けない人間の子供がうずくまっているようにしか見えない。しかし長年バケモノを相手していたからこそ、彼らにはアレが人ではない何かであるのが分かる。
病的に白い体が、小さく痙攣する。いつ何が来てもいいよう構えた二人だが、その光景に思わず目を丸くした。震えた背中から、静かに、音を立てずに六枚もの翼が生えたのだ。子供の体には似合わないほど大きい。その神秘的な美しさには、思わず全員が見入った。
翼が呼吸するように、大きく上下する。しかしそのゆっくりとした動きは、空気を切るほどの突風を巻き起こした。
忠徳は咄嗟に剣を床に突き刺すと、ヨアケの腕を掴んだ。190を超える彼よりも二回りは小さなヨアケの体は、予想通り風に巻き込まれて足が地面から離れる。その側にいた竜真は、どこにも掴む物が見つからなかったのか、壁に激突して意識を飛ばした。
建物を半壊させるほどの突風が止んですぐ、二人を襲ったのは鋭い閃光。太陽を負かすほどの光の正体は、宙を舞うテンシの背後にある巨大な十字架。
その周囲を漂う小さな十字架が、彼らへ向けて雨のように降り注ぐ。
しかし薄いガラスの壁を無くした赤い眼が睨みつけると、十字架は途端に岩となった。忠徳はそれを器用に足場にすると、テンシも見下ろす上空へ飛び移る。
テンシは、鼻も口も無い。顔だと思われる形をした場所を、十字に重なったリングがゆっくり回っている。そこにいくつも嵌め込まれている目と、忠徳の焦茶の目が合わさった。どうしてか、太い柄を握る彼の両手が緩んだ。その青と緑、黄の混ざる不思議な瞳が妙な感覚を引き起こす。
「忠徳!」
ヨアケの声が、吸い込まれるような瞳から忠徳を引き戻す。しかし我にかえった時、彼に向けられたのは、先程とは比べ物にならない巨大な十字架。
忠徳は咄嗟に剣を投げる。相殺を狙ったが、目の前の光からすれば紙を破るのと同じ。長年の相棒だった剣は、光の中にある細くも鋭い十字架によってあっけなく砕かれた。
この職に就いていると、必然的に何度か死を味わう。しかし彼はそのスリルを愛していた。だから、これで死ぬのは本望。ただし、なんの功績も無しにやられるほど、脳筋ではない。
忠徳は分厚く硬いコートを脱ぐと、駆け寄ろうとしたヨアケへ投げた。この距離では意味がないが、あれは弾丸を防げるほどの防御力がある。だから包まれば多少はマシなはずだ。コートに邪魔をされながら、ヨアケの怒鳴り声が聞こえる。しかし、それに混ざって別の聞き慣れた声が囁かれた。
「──上だ」
瞬間、頭上で組まれた忠徳の両手に、ブーツのカカトが勢いよく落とされる。190を超える屈強な体は、その力で強制的に地面に叩きつけられた。
地面に伏せた体に走る痛みは、すぐ起き上がれる程度のものだった。あれは敵の攻撃ではない。何故なら上への防御を促したのは、仲間の──リーラの声だったのだ。
見上げた先、直前まで自分が居た場所にリーラの姿があった。彼女は鎌で十字架を受け止めると、力の限り薙ぎ払う。建物は光に溶けるように粉々に崩れた。
二人に背を向ける形で着地し、顔だけを振り返らせてニヤッと笑う。
「キミが死ぬのはまだだ。ワタシの目の黒いうちは死なせんよ」
「はは……それじゃあ一生死ねそうにねえな」
リーラはそれにカラカラ笑うと、改めてテンシを見上げた。テンシは、その者の望みが姿になる。たとえは単純だが、鳥になりたいと思えば鳥に近い姿となる。しかしこのテンシはその特徴が見当たらない。
紫の瞳が、気になる物を見つけた。それは、テンシが両手で胸元に抱える巨大な石。核だ。しかしその色は今まで見た事のない、虹の色彩。
「あれは──」
「あ、あれを壊すな!」
背後からの小さな衝撃と共に、焦りに震えた声が飛んだ。足に縋り付くのは竜真。リーラは彼の胸ぐらを掴むと、乱暴に顔を引き寄せた。
竜真はアメジストの目の奥にある明らかな殺意と嫌悪に体を震わせ、本能が両手を挙げさせた。
「よう、ein unerfahrener Arzt《ヤブ医者》……お前たち、何を産んだんだね」
「だ、大天使が、完成したんだ! そ、そそ、それがあれば、俺は、世界を」
「大天使だって?」
リーラは高揚した様子の竜真を遠くへ放り、大天使と呼ばれた相手へ向き直る。小さく舌打ちをすると、忠徳たちへ顔を振り向かせた。
「二人はリュウマを連れて、結界の外へ。コレはワタシが相手する」
未だ止めようと喚く竜真を忠徳が担ぎ、彼らは積もる瓦礫の外へ走って行った。
リーラは彼らを見届けると、目を閉じて深く呼吸する。そして力を込めるように丸めた背中から、パキパキと何かが弾ける音が聞こえたと思うと、真っ黒な翼が生えた。彼女の血には悪魔の力が混ざっている。しかしそれにしては、足元に落ちる羽の形が天使と似ていた。
リーラは地面を蹴ると、漆黒の翼を自分の体の一部のように使い、空を飛ぶテンシと肩を並べた。いくつかの目が彼女を見る。
「……? なんだ?」
妙な感覚だ。その目がまるで、縋っているように見える。そう思った瞬間、リーラは全身の毛穴がブツブツと震え立つのを感じた。その感覚に思わず自分を抱くように腕をさする。
(なんだこれは。恐怖……?)
だがおかしい。彼女は恐怖していないのだ。この感情は自身のものではない。外から流れ込んでくるようなものだ。
まさかと、リーラはこちらを見続けるテンシへ顔を向ける。
「オマエ、怖いのか?」
尋ねてから、違和感の正体に気づく。敵意が無いのだ。そして先程肌で感じた恐怖は、今はどこかへ消えている。それはおそらく、リーラがもう敵意を向けていないから。
そう、このテンシに敵意は無かった。あるのは、生まれた事への恐怖と戸惑い。そして突然現れた狩人の攻撃の恐怖だ。テンシが攻撃したのは、ただ抵抗するため。
「……分かった。攻撃をしないと誓おう。オマエを傷付けないと誓おう。だから、おいで」
リーラはテンシに手を差し伸べた。こういった場合、相手がいくら狩る存在だとしても、刃は向けない。それが彼女のモットーだ。
テンシは恐る恐る、輝くような真っ白な手を伸ばす。そしてお互いの手が重なった瞬間、胸元で瞬いていた核に亀裂が走り、弾け飛んだ。
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