第49話【因縁】
人類の陣営を目指し、一頭の馬が全速力で戦場を駆け抜ける。
それに乗るのはヒスタと自警団の男。
そして蛙のエリエスだ。
「王女様と同じ名前なんて変だと思ったら、そんな理由があったなんて…」
「…てことはあれかい、あの王女様は偽物で、あんたが本物の王女様だってのか!?」
「そうよ。だから何としてでも体を取り戻して、私がこの戦争を止める」
エリエスからこれまでの経緯を聞いた二人は驚きに満ちた眼差しで彼女のことを見る。
ただの物珍しい喋る蛙だと思っていた存在がまさか人類の王女だったなど、腰を抜かすほどの衝撃である。
「でもどうやって?話を聞く限りじゃ、体を返してくれるとは到底思えないですが…」
もっともなヒスタの疑問に、エリエスは少し考え込んだ。
「王女のいる野営地の近くに水辺はある?」
「ええ。飲み水などを確保するために本隊は川に沿って進軍してます」
「そう…」
それを聞いたエリエスの赤い瞳が恐ろしげに輝くのを見て、ヒスタは妙な寒気を覚える。
「…エリエス?」
「もしも拒否するなら…地獄を見せるまでよ」
ヒスタの握る水の魔石が、手の中でうっすらと青白い光を放った。
人類の野営地にて。
見張りの兵士が川の水をカップに
その水は彼らのよく知る無色透明なものではなく、赤い血の色をしていたからだ。
「この水本当に飲めるのか?気味悪い色してるけどさ…」
カップを顔に近付けてまじまじと覗き込んだり匂いを嗅いだりする男に、隣にいた別の兵士が答える。
「なんでも世界樹から流れ出た魔力が赤い色素を持ってて、川の色を変えてるらしい。だからこの水を普段からずっと飲んでる魔族には魔力があって、眼も赤いんだってさ」
「げっ…、じゃあこれを飲んだら俺達も眼が赤くなるのか!?」
「何年も飲み続けなければ大丈夫だろ。それに魔力が手に入るならありなんじゃないか?」
「嫌だよ俺、赤い眼なんて…」
カップの水に少しだけ舌を付けた兵士は、不意にどこからともなく猛進してくる一頭の馬に気が付く。
「ん?あれは…」
カップを投げ捨て警戒するも、それに乗るのがヒスタ達だと分かって肩の力を抜いた。
紛いなりにも軍の参謀であるヒスタの帰還に、兵士達は自発的にどいて道を開ける。
そのまま何の障害もなく司令部へと辿り着いたヒスタ達は、すぐに馬から降りてガルマとクレイスの前に
「…アスレイ隊長はどうした?」
クレイスが真っ先に詰め寄り、現状を確認してくる。
ヒスタはそれに対して顔を伏せたまま、どこか固い声で答えた。
「アスレイ隊長は任務中に魔王と鉢合わせして、現在交戦中です」
「何!ヴァルガスが前線に出たのか!?」
「はい。なので至急、援軍を送るようにとの指示を受けました」
そのままヒスタは何かを包み込んだ両手を黙って前に差し出す。
その手は少し震えていた。
「…一体何の真似ですか?」
その意図を汲み取れずに目を細めるガルマ。
「これは私から、王女様への贈り物です」
そう言ってヒスタがゆっくり掌を開くと、中から現れたのは見覚えのある青い蛙。
視界に飛び込んできたそれを認識するや否や、ガルマとクレイスは驚愕して息を飲んだ。
「…久しぶりね、ガルマ」
「あなたは!!」
次の瞬間、近くを流れる川の水が津波の如く
為す術もないまま悲鳴と共に水流に揉まれて溺れる数万の兵士達。
陣形や戦術などあったものではなく、まだ戦う士気すら整っていなかった本隊は混乱の内に壊滅の一途を辿る。
エリエスは兵士達を洗い流して一掃すると、ヒスタと自警団の男、そしてガルマとクレイスだけをその場に残して周囲に水の結界を張り巡らせた。
渦巻く川の激流に取り囲まれ、侵入も脱出も不可能なこのステージの上でエリエスの復讐が始まる。
エリエスは人間の形をした水の精霊を召喚して、その肩に跳び移った。
クレイスもすぐにナイフを抜くが、激流の壁から飛び出した水竜が背後から彼に食らい付き、全身にまとわりついた。
「クレイス!」
パニックになって口元を押さえるガルマをよそに、水の精霊が落ちたナイフを拾い上げる。
「あなたは私から体を奪ったばかりか、このナイフで父を殺した」
身動きが取れぬクレイスの前にエリエスが歩み寄り、ナイフを首もとに突きつけた。
「…っ!」
「今からこのナイフを突き刺してあなたの肺を血で満たす。でも、どれほど苦しくても私はあなたを死なせない。失血死しないよう魔力で血を操って、その苦しみを何度でも味わわせてあげる」
あまりに冷たくおぞましいその瞳に、クレイスだけでなく味方であるヒスタすらも恐怖した。
「やめて!」とガルマが叫ぶ。
「この体を返すからクレイスを傷付けないで!」
それはエリエスが最も欲しかった言葉。
こうも簡単に引き出すことができて、思わず頬が緩む。
しかし何故かここで追い詰められているはずのクレイスが笑みをこぼした。
「フッ…」
「何がおかしいの?」
「本当にそれでいいのか?その体をガルマに返せば、この場にいる全員どうなると思う?」
「!!」
その言葉の意味が分からないほどエリエスは愚かではない。
肉体を返すということは、この水の魔力も返すということ。
もしも王女の身体と引き換えにこの蛙の体を返したなら、その後怒り狂ったガルマがエリエスもろとも人間を皆殺しにするだろう。
「………」
最悪のシナリオが浮かんで言葉に詰まるエリエスに、クレイスは一つの提案をした。
「…でももし君が世界樹の種を持ってきてくれたなら、それと引き換えにおとなしく体を返すと誓うよ」
「ふざけないで!あなたはその種を使って世界を滅ぼすつもりなんでしょ!?」
「そんなことして何になる?僕達の目的はこの世界に調和をもたらすこと。人類も魔族も平等に世界樹の恩恵を受け、平和な世の中を作りたいだけだ」
「…よくもそんな嘘をペラペラと!」
顔を近付けて強い怒りを見せつけるエリエス。
「本当よ!今まであなたにしたことは謝るわ。でも私達はただ皆が幸せに生きられるような、より良い世界にしたかっただけなの」
ガルマの言葉に、エリエスの中で何かがプツンと切れた。
何年もの孤独な歳月の中で溜め込まれていたドロドロとした感情が際限なく溢れ出る。
「…皆が、幸せに?」
水の精霊がブルブルと振動し、不穏な気配を漂わせる。
それと同時にクレイスを拘束する水が、首から上にまで浸蝕を始めた。
口元を封じられ、息ができずにもがくクレイス。
次に何が起こるのか、皆は嫌でも理解した。
「私から全てを奪ったくせに!!」
エリエスは精霊を操り、ナイフを勢いよく彼の首もと目がけ振り下ろした。
「エリエス!」
その叫び声にナイフが寸前のところで止まる。
「!?」
振り向くと、ヒスタが怯えきった様子でこちらを見ていた。
「やめて…」
肩を震わせながらそう懇願するヒスタ。
何故そんなことを言ってしまったのか、ヒスタは自分でもよく分からなかった。
過去の話を聞いて、目の前の敵がどれほど凶悪で、エリエスがどれほど傷付いたかを知っているはずなのに。
それでも多分見たくなかったのだ。
敵が傷付く姿をではない。
親友のエリエスが、本当の魔物のように恐ろしい凶行に走る姿を。
そんな不安げなヒスタの瞳にハッとしてナイフを握る手を震わせるエリエス。
「ヒスタ…私、どうすればいいのかな…」
「…彼らを信じてみませんか。エリエスが人として生きるために」
渦巻く
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