家族の約束

 ガラステーブルの上に、可愛らしい餡が上品に盛られた皿が置かれた。どれも花や動物などを鮮やかに象っていて、見事な芸術だ。

 由香里は、天がオススメの和菓子屋でひと息つく事となった。彼は常連のようだが、近くにこんなところがあったなんて、知らなかった。

 天は勿体なさそうに食べるのをためらっていたが、そっとひと口運ぶ。そして慣れた手付きで抹茶をすすり、幸せそうに顔を綻ばせた。彼の好物は和菓子。その見た目からは意外だが、美しさに加えて濃厚で優しい甘さが大好きなのだ。

 桜の餡を口へ運びながら、天は由香里からの視線に気づく。意味はすぐ分かった。


「意外? 和菓子好きなの」

「あ、うん。天さんってハーフ?」

「ううん。私、天使だったんだ」

「えっ?」


 天はさらっと言うと、続いて運ばれて来た半透明の美しい羊羹を口に運ぶ。由香里には嘘を吐く気が無くなった。だから、何も隠そうと思わない。

 しかしポカンとした彼女に、天は慌てる。


「別に人間を襲おうと思ってるんじゃないよ? もう今は、多少傷の治りが早い程度にしか力なんてないし、そもそも私天使嫌いだったし」

「どうして?」

「えー? まあ色々あるけど……つまらないからかな。天界より断然人間界の方が好き。私、人間大好きなんだ。あ、この格好は、好きな人が綺麗って言ってくれたから」


 天は長い髪を口元に寄せ、女性のようにふふっと笑う。

 人間に憧れて、人間として堕天した。そこで彼が初めて口にしたのが和菓子。憧れるだけだった食べ物や世界に触れ、今はとても謳歌している。しかし後悔に近い悩みが一つあった。


「人間の体ってさ、なんでこんなに美味しい物ほど太るの!? 昔は何もしなくて良かったのに、ほっといたら十キロは行くんだけど!」


 天は頭を抱えながら、もうひと口桜餡を頬張る。真剣な顔でそんな事を言うなんて、誰が予想できるだろうか。

 由香里は自分の前に出された長細い皿に乗った、花形の餡へ手を伸ばす。真っ赤な薔薇の形をしていて、刺しかけた楊枝を止めた。胸元に輝く薔薇の石と重なり、ついさっきまでの出来事を思い出させる。なんだか、現実味が無かった。

 指が無意識に石に触れたのを天は視界に止め、食べようと切り分けた手を止める。


「その石、気になる?」

「あっ……うん。ローズクオーツかな?」

「それは宝石じゃないよ。一般には核って呼ばれる、天使の心臓」

「え、し、心臓?!」

「そう。あぁでも、悪さはしないよ。リーラが綺麗にしたから」


 核を体外に取り出せば、テンシは死ぬ。しかし放っておくと、生き物に悪影響を及ぼす事例があった。だがギフトとなったこれは、リーラが特別な方法で浄化し、むしろ人間を守る物として活躍する。

 浄化された事によって、ギフトを持った人間に天使は近づけない。元々天使が自らのために作った核が、逆に人間を守る手段となるなんて、ずいぶんな皮肉。だからこそ、彼女はこれを【ギフト】と呼んでいるのだ。

 由香里は、人形が触れようとしたあの一瞬、手をたしかに拒絶したのを思い出す。これが無かったら、今頃どうなっていただろう。はじめての事ばかりで想像すらできないが、ぞっと寒気を感じる。


「そういえば、由香里さんすごかったね。人形の言う事聞かなかったの。ああいうの、意外に手を取っちゃう人多いんだよ」


 たとえ相手が別人だとしても、大事な存在を出されると人は「もしも」を想像し、無意識に自分で可能性を作る。リーラはそれでも救うが、そのせいで恨みも買っていた。

 すると、由香里は少し恥ずかしそうに、それでも悲しそうに微笑んだ。


「私たちね、一つ、約束をしてるの」


 両親とは、交通事故で死別した。まだ六歳と10になって間もない自分たちは、母に抱きしめられた事で、奇跡的に無傷。しかし愛してくれた両親が死んで、しばらくは二人で泣き合った。

 そんな中行われた葬儀で、皆口々に由香里たちへ「可哀想」と言葉を残す。しかし由香里はそれに対して疑問を持った。


「だって、私たちは助けられたんだよ。それなのに、可哀想は変じゃない?」


 遺された自分たち。救われた命。残った事は、きっと可哀想じゃない。だから幼い満と約束をした。たとえ互いに死別したとしても、絶対に後を追わない事。遺された方は、必ず生を全うする事を、約束した。

 だから彼女は「一緒に天国へ行こうと言ってた」という人形の言葉に、惑わされなかったのだ。


「……強いね、由香里さん」

「ううん。それに、リーラさんと天さんの事も、信じてたから」


 そう言って笑った頬に、一粒涙が落ちる。天は慌てて拭った彼女の頭を、優しく撫でた。



 風情ある丸い窓から差し込む日差しが、濃くなってきた。そろそろ外に出ようとした時、コツリコツリと、聴き馴染みある音が聞こえた。


「やあ、美味そうだ」


 頭が予想した声が聞こえたと思えば、天の皿に残された残りの餡を、黒い指がひょいと盗んだ。目で追ったツバキを模した餡は、リーラの口の中に放られる。


「あっ私の!」

「ん~、働いたあとの甘い物は格別だね」

「あ、リーラさん」

「ずいぶん待たせてしまってすまない。全部片付いたよ。それでだが……あー……外に出ようか」


 彼女にしては、歯切れ悪い。天は何故か溜息を吐くと、由香里に立ってと手で指示する。

 外はやはりもう夕方で、小学生たちが楽しそうに走って下校していた。家の玄関前でリーラは立ち止まると、改まって由香里と向き合う。その顔には、いつもの笑顔が嘘のように消えていた。


「弟君の事だが……もう彼は、亡くなられている」

「あ……やっぱり、そう、ですか」


 テンシ化していた場合は満自身と言えるが、人形は別だ。人形はあくまでその人物を模して作られる。満は治験中に異常を来たし、本体はもう処分されただろう。


「ユカリ君──」

「ありがとうございました」


 小さな声を遮った由香里は、深々と頭を下げた。予想していなかった反応に、リーラはキョトンとする。どうして大切な弟の行方を知って、礼を言ったのだろう。

 反応できないでいると、由香里は下げていた頭をようやく上げた。その表情は、言葉のままの笑顔。


「リーラさんは、私と弟の心を守ってくれました。本当に、ありがとうございました」


 心からの言葉であるのは、誰が見ても分かる。恐怖や諦め、悲しみが無い。

 リーラは開きかけた口を閉じ、形作った言葉を飲み込んだ。咀嚼したのは、謝罪の言葉。もっと早く動いていれば助かった命。そして由香里にとっては唯一の家族の命だ。だから恨まれ、打たれる気でいた。

 今の彼女の気持ちが分かるのなら、この言葉は相応しくない。


「キミが無事で、良かった。そしてこの件の事だが、本拠地が分かった。近いうちにテンシ狩りたちと乗り込む。これ以上被害を出さないと、約束をしよう」

「はい……!」

「さて、疲れているだろうが、最後に一つ。後日、国から見舞金がキミの銀行に振り込まれる。何も言わず受とってほしい」


 見舞金と称しているが、実際、半分は口止め料でもあった。本来はこの他にも、日常生活に支障がない程度にだが、情報漏洩を防ぐために国から定期的に視察される事となる。

 今回は、由香里の性格を見て、リーラがその必要は無いと断言した。予想通り、何か察したのか、由香里は何も言わずに頷く。


「何か、キミからあるかな?」

「あっ……えっと、あの」


 由香里は願うように胸元で汗ばんだ手を握ると、目線を左右に迷わせる。悩みに産んだ沈黙を、意を決して破った。


「また、会えますか?」


 恐る恐ると言ったような望みに、リーラと天は驚いて視線を交わす。


「アマ君と会いたければ、あの喫茶店に行けばいいよ」

「リーラさんとは?」


 本当だったらこんな出来事、はやく忘れて健やかな日常に戻るべきだ。さり気なくそう言ったつもりでもある。由香里もそれは分かっているだろう。だが会話を続けたという事は、食い下がる気が無いという意思表示だ。

 リーラは仕方なさそうな息を小さく吐くと、足のポーチを探る。差し出したのは名刺。テンシ狩りではなく、宝石店のオーナーとしての物だ。


「何か用があったら、ここへおいで。お茶くらいは出せるから」

「! ありがとうございますっ!」


 由香里は花咲くような笑顔で、大切そうに名刺を抱きしめた。



 由香里を無事見送ったあと、リーラは笑顔を解く。無意識だろうが、それを横目で見た天には理由がよく分かった。


(またあんな顔してる。別にお前のせいじゃないじゃん)


 天は沈む影を見せるリーラの顔が嫌いだった。

 犠牲者に対し、彼女はいつも真摯に向き合う。いつも明るく振る舞っているが、一人一人の死に敏感だ。そして今回のように、家族が死別する状況が、彼女の心を最も痛ませる。

 地面を踏む靴を意識せず眺めていたリーラの視界が、後ろからの衝撃でブレる。なんだと背後を見れば、天が不満そうな顔でぶつかっていた。


「私に労いは無し? あんなに体張る気なかったんだけど」

「あぁ、たしかにそうだ。何が望みだね」

「飲み行く」

「……ん? 今からかい?」

「決まってんじゃん。全部リーラの奢りだからね」


 天はリーラの腕に蔓のように手を絡ませると、駐車しているバイクへ引きずり込む。別に逃げる気はないが、彼にしては珍しい強引さだ。まだ上司へ報告する作業が残っているのを知っているはずなのに。

 天はバイクにまたがり、ヘルメットを隠す寸前にポツリと呟いた。


「由香里さん助かったんだから、そんな顔するなよ」


 まるで拗ねている子供のような声だった。天は逃げるようにヘルメットをかぶると、もう一つをリーラの腹へ押し付ける。彼女は呆気に取られたようにキョトンとしていたが、小さく吹き出した。


「キミは可愛いなぁ」

「可愛くないし、私は綺麗系だし」

「あはははっうんうん、可愛いね」


 リーラはいつもの調子でカラカラ笑い、ヘルメットをかぶると天の後ろへ乗った。


「ありがとうね」

「お酒まずくなるから嫌なだけ」

「ふふふ、分かってるとも」


 やっぱり誘わなければ良かった。優しくて安心したような笑い声に、天はそう後悔しながらエンジンをふかした。

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