天使の人形

 各国で一人選ばれた代表は、マスターと呼ばれる男の指示に従う。最近、彼から新しい天使の動きを聞いた。まだ実例が少なく、対策もされていない未知の存在。それが【天使の人形】だ。

 正体は、名前通りの人形。人間の姿や性格をそっくりそのまま真似る。しかし人形だからこそ、感情が読み取れない。だから敵意が無いと判断したのだ。人形の元となった満は、テンシ化する事なく死んでしまったのだろう。

 由香里は満を止めようと、羽を握る手に腕を絡めた。全力で抑えているのにびくともしないのが、人間ではない何かだと伝わってくる。


「や、やめて!」

「……そうさ、俺は人形だ。だけど貴女に幸せを持って来たんだ」

「ユカリ君、耳を貸すな」

「黙れ。お前の正体、知ってるぞ。穢れた血を持った悪魔め」


 悪魔──天使とは真逆に位置する存在。

 たしかに、リーラにはそんな悪魔の血が半分流れていた。半分という事は、もう一つは別の血。少々複雑な家系だが、簡単に言えば彼女はハーフだ。だからこそ、バケモノとまともに素手で戦う力を持っている。


「本当、なんですか?」

「ああ。どこから聞いたか知らないが、正しい情報だ」


 驚いている由香里に、人形は不気味な笑みを隠せずいた。悪魔と聞けば、いくら天使について話を聞いていたとしても、恐怖が向こうへ行く。もう少し誘えば、彼女にとっての敵と味方が入れ替わるだろう。

 天は、未だリーラの腕に食い付く羽を抜きながら、慌てたように小声で言った。


「どうすんのっ?」

「ふむ……ギフトが反応してくれるのを願うか」

「賭けじゃん」

「大丈夫、死なせないさ。フォローは頼んだぞ」


 今、由香里は人形の手中。そうなると、下手に近付いたり動けば危険が彼女に及ぶ。お守りは渡した。悪意によって反応するするその石の薔薇が咲くのを願う。もし反応せず危険が降り掛かろうとした時は、銃の引き金を引けばいい。


「俺は貴女の味方だ。その証拠に、弟から頼まれごとをされているんだ」

「え?」

「天国へ連れてきて欲しい、と」

「天国?」

「そう、満が居る場所だ。貴女たちは、唯一の家族だったと聞いている。そんな貴女を独り、残したくない。だから一緒に、楽園で過ごそうと」


 丸くなった紅茶のような瞳が、全てを理解したように閉じられる。恐怖でキュッと結ばれていた唇は、緩やかな微笑みを浮かべていた。人形は表情の変化に、唇をニィッと不気味に引き上げる。

 確実に堕ちた。またこれで一人、天使化する。しかしそう確信した時、由香里の目蓋がすっと開く。その瞳は、何故か強い怒りを滲ませていた。


「嘘」

「……は?」

「あの子は、絶対にそれは言わない。もう弟の姿で、嘘をつかないで!」


 彼女の手は差し出された偽りの手を通り越し、偽物の頬を叩いた。パシンと軽くも鋭い音が、部屋に響く。

 予想だにしなかった展開に、人形は間の抜けた顔をした。が、それも一瞬。すぐに怒りに歪め、由香里に襲いかかる。しかし触れそうになった手は、また別の何かに拒絶された。

 焼けるような痛み。人形は由香里の首元を飾る、ピンクの石の存在に気付く。


「それはっ──」

「ギフトさ」


 低く、どこか愉快そうな声が間近で聞こえた。

 人形は反射的に、腕で盾を作るように胸の前で固めた。腕にリーラの足が直撃し、骨の奥に響く。衝撃の強さで、踏ん張った足が勝手にズルズルと滑った。人形が言えたものではないが、化け物の力だ。

 人形が身を庇った事で、由香里の体は解放された。突然の事によろけた体を、天が支える。


「リーラさんごめんなさい、私……!」

「いいんだよユカリ君。ワタシを信じてくれて、ありがとう。あぁ、部屋を散らかしてしまうが、許してくれ」


 少し仕方なさそうに眉根を下げて笑った彼女の言葉で、人形の変化に気付く。人形の周囲を、椅子や本棚が浮いている。

 窓から差し込む日差しに、一瞬だけ白く瞬く物が見えた。それは糸。ピアノ線のような硬く細い糸が、人形の手から出ている。それによって物が操られているのだ。


「祝福を受けられないヤツが、我々の邪魔をするな」

「生憎だが、お前らから祝福の祝福なんざ欲しくないんだよ」


 数本の糸で宙に浮いた本棚が、三人へ放り投げられる。

 天は由香里を庇うように抱き寄せ、背中を向ける。腕の中で悲鳴に満たない喉の音を聞くと、彼は安心させるように頭に手を置いた。


「あいつは大丈夫」


 たしかに人間でないとは聞いた。しかし背を超える本棚がぶつかれば、ひとたまりもないはず。由香里はなんとか、天の肩から顔半分だけを出した。危ないと忠告されるが、耳を通り抜ける。

 バキリと、大木が割れるような音がした。音の直後、何かが部屋に舞う。それは木の断片。先程まで、本棚だったものだ。


「あ、ほら言ったじゃん、危ないって。大丈夫? 刺さってない?」


 天は由香里が頭にかぶった木クズを払う。

 何が起こったか。確かに目で見届けたのに、理解が追いつかない。リーラの前面に迫った本棚。しかし彼女は身を守ろうとするどころか、巨大な相手を蹴りつけた。途端、頑丈に作られた本棚は爆発するように、粉々になった。人智に収まる力ではない。

 天はこうなる事が分かって、由香里を庇ったのだ。本棚からではなく、鋭利な破片から守るために。


 休む暇なく椅子、机が投げられる。しかしそれも、当然のように蹴り落とされた。

 次あの足に当たれば、偽物の体はたとえ死ななくてもひとたまりない。だがその心配は無さそうだ。糸を使いさえすれば、距離は保てる。

 しかしいくら何かをぶつけても相殺される。これではキリが無いが、人形の顔は勝気に笑っている。


「!」


 リーラは手がクンッと引っ張られるのを感じた。いつの間に仕掛けたのか、何十もの糸が両腕に絡んでいる。

 そう、物が駄目なら本人を捉えればいい。


「操れるのが物だけだと思うな」

「ふむ、なるほど」


 リーラは強度を確かめるように、軽く糸を引っ張った。人間の肌はきっと細切れになる。針金のような丈夫さだ。

 しかし人形はゾッとするのを感じた。リーラの唇が、面白そうに引き上がったのだ。彼女は大きく足を開くと、腕を思い切り振った。そんな事をすれば腕が切れる。そう思ったのに、切れたのはシャツだけだった。糸から人形に伝わる皮膚は、まるで鋼の硬さ。

 振られた事で一瞬緩んだ糸が、ピンと張る。その意味を理解した時には、人形の体はバランスを崩して宙を浮く。そのままの反動で、体はリーラの目前に引き寄せられていた。


「あっ……?!」


 空中で身動きが取れない。人形は庇う真似すらできず、そのまま壁へ蹴り飛ばされた。

 ボキリと、体の奥から骨の悲鳴を聞いた。体は座る形なのに、視界が真横に傾いている。


「くそ、化け物がっ」


 人形は九十度傾いても悪態をつく余裕があるようだ。握った手に無数の羽根が見える。それが手から放たれるより、銃口から弾が飛ぶ方が早かった。赤い弾は数発、続けて発砲する。全て四肢を捉え、羽根は投げられる前に床にヒラヒラと落ちていく。


「無駄だ、俺は人形だぞ。死なんてない」


 そう言って笑った顔が、不思議そうな表情に変わる。と思えばすぐに、人のような汗を浮かべ出した。反対に、リーラはいつもの笑顔を見せる。


「再生できないだろ? 特別仕様なんだ」

「は、あっ?」


 人形は混乱と焦りに言葉を忘れる。傾いた視界に映る足が、一歩一歩近づいてくる。

 リーラは人形の前でかがみ、耳元に囁く。


「主人の名は?」


 首を横に振った体は震えていた。人形でも、ありえないと高を括っていた死は、怖いようだ。右目が黒く染まる。奥に赤い弾が見えた。歯の根が合わず、カチカチなる口を必死に動かして人形は叫ぶ。


「ほ、本当に知らない! 覚えていない!」

「ならいい」


 言葉とは裏腹に、銃の引き金に置いた人差し指はあっさり引かれた。水気を含んだ爆発音が響き渡る。すぐあと、ドサリと重たい物が倒れる音がした。


 引き金を引く前、由香里の視界を天の両手が隠していた。だから彼女は、何が起こったのか知らない。発砲音のせいで上げた鼓膜の悲鳴が治まった頃、ようやく目隠しは外される。

 二人の足元に、コロコロとビー玉のような物が転がってきた。それは人形の目玉。持ち主は、葉巻を吸うリーラの横で崩れ落ちている。その姿はもう弟ではなく、ただの球体人形だった。


「怪我は無いか? ユカリ君」

「は、はいっ」

「私の心配は無し?」

「アマ君の事は信頼しているからさ」


 ムスッとした天の顔が、その一言にまんざらでもない様子に変わる。

 リーラの紫の目が、二人の体を確かめるように移動する。服の擦り切れすら無いと納得したのか、頷くとスマホを取り出した。聞かれたくないのか、天たちに背を向け、部屋の角で小さく話しかけている。


「ねえ、天さんってリーラさん好きなの?」

「えっ? んなわけないじゃん! あ、いや、まあ、悪いやつじゃないし? 友達でいる分には損はないっていうか」


 友人関係という事だけに、ここまで否定と肯定を繰り返されたのは初めてだ。なんというか、彼女に対してだけ素直さが欠けるような気がする。

 ふと、二人の間に人影が落ちる。そこを見れば、リーラがニコニコと天の弁明を聞いていた。彼はそれに気づくと、顔を真っ赤にさせて頬を引きつらせる。


「キミには既に、ワタシが入る隙の無いほどの人が居るもんね?」


 そう言われると、天は目を逸らした。目は口ほどにものを言うとは、彼のために用意されたような言葉だ。


「ところでユカリ君。もう少しで警察がやってくる。その間、アマ君と外で待っていてもらえないだろうか? なんなら、近くでお茶をして来てもいいよ」


 由香里は被害者であるため、知る権利がある。しかし同時に、全てを教える事もできない。それは今後訪れる普通の幸せを守るためでもあった。

 素直に頷いた由香里は、天と共に家を出る。天の提案で、近所の和菓子屋に行く事になった。

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