弟の正体

 平日の住宅街で、道を行く人はまばらも居ない。それでも念のためにと、彼らは陽も立ち入らない隅に寄った。

 標的は由香里の三つ下の弟、佐藤満。彼は最近治験バイトから帰宅して、何ら変わらない日常を過ごしていると言う。しかし話を聞く限り、血と絆が結び付けていた姉の感覚が正しいだろう。

 リーラは、天が駐車場にバイクを置きに行っている間に、本題に入った。


「キミ、他に家族は?」

「居ません。小さい頃に死別していて」

「そうか……。残酷を言うようだが、弟君はもうキミの知る弟君ではない。いや、もはや人間ではないだろうね」

「人間じゃ、ない?」

「おそらくは、テンシ化しているだろう」

「て、てんし?」


 突拍子の無い存在に、由香里はポカンとする。必死に思考を巡らしているのが、瞬きの多さでよく分かった。

 さらに混乱させるようだが、ここではゆっくり理解をさせるより、無理に状況を飲み込ませる方がいい。そうした方が、悲しみも今は薄れる。


「そう、テンシ化。人間が天使になる現象だ。見た目はともかく、天使はキミが想像しているモノで間違いないよ。だが、テンシは成り損なった化け物だ。ワタシはね、それを狩る……まあ平たく言えば、殺す仕事をしているんだ」


 満の受けた治験の目的は、人間から天使を作る事とみて間違いない。ここ数十年で増え続けるテンシ化。

 天使は人間の願いを叶える事ではなく、天使を作り出すのが目的だというのが、最近になって判明した。理由は一つの説が浮上しているが、何故わざわざ人間からなのかは分からない。しかしこれまで、ほとんどがテンシになっているのをみれば、失敗に終わっているようだ。

 治験バイトとして行っているのは、人間を堂々と集められるからだ。院長は、テンシ化を企てる人物との繋がりが強いのだろう。だとしたら、尚更逃すわけにはいかない。

 テンシは、初めのうちは見た目もほとんど変わらない。しかし、大きすぎる力は欲をかき立て、最終的には溺れる者がほとんどだ。

 力によって理性が奪われた彼らは、最終的に見た目もバケモノになってしまう。そうなった者を、被害が他におよぶ前に始末する。それがテンシ狩り。国が極秘にしている、陰の職業。


「じ、じゃあ満もテンシになっていて、殺さなきゃいけない……って事、ですか? あ、でも凶暴化するのは、ほとんどなんですよね。全員じゃなくて」

「その通り。キミは賢いね。ワタシも仕事とはいえ、無闇にキミから家族を奪いたくはない。だから……弟君の理性が勝っているのを願うよ」

「もし理性があったら?」

「保護をする。彼の理性が強く、人間に戻る事を望むのならね」


 リーラは殺意の無い者や力を嘆く者などを中心に、保護活動をしていた。彼らが人間に戻れるよう研究し、世話をしている。

 もし満がそれを望むのなら、敵としてではなく、保護対象として迎え入れる気でいる。聞けば温厚な性格だと言うから、そのままの欲に溺れないでくれるのを願うばかりだ。由香里が悲しむ姿も見たくない。


「だがね、これは可能性であって、確実ではない。分かるね?」


 そう、これはもしもの話。現実的にみて、理性を保つテンシは少ない。由香里は皆まで言わずとも分かったのか、数秒間のあと、唇をキュッと結んで頷いた。


「ユカリ君、最後の忠告だ。できるだけ、弟君の言葉に耳を傾けないでくれ」

「どういう事ですか?」

「キミを狙うからだ。兄妹として同情を誘ったり、共に堕ちようとするだろう。だから、決して彼の手を取ってはいけない。あと……そうしてしまった弟君を、どうか責めないであげてほしい」


 彼女へ情けを乞う彼は、別者なのだ。この出来事で、唯一の家族へ嫌悪を持ってほしくない。悪いのは天使であって、彼に罪はないのだから。

 由香里は一瞬目線を下げたが、小さく頷いた。


 近くの駐車場から天が戻ってきた。早速家の中へと、由香里が鍵を差し込む直前。すると、リーラは何か思い出したように二人を止めた。


「そうだ、キミは金属アレルギーとか持ってるかい?」

「え? えっと……た、たぶん無いです」


 日常的に、金属で苦労した記憶はそこまで無い。それでも大事な問いなら確実な回答をと、由香里は答えたあとも、曖昧な記憶を必死に探った。

 そうして上の空でいると、「失礼」と言う声と共に、リーラの両手がすっと首へ伸びる。由香里は肌に手袋の柔らかな布が擦れ、思わず目をつぶった。


「これは、ワタシからのプレゼントだよ。好きなデザインならいいが」


 言葉と同時に、手はすぐ離れていった。しかし首に微かな重みが残っている。体を見下ろすと、胸元に煌めく何かが見えた。それは、透き通ったピンクの石。丁寧にカットされ、薔薇の蕾を飾っていた。

 美しさに少しの間見入り、一体どういう事かとリーラを見上げる。彼女はとても優しい笑顔を浮かべていた。目が合うと、手が優しく頬を撫でる。


「うん、いいね。立派なレディでありながら、少女のように鮮やかなキミによく似合う」

「あ……へ、ぇ?」


 つらつらと並べられる甘い言葉に、由香里の顔は真っ赤になった。同性であると分かっていても、何故か心臓が大きく跳ねる。

 熱に浮かされたように口を震わせていると、天は彼女の肩を引き寄せ、リーラから距離を取らせる。


「口説くな人たらし。由香里さん、コイツ男女関係なく食うから気を付けてね」

「人たらしはキミに言われたくないぞ。あとワタシは紳士だ。誰かれ構わず食わんよ」


 リーラは胸の前で腕組みをすると、ふんっと天に鼻を鳴らす。二人のやりとりに、顔に溜まっていた由香里の熱は引いた。彼らの会話がなんだか面白く、思わず小さく笑う。

 ネックレスは、念のために持ってきたロイエの商品の一つ。それも単なるプレゼントではない。彼女を守ってくれるお守りだ。


「さ、準備は終わったから、ドアを開けておくれ?」


 背中をポンポンと撫でるように押され、由香里は流されるままにノブを回した。その手は先程あった震えは消え、リーラは胸の内で安堵する。

 家の中は、二人暮らしとすると少し広く感じる。二階建で、過去は一階が共同スペースと両親の部屋、二階が由香里と満の部屋と別れていた。一階はしんとしていて、人の気配は無い。しかし天に視線を向けると、不愉快そうに眉根を寄せていた。どうやら天使の匂いがしているようだ。

 案内で、満の部屋の前に立つ。ノックに青年の声が返って来る。念には念をと、扉は由香里ではなくリーラが開けた。

 首が回る椅子に腰を下ろす、青年の後ろ姿があった。本を読んでいるのか、紙の擦れる音が部屋に目立って聞こえている。


「おかえり姉さん。友達とのランチは楽しめた? どこに行ったんだっけ」

「あ、た、ただいま」


 恐る恐ると言った様子に、満は不思議そうに振り返る。その顔には、穏やかな笑みが変わらず浮かんでいた。しかしやはり、弟ではない別人に感じて気持ちが悪い。

 満は由香里を挟むようにして佇むリーラと天に気付き、眉根を寄せた。しかしそれは一瞬で、すぐに笑みを取り戻す。優しい笑みなのに、何故だか胸を掻き立てる不気味さを感じた。

 敵意は感じない。それでもリーラは念のためと、レッグポーチから銃を引き抜く。背後で守られていた由香里は、見慣れない黒い光の正体に息を飲んだ。

 恐怖の音はリーラにも聞こえている。もちろん、いきなり引き金を引くなんてしない。


「手っ取り早く言おう。姉上から話を聞いている。キミは、テンシだね?」

「宗教の方でしょうか? すみませんが、うちは無宗教で」

「それ以上は敵意と見なす」


 満は銃口を向けられ、チラリと由香里を見る。彼女は怯えたように肩を小さく跳ねさせると、急いで視線を逸らした。

 彼は仕方なさそうに溜息を吐き、少し切なそうに眉根を寄せる。


「貴女は、テンシ狩りですか?」

「そうだ。だが、キミ次第では保護しようと思っている」

「保護?」

「ああ。望むなら、人間に戻れるよ。キミから姉上に会うのは難しくなるがね。こちらは歓迎するよ」


 リーラは銃は向けたままだが、普段より優しい笑みを見せた。満の焦茶色の目が、紫の目と数秒間交わる。やがてふと彼の表情が弛んだと思うと、頷いて応えた。そこでようやく銃が降ろされる。


「あ……あの、姉に渡したい物があるんです。間に合わないと思うから」

「私に?」

「うん。姉さん、誕生日もうすぐだろう? プレゼント、用意してあるんだ。少し早いけど……受け取ってくれる?」


 その笑顔は、やはり由香里にとっては別人。それでも、優しさは弟のものだった。

 彼は別人になった。それでもそれは体という器だけであって、中身までは変わらない。弟に対する恐怖が、ほんの少しだけ和らいだ気がする。由香里は隠れていた背中から前に出た。リーラは何も言わず、大丈夫だと言うように優しく肩に手を置く。

 理性が強い。どうやら今回は、引き金を引かなくて済みそうだ。しかしそう安心したリーラの後ろに居る天は、少し怪訝そうな顔をしている。


「ねえ、いいの?」

「ああ。敵意が見えない。何か気になる事でも?」

「私も敵意は見えなんだけどさ、それにしてはなんか、変な匂いする」

「どう変なんだね」

「んー、なんか、物みたいな」


 その言葉にリーラは既視感を覚えた。感覚の正体を探ろうと、脳が一瞬で記憶が振り返る。まさかと気付いた時、ヒュンッと鋭い音が鳴った。

 彼女の頬に赤い線を作ったのは、灰色の羽。天はギョッとして満たちへ視線を戻す。しかし、目の前をリーラの腕が遮った。直後、ドスドスと鈍い音がする。降ろされた腕に、シャツ越しで何枚もの羽が突き刺さっていた。

 由香里は声の無い悲鳴をあげる口を、両手出覆って目を見開いている。


「すまないユカリ君。誤算だったようだ」

「えっ?」

「……オマエ、天使の人形だな?」

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