第37話【暗躍する者】


本来、人の姿などあるはずの無い魔界の森の奥深くで、草木の生い茂る道なき道を突き進む昌也の姿があった。


(くそっ…くそっ…!)


進行を妨げるかの如くしつこく全身に絡み付いてくる植物を剣で凪ぎ払いつつ、とにかく足を止めないように走り続ける。


自分がどこにいるのか、どこに向かっているのかも定かではないが、それを考える必要すらない。


かけがえのない仲間達を拒絶してしまったのだ。

もはやこの世界に帰る場所などなかった。


「…っ!」


その時木の根に足をとられ、昌也は派手に転倒してしまう。

体を地面に打ち付けながら剣を落とす昌也。


痛みに堪えつつ顔を上げると、森の至るところから何者かの赤い眼がこちらを見ている気がした。


「~っ!!」


恐ろしくなった昌也は慌てて剣を拾い、木に背中をつける。

身震いしながら剣を構えて周囲を見渡すと、赤い眼の正体はただの鳥や小動物だということが分かった。


とりあえずホッと一息つき、昌也はその場にしゃがみこんだ。

緊張を解くと同時にどうしようもない不安に駆られ、髪の毛をくしゃっと手で掴んで頭を抱える。


「何やってんだ俺…」


か細く喉から漏れた声は震えていた。


いつもならそんな状態の自分に優しく声をかけてくれる仲間も、今はいない。

自分の方から逃げ出してしまったのだから。


この選択が正しかったとは思わない。

ただ、少なくともあの瞬間だけは、仲間を失うよりも力を失うことの方が恐かった。


異世界に来てからというもの常に身の危険を感じて、実際に何度も死にかけた。

にも関わらず今まで生きてこれたのは、鋼鉄のトラックや水の魔力、そしてこの聖剣の力があればこそ。


そのどれか一つでも欠けていれば、恐らくとっくに命を落としていたただろう。


康にはトラックが。

エリエスには魔石がある。

何も武器を持たないコルアですら、優れた五感や身体能力を兼ね備えている。


だがそんな仲間達と違って、自分には何もない。

常に守られてばかりで、自分の身も守ることすらままならないのだ。


そんな中ようやく手にした力。


これがあれば自分も仲間も守ることができ、もう死の恐怖に怯えずに済む。


なのに結果は、力と引き換えに全てを失ってしまった。



『守れなかった』



不意に、頭に響くジェイドの声。


ずっと嫌だったこの現象ですら、今だけは自分が孤独ではないような気がして安心する。


「…今ならあんたの気持ちがちょっとだけ分かる気がするよ」


そんな昌也の言葉に、ジェイドが答えることはない。

壊れたレコードのように『守れなかった』と、ただ繰り返し同じ台詞を吐くだけ。


「はは……もう守るものもねーや…」


昌也は顔を歪めて哀しそうに笑った。




「せっかく皆を守る力を得たというのに、誰にも理解してもらえないなんて…。心中お察しします」




「!?」


突然背後から何者かの声がしたことに驚き、昌也はとっさに飛び退いて剣を向ける。


剣を握る手に力がこもる中、木の後ろからゆっくりと姿を現したのはフードを深く被った人物だった。

体つきは細いが190cmほどはある長身で、背中に長い木の杖を携えている。

顔は見えなかったが男の声であった。

こんな魔界の奥深くにいるのだ。きっとただ者ではないだろう。


「…あんた、魔族か?」


昌也が恐る恐る問い掛けると、その男は静かに人差し指を横に振る。


「私が人類か魔族かなんて、そんなことは重要ではありません。私もあなたと同じように、この世界を救いたいだけなのです」


「…どういう意味だ?」


正体を明かそうとせず、はぐらかす男に対して昌也は切っ先を向けたまま尋ねた。

男は動じず、距離を置いたまま話を続ける。


「あなたのお仲間に、水の魔力を使う蛙がいるでしょう?」


「…エリエスのことか?」


「そう。あなたは彼女の正体をご存知ですか?」


「エリエスの正体…?」


眉間に皺を寄せ、考え込む素振りを見せる昌也。

言われてみれば水を操ること以外、彼女について知ってることは何もない。

そもそも何故ただの蛙が水の魔石を使えるのか、それすらも深く考えたことがなかった。


「…彼女は魔族のスパイなのです」


耳元で男が囁く。

いつの間にかすぐ隣に来ていた男と、その口から発せられた衝撃の事実に驚いて昌也は思わず後退りする。


「…スパイ?あいつが?」


とても信じられない。

確かに彼女のことはあまり好きではないが、決して悪事に手を染めるような者ではないことだけは知っている。


半信半疑の昌也に対して男は続ける。


「彼女の使命は人類の首都カトリシアへと侵入し、内側から破壊工作をすること。それを合図に、人類と魔族の戦争が始まるのです」


戦争という大それた規模の話に一瞬混乱しそうになった昌也だったが、すぐにフッと鼻で笑ってそれを否定した。


「…エリエスはそんなことする奴じゃねーよ。確かに俺とは意見が合わねぇけど、あいつはいつだって正しい心を持ってる」


「可哀想に…。すっかり騙されているのですね」


男が歩きながら背後に回った為、昌也も背中を見せないよう体を動かす。

男の周りの草木が風でざわめき、不気味に揺らめいていた。


「ではお聞きしますが、何故魔力を持つ蛙が魔界ではなく、わざわざ人間の世界にとどまっているのです?」


「あいつは魔石を狙う連中から追われてずっと隠れてた。あそこに居たくて居たわけじゃねぇ」


「彼女は一度潜入に失敗し、追われる身となった。だからずっと人間界に身を潜めて、再びカトリシアを攻撃する機を窺っていたのです」


「いや…それは違う…」


否定の言葉とは裏腹にその声は小さく、昌也の中に微かな疑念が生まれたことを感じさせた。

昌也が考える暇もないまま、男は周囲を回りながら穏やかだが強い感情のこもった声を投げ掛けてくる。


「彼女があなたから執拗に力を奪おうとしている理由が、まだお分かりにならないのですか?」


「…それは俺が…」


「彼女があなたの力を奪おうとしているのは、あなたの身を案じているからではありません。聖剣を持ったあなたが側にいれば、計画の邪魔になる。あなたが人類の救世主として、自分に刃を向けることを恐れているのです」


「…!!」


男の手が、そっと昌也の肩に乗せられる。


その瞬間、頭の中にかかっていたもやが晴れた気がした。

今まで疑問に思っていたエリエスの言動が、彼の辻褄の合った主張によって全て納得できたのだ。


だとしたら、ずっと仲間だと思っていたのに戦争を起こすために聖剣の力を自分から奪おうとしていたなんて、とても許せることではない。

昌也の中に先ほどまで沸き上がっていた疑念が、怒りへと変わる。


握り締めた拳を震わせながら、昌也は男に問い掛けた。


「…俺はどうすればいいんだ?」


「彼女から魔石を奪うのです。そうすればもはやただの小さき蛙。何も悪さはできません」


魔石を奪う。


それをしてしまうと彼女は力を失い、これから先自分の身を守ることさえできないだろう。

しかしそれは彼女が昌也に対してやろうとしていた仕打ちでもある。

そしてそれによって大勢の犠牲を避けられるのならば、やらない理由はどこにもない。


「…分かった」と昌也は頷く。


これで気になることはあと一つだけ。


「…あんた何者なんだ?」


「おっと、申し遅れました…」


男はここでようやくフードを外して、その素顔を見せた。

長髪で赤い瞳を持つ、40代くらいの男である。


これほど内部事情に精通しているのだ。

相手が魔族であることを薄々予期していた昌也に驚きはなかった。


「私の名はモア。私とあなたで戦争を食い止め、世界を救いましょう」


「………」


剣を鞘へと納めた昌也は、男が差し出した手を躊躇いがちに握り返した。

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