第51話【終わりの始まり】


「がっ…!」


ドラゴンの翼を押さえていた昌也と康が振り払われ、コルアもヘイゼルに蹴り飛ばされる。


人数で勝ってはいても、やはり力の差は歴然であった。

横転したトラックのそばに倒れて、一行は苦しげな声を上げる。


「随分と手こずらせてくれたな…」


弱いながらもしぶとく粘った昌也達に、ヘイゼルとドラゴンもかなり体力を消耗させられた様子が見て取れた。


最初から敵わない相手だというのは分かっていた。

ただ、リセが逃げる時間を稼げればそれでいいと命を捨てる覚悟で挑んだのだ。


なのに肝心のリセが、逃げるどころか倒れた昌也達を庇うようにヘイゼルの前に立ちはだかったではないか。


「リセ!?何で…」


地面を這いながら手を伸ばすコルアに、リセは微笑みかける。


「…みんなは私の初めての友達だから」


リセはそれだけ言うとヘイゼルの方へと向き直った。


「私を捕まえていいから、みんなを殺さないで」


「…よかろう。もとより吾輩の使命はそれだけだ」


ヘイゼルが了承したため、そのままぬいぐるみを抱き抱えてゆっくりと歩み寄る。


「駄目だ、殺されるぞ!」


「………」


昌也の叫びにもリセは振り向かずに進む。

そのままヘイゼルの差し出す手を取ろうとした、まさにその時だった。


突如として横から現れた水竜がヘイゼルとドラゴンにぶつかって、彼らを押し流したのだ。


「みんな大丈夫!?」


聞き慣れた声色。

昌也達は水竜の上に乗る青い蛙を見つけるなり、驚きに打ち震えた。


「エリエス!?」


水竜の形状を人型の精霊へと変え、エリエスは皆のもとに歩み寄る。


「どうしてだい!?人間の身体を取り戻しに行ったんじゃ…」


「…やっぱりやめたわ。こんな強い力、手離すの勿体ないじゃない」


動揺する康の肩に飛び乗ったエリエスが、頬を擦り寄せながら悪戯いたずらっぽく笑った。


「…もしかして、俺らを守るために?」


「あんなに人間に戻りたがってたのに…エリエスのバカ!」


嬉しさと切なさで顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくるコルアにリセが抱き付き、昌也が肩を抱いて宥める。


再開を心から喜び合う仲間達。

それはこの悲惨な戦場の片隅で確かに生まれた温かな光景であった。






一方、エリエスに敗北し、よろよろと起き上がるヴァルガスにも歩み寄る者がいた。


ガルマとクレイスである。


「久しぶりだね、ヴァルガス」


「クレイス…」


後ろめたさがあるのだろう。

仮面を投げ捨てたクレイスの焼けただれた素顔を見て、思わず顔を背けるヴァルガス。


「…あの時はすまなかった。お前を巻き込むつもりなどなかった」


口元を歪ませ謝罪の言葉を口にするヴァルガスに、クレイスは静かに頷く。


「…分かってる。ぼくが悪かったんだ。死んだ父親の肉体に、魂を無理矢理呼び戻したりなんてしたから」


「お前の父ガレディアは腐りゆく肉体に苦しんでいた。だから苦しみから解放するために火を放ったら…」


「…ぼくがパニックになって火に飛び込んだ。君は何も悪くないんだよ、ヴァルガス」


「赦してくれ、クレイス…」


こうべを垂れるヴァルガスに向かってクレイスは優しい笑みを浮かべ、そっと手を差し伸べた。

まるで謝罪を受け入れる証だとでもいうように。


ヴァルガスは安堵してクレイスの手を取り、体重を預けた。


それが狡猾な罠とも知らずに。


次の瞬間クレイスはヴァルガスを勢いよく引き寄せたかと思うと、胸元めがけてナイフを突き刺したのだ。


「!!」


突然のことに何が起こったのか理解が追い付かないヴァルガスの耳元で、クレイスが囁く。


「…赦すわけないだろ。お前はぼくから全てを奪ったんだから」


ナイフで傷口を強く抉られ、口から血を吐くヴァルガス。

クレイスはナイフから手を離し、ヴァルガスの上着の懐から何かを取り出すとそのまま彼を蹴り倒した。


それは小さな革袋だった。


革袋を引っくり返すと、一粒の小さな塊が掌の上に落ちた。

クレイスはそれをコロコロと転がして、うっとりとした瞳で眺める。

あらゆる色が混じったような濁った色をした丸い粒。


これこそが世界樹の種に他ならない。


「…僕の父は人類と魔族に二度殺された。だからぼくはこの力を使ってどっちも滅ぼすと決めた」


「クレイス、よせ…!」


ヴァルガスが悶えながら足掻くさまを、クレイスは邪悪な眼で睨む。


「でも安心してよ。その後みんなの魂を呼び戻してあげるから。みんな一度死ぬことで、死の恐怖も争いも無い美しい世界を僕が作るんだ」


クレイスは恍惚とした表情で種を口に放り込むと、ゴクリと喉を鳴らして飲み込んだ。


「!」


一体何が起こるというのか。

固唾を飲んで恋人の行く末を見守るガルマの目の前で、異変はすぐに起こった。


「ぐ……ああぁあぁあああぁ!!!」


クレイスが突然胸を押さえて苦しみ始め、その場にうずくまったのだ。


「クレイス!?」


その身を案じて駆け寄ったガルマは、触れた彼の肌がゴツゴツと硬くなっていることに気が付く。


変異が始まったのだ。


皮膚は茶色く硬質化し、全身から植物の枝や葉がみるみる生えてくる。

踏み込んだ足は大地に根差し、枝分かれしながらどこまでも伸びていった。

そして彼の身体から生え出た無数の触手は、あちこちに張り巡らされた世界樹の根に絡み付き、あらゆる魔力や養分を吸い上げた。


クレイスの成長に応じて世界樹がひび割れ、枯れてゆく。


気づけば彼は数十メートルもあろう大樹たいじゅの怪物へと変貌していた。

そのあまりのおぞましさにガルマやヴァルガスは言葉を失い、戦場で戦っていた人類と魔族の兵士達もことごとく手を止めて見入っていた。


とてつもない速度で巨大化を続けながら、やがてクレイスの放つ苦悶の絶叫は歓喜の雄叫びへと変わった。


『…この世界の全てが手に取るように分かる。とうとう世界樹の力が僕の手に!』


自我を取り戻したクレイスに安心したガルマは、巨大な怪物と化した彼を見上げる。


「凄いわクレイス。あたしも一緒に世界樹になって、あなたと共に永遠に生きる。さあ、種をちょうだい!」


クレイスは硬い腕を伸ばして彼女を手の上に乗せた。

そのまま顔の前まで持ってくると、どこか冷めた視線で眺める。


『それは無理だよガルマ。世界樹はこの世に一本しか存在できないんだから』


「…え?」


『ごらん、あの枯れゆく世界樹を。あれが朽ち果てた時、僕がこの世界で唯一の世界樹になるんだ』


クレイスの手の上から崩れる世界樹を見て、動揺を隠せないガルマ。


「だって…約束したじゃない。二人で永久に生きるんだって」


『哀れなガルマ…。君が僕に惚れてくれたおかげで全て上手くいった。僕が本当に君を愛しているとでも思ったかい?』


言葉が出ない。


自分に贈ってくれたあの抱擁も、囁きも、口づけも、全ては嘘だった。

ずっと信じていた恋人の裏切りに、ガルマは打ちひしがれる。


『…でも約束は守るよ。君は僕の中で一緒に生き続けるんだ。永久に…』


「あ…」


その言葉の意味を理解する間もなく、大きく開かれたクレイスの口に落とされるガルマ。


…本当は気付いていた。

野望を秘めた彼の瞳が、自分を見てはいないことに。

だけど醜い蛙から美しい王女になれば、そして側で支え続ければ、いつか愛は報われると信じたかったのだ。


結局、理想の結末とはならなかった。


でも…


愛する人の血肉になるのなら、それもまた一つの幸せなのかもしれない。


(あたしはあなたと一つに…)


口が閉じられる寸前、死にゆくガルマの閉じた瞼から一筋の涙が伝った。




『ははは!何て良い気分なんだ!!』


ガルマを飲み込むと同時に、クレイスによって魔力を吸い付くされた世界樹も崩壊した。

怪物の出現に加え、王女が殺されたことによって人類の兵士達はパニックに陥り、誰もが武器を捨てて逃げ出した。


大地は激しく揺れ、上空の大気は渦を巻いて分厚い雲を撒き散らす。

それは魔界だけでなく、人間界をも巻き込む規模の大災害であった。




「…一体何が起こってるの?」


何の前触れもなく突如として発生した地震と、空を覆い尽くす雲に、ヒスタが野営地から愕然と空を見上げた。




「まさか世界樹に何かあったというのか…?」


リノルアの村で、いち早く異変に気付いた村長のテルードが冷や汗を垂らす。


「コルア、どうか無事で…」


コルアの母も、どこにいるやも知れぬ娘を心配して天に祈った。




「セクタス、怖いよ…」


「………」


ラノウメルンでも外に出たユユが怯えた様子でセクタスにしがみつく。

セクタスもユユの肩に手を起き、得体の知れぬ不安に唇を噛み締めた。




そして昌也達は、誰よりも近いこの戦場の中心で世界の終わりを目の当たりにしていた。


「おい、もしかしてあれって…」


「世界樹が崩れていくよ!」


「そんな…」


康が世界樹を指差し、コルアの顔が絶望に染まる。


「どうやら世界樹の種を手に入れたようね。あの様子だと、やっぱり世界を滅ぼすつもりだったんだわ…」


エリエスが申し訳なさそうに視線を落とす。


「ごめんなさい、私が奴らに力を貸したせいで…」


「悪いのはエリエスじゃなくてあいつらだよ!」


康の慰めにも、彼女が顔を上げることはない。

こうしている間にもクレイスの身体は成長を続け、次なる世界樹へと取って変わろうとしているのだから。



「…犬達に匂いを辿らせて来てみたら、どうやら一歩遅かったようだな」



不意に、一行に声をかける者がいた。


ダイタスと三匹の魔獣である。

しかももう一人、魔獣に跨がる見覚えのある人物。


「鍛冶屋のおっさん!それに…モア!?」


ヘイゼルとの戦いで重傷を負いながらも何とか生き延びたモアが、ダイタスの助けを借りてこの有事に駆け付けてきたのだ。

コルアに抱き付くリセの無事な姿を見て、モアは安堵の息を吐く。


「リセを守ってくれて感謝しますよ。ですが最も恐れていた事態が起きてしまった…。我々は何としてでもあれを止めなければ」


「でもあんな怪物をどうやって!?」


コルアの問いかけに、モアは珍しく自信なさげに眼を細めた。


「分かりません…。でも、ここで指を咥えて死を待つよりは、戦って死んだ方がいささか気分がいいでしょう?」


フッと口角を上げ、モアは身を翻す。

しかしそのまま出発するかと思いきや、何故かふと立ち止まって振り返った。


「おっと、私としたことが…忘れ物です」


モアが杖を振ると、途端に大地がグネグネと揺れ動いて横転していたトラックが再び起こされる。


「トラックが…!」


「あなた方はもう充分やってくれました。それに乗ってどこにでもお行きなさい」


そう言い残すと、モアとダイタスは今度こそ魔獣に跨がって行ってしまった。


彼らの背中を見送りながら、エリエスもまた一歩前へ足を踏み出した。


「私も行くわ。こうなったのも私のせい。あいつを倒して責任を果たす」


「じゃあ俺らも…」


「あなた達には何の力も無い。これは魔力を持つ者の務めだから、みんなはトラックに乗って逃げて」


それを聞いて、目を見合わせる昌也達。

言葉を交わさずとも考えることは皆同じだった。


「…またそうやってお前は全部独りで抱え込もうとする」


「ここまで一緒に来たんだから、今さら独りになんてしないよ」


「こう見えても爪は結構鋭いんですよ!自分達だって戦えます」


一向に引き下がる気配のない仲間達の姿に、言葉に詰まるエリエス。

損得無しに互いを思いやれるこんな最高の仲間と一緒にいられることは、やはり人間の王女に戻ることよりも遥かに誇らしかった。


「みんな…」


「まだ…方法はある」


これまでずっとコルアの側で無言だったリセが急に口を開く。


「…え?」


「今の不完全なあの状態なら、パパの火でやっつけれるかもしれない」


「でも種を奪われたってことは殺されたんじゃ…」


康の疑問に、リセは首を横に振る。


「まだパパの鼓動を感じる。でも命が危ない」


「じゃあやることは決まったな。リセの父親を救って、あのクソッタレ世界樹を燃やそうぜ」


「昌也、子供の前で下品な言葉はよして」


こんな時にも冷静なエリエスのツッコミに、昌也は苦笑いを浮かべた。


一同がトラックに乗り込み、エンジンがかかる。

幸い横転によってどこか壊れた様子もなく、無事に動きそうだ。


「それじゃあ世界を救いに行こうぜ」


「僕達みんなでね」


「絶対生きて帰りましょう」


「終わったら焼肉パーティーです!」


「…いえーい」


世界の終わりが始まった場所へ向けて、5人を乗せたトラックが走る。


こうして彼らの最期の戦いが今、始まった。

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