第50話【それぞれの覚悟】
「ひぃ…!」
体内の血液が沸騰しそうな程の強烈な熱気に堪えかねて、敵味方問わず次々と戦線から背を向けて離脱する兵士達。
草木は焼け、辺り一帯に火が
そんな戦場の中心で、折れた雷光剣と共にアスレイが地に伏していた。
力を使い果たし、かろうじて意識があるだけの彼にもう戦うことはできない。
一方で魔王は全く疲労もダメージも感じさせない堂々とした佇まいでアスレイのことを見下ろしていた。
もはや勝負ありだ。
魔王の圧倒的力を前にして、人類最強の戦士は全く歯が立たずに敗北を喫したのだ。
「…何か言い残すことはあるか?」
満身創痍で身動きの取れないアスレイに対して、ヴァルガスは冷酷に言い放つ。
「…俺の部下達を見逃してやってほしい」
「ふん、他の奴らなら尻尾を巻いて逃げ出したぞ、お前を見捨ててな。大した忠誠心だ」
「そうか…無事ならそれでいい…」
「…我を前にして最期まで戦い抜いたのは貴様だけだ。誇って死ぬがいい、勇者よ」
ヴァルガスが剣を振り上げ、アスレイは覚悟を決めて目を閉じた。
その時である。
ビキビキと地面に亀裂が入ったかと思うと、隙間から滲み出た赤い水が噴き上がってヴァルガスに襲いかかったのだ。
濁流によってその場から押し流されるヴァルガス。
「…ガルマ!」
これまでずっと余裕だったその顔に、初めて緊張が走った。
視線の先にはガルマとクレイス、そしてエリエスがいたからだ。
体勢を立て直す暇もなく、川から引いてきた水が次々と地面から噴き出し、水は竜の姿になってヴァルガスに食らい付く。
とっさに大剣で竜の首を落とすも、水でできた体は瞬く間に再生してヴァルガスを締め上げた。
全身が水に包まれ、息が止まる。
このまま為す術もなく決着するかに思われたが、突然水がブクブクと沸騰を始めたかと思うと、一瞬の内に蒸発してヴァルガスは水牢から脱出してのけた。
どうやら一筋縄ではいかないようだ。
「…あなたに恨みはないけど、人間に戻るために世界樹の種を貰うわ」
水の精霊の上でそう言い放つエリエスに、ヴァルガスは歯を剥き出しにして嫌悪感を露にした。
「王族の身でありながら、
「彼らは種を悪用しない。この戦争が終われば平和な世界が訪れる」
「違うな。貴様も本当は分かっているはずだ。ただ甘い言葉を盲信し、自らが悪に加担する事実から目を背けたいだけだと」
「そんなことない!」
「憐れな王女エリエスよ、心まで蛙に成り果てたか」
「あなたに何が分かるの!?」
エリエスの激昂を引き金に、膨大な水流が八ツ首の竜となって怒濤の勢いで押し寄せる。
ヴァルガスも戦場に燃える全ての火を集結させ不死鳥を作り出す。
しかしその色はそれまでと同じ赤ではなく、青い炎。
凝縮されたその火力はこれまで操ってきたものとは比べ物にならない超高温である。
荒ぶる八ツ首の竜めがけ、不死鳥が羽ばたく。
羽が触れるや否や、瞬時に水が蒸発して周囲に凄まじい熱波をもたらした。
「うっ!!」
誰も彼もが堪らず腕で顔を覆う。
しかしエリエスとヴァルガスだけは蒸し上がりそうな熱さの中にあっても目を逸らさずに互いを凝視していた。
その凄まじい爆風は火の粉と共に戦場を駆け抜け、昌也達の方にまで届いた。
「何だ!?」
驚き振り向いたヘイゼルの隙をついて、昌也と康はどちらからともなく飛びかかった。
(…今だ!)
康がドラゴンの足を掴んでコルアを救出し、昌也はヘイゼルに体当たりして押し倒す。
完全に油断していたヘイゼルは地面にぶつかった衝撃で戦槍から手を離してしまう。
昌也はすぐにそれを奪い取ると、横たわるヘイゼルに向かって突き付けた。
「…俺らはあの子を守るって決めたんだ。絶対に渡さねぇ」
「人間のくせに、何故魔族に肩入れする!?」
「人間とか魔族とか関係ねーよ。大人の起こした戦争にあんな小さな子供を巻き込むなんておかしいだろ!」
「あやつはただの子供ではない」
「俺達はただ仲間を守りたいだけだ。別に人類とも魔族とも敵対するつもりはねぇ」
「全てを救うことなどできん。その甘さが戦場を混乱に陥れ、さらなる犠牲を生むのだ」
その直後、昌也の体が宙を舞う。
ドラゴンの振った尻尾に弾き飛ばされたのである。
槍を落とし、トラックに勢いよく背中をぶつける昌也。
その衝撃で傷口を固めていた土がパラパラと剥がれ、胸から赤い血が垂れた。
「昌也君!!」
槍を拾い上げたヘイゼルは、ドラゴンと共に康達の方に向き直る。
「…覚悟はできているな?」
静かながらも怒りのこもった瞳に捉えられ、康とコルアの脚が震える。
だが後ろにいるリセを守るために、二人は退くわけにはいかなかった。
「逃げて、リセ!」
コルアからぬいぐるみを投げ渡され、リセは走った。
「逃がさぬ!」
ヘイゼルが飛び立とうとするのを見て、康とコルアはすかさずドラゴンに飛び乗った。
康に翼を掴まれバランスを崩したドラゴンが暴れながら火を吹く。
コルアもヘイゼルにしがみつきながら、逃がすものかと爪で顔を引っ掻き回した。
「くっ!ふざけるな!!」
ヘイゼルは必死に二人を引き剥がそうとするも、信じられない力でしつこくまとわりつかれる。
「ふざけてなんかないもん!」
「これが僕らの戦いだ!」
二人が時間を稼いでいる間に、リセがぐったりと倒れる昌也のそばに駆け付ける。
「…早く逃げろ。ここは俺らが何とかするから…」
「…ううん。私もみんなを守る」
そう言うとリセは昌也の胸に手を起き、目を閉じる。
「…?」
すると出血が嘘のように止まり、気付くとあれほど深い傷口が完全に消えて無くなったではないか。
「嘘だろ…。これって魔力か?」
リセはこくりと頷く。
体が軽い。
自分の胸元をまさぐると、傷痕どころか痛みすらも消えたことに驚きを隠せない昌也。
「ありがとな。後は俺らに任せてお前は逃げろ」
ポンとリセの肩を叩き、昌也はすぐさま康とコルアの援護に向かった。
強大な火と水の魔力の
圧倒的な川の激流は不死鳥ごとヴァルガスを飲み込み、戦場の全ての火を洗い流した。
決着と共に、辺りは嘘のような静寂に包まれる。
水が引くと、倒れたヴァルガスが大地に取り残されていた。
まだ立ち上がろうともがいていたが、もはや戦える状態ではないことは誰の目にも明白だ。
「…やった。魔王を倒した」
勝利を喜ぶガルマとは対照的に、エリエスの表情は暗く沈む。
「さあ、世界樹の種を…」
エリエスが魔王に近付こうとしたその時、不意に別の方角から火の手が上がったのに気付く。
「…あ!」
見ると、昌也達が竜騎士ヘイゼルと戦っている様子が目に飛び込んできたのだ。
三人は必死にドラゴンにしがみついているものの、今にも殺されそうな危うい状況だというのが遠目ながら伝わる。
急いで助けに行こうとするエリエスを、クレイスが慌てて制止する。
「どこへ行く!?まだ種が魔王の手に…」
「みんなが殺されかけてる!すぐに向かわないと…」
「体を返して欲しければ今すぐ種を奪うんだ!」
「…っ!」
弱味を握られ、エリエスの視線が泳ぐ。
ようやく…ようやくあと少しで目的を達成できるのだ。
ここまで来て身体を取り戻せないなどということはあってはならない。
身体を取り戻すことが戦争の終結にも繋がるのだから、何よりも優先すべきなのは明白である。
それでも、こんな自分を信じてついてきてくれたかけがえのない仲間達をどうして見捨てることなどできようか。
「…もういい」
「何だと?」
ボソリとした呟きが耳に入り、クレイスが聞き返す。
「王女の身体よりも、仲間を救える身体の方がずっといい」
エリエスは水の竜に乗り、康達のもとへと向かう。
その赤い瞳に、もはや迷いなどどこにも無かった。
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