第36話【摩擦】


草を掻き分け、老人の後についていった一行は森の奥深くで一軒の平屋を見つけた。

小さな庭には作物が実り、散乱したまきや建てられた井戸なども見てとれる。


どうやらここが彼の住み処らしい。


小道も目印もない辺境の地。

案内が無ければとてもじゃないが辿り着けなかっただろう。


到達するや否や老人は早速平屋の中に入り、魔獣達は外で腰を据えてくつろぐ。

相手は魔族だというのに、そんな様子だけ見るとただの犬を飼う隠居老人のような雰囲気さえ漂っていた。


「入れ。ただし中のものに触るんじゃないぞ」


老人に念を押され、建物に入った昌也達は驚きの声を上げる。


「おぉ…」


そこは生活感などまるでなく、自宅というよりはむしろ工房のような光景。


衣類も食器も見当たらず、目につくのは様々な器具や鉱石、そして武具ばかりであった。

いくつもの剣が無造作に床に置かれているが、そのほとんどは作りかけの未完成に見える。

それらを踏まないように気を付けながらコルアが老人に尋ねる。


「…これ全部おじいさんが作ったんですか?」


「どいつもこいつも、なまくらばかりだがな」


「凄い…」


こんな工房を見せられては、この老人が鍛治職人の類いであることは疑う余地もないだろう。

聖剣を作ったというのもあながち嘘ではないのかもしれない、と皆は思った。


「じいさん一体何者なんだ?」


ごそごそと棚を漁る老人の背中に問いかける昌也。


「儂はダイタス。ただの鍛治屋だ」


「鍛冶屋さんが、どうしてこんな誰もいない森の中に?」


康の疑問に、ダイタスと名乗った老人は、あれでもないこれでもないと棚から取り出した紙を乱暴に放り投げ捨てつつ答える。


「こんな仕事を続けておれば、大勢から目を付けられるんでな…。何年か前にも人間が一人、魔石を求めてここへやってきた。魔物に襲われて死んだがな」


皆の方に振り向いてニヤリと手をかざすダイタス。


「だから死に際に、そいつの魂をこの指輪の中に閉じ込めてやった」


その中指には紫色の宝石が埋め込まれたリングが光っていた。

話を聞く限りでは、その指輪の中に人間の魂が存在しているということなのだろう。


ぶるりと身震いする一行の前で、ダイタスはくしゃくしゃの茶色い紙を持ってやってくる。

そのまま机の上に散らかっていたゴミなどを荒っぽく下に落とし、卓上に紙を広げた。

そこには聖剣そっくりの絵が描かれており、刀身や柄の部分などの詳細な材料や作り方が記載されていた。


「これって…もしかして聖剣の設計図か?」


昌也の疑問に、ダイタスは素っ気なく答える。


「…何が聖剣だ。こいつはそんな代物じゃない」


そして目を閉じて一息置くと、剣にまつわる過去を語り始めた。


「儂はただガレディア、…息子の為に強い剣を作ってやりたかっただけだ」







200年前。


人間と魔族との争いが最も激しかった頃。


ある日、一人息子のガレディアが軍に召集されることになったダイタスは、息子の為に一本の剣を生み出した。


「この剣は斬った相手の魂を吸い取り、その経験値をお前に与えるだろう。人間どもを斬れば斬るほどに、お前は無敵の力を得る」


そうして剣を手にしたガレディアは鬼神の如き強さを発揮し、数々の戦場で敵陣を蹴散らして目覚ましい功績を上げることとなる。


ダイタスは誇らしかった。


自らの打ち出した剣を息子が振るい、英雄と呼ばれる程の存在になったことが。


しかし戦地から帰ってくるたび、ダイタスはガレディアの様子がおかしくなっていることに気が付いた。


「ガレディア…お前、どうしたんだその顔」


目の下には隈が浮かび、顔のあちこちに疲労と狂気が入り交じった深い皺が刻まれていたのだ。


「…もうずっと眠ってないんだ。頭に声が響いて」


「声?」


「ぼくが殺した人達のさ」


「…ちょっと剣を貸してみろ」


剣を握ったダイタスは突如、全身を駆け巡る悪寒と、脳内に響く大勢の阿鼻叫喚に堪えかねて咄嗟に手を離した。


「…っ!!」


地面に落ちた剣をガレディアが大事そうに拾い上げる。

ダイタスはその時初めて剣の副作用とも呼ぶべき恐るべき欠陥を知った。


剣は斬った相手の経験値だけに止まらず、人格や感情までも吸収していたのだ。

しかも相手だけでなく、持ち主の魂すらも…。


「…その剣を返せガレディア。他のを用意する」


「駄目だ父さん。ぼくにはこの力が必要だ」


「ガレディア!」


「ぼくが死んでもいいの?この剣がなければ、ぼくは戦場で生き残れない」


「………」


「戦場では力が全てなんだ。正しくても、弱い奴は死ぬだけさ…」


ダイタスにはそんな息子を止めることなどできなかった。


その数日後のことだ。

ガレディアが戦死し、剣が人間に奪われたと報告があったのは。


以降、何度も所有者が変わるも、剣を手にした者達はことごとく悲業の死を遂げたという…。






「…そいつは呪われた剣だ。造るべきではなかった」


ダイタスの話が終わり、その場にいた誰もが深刻な表情でゴクリと唾を飲み込んだ。


「ちょっと待ってください!200年前って…おじいさんは何歳なんですか!?」


「400歳を過ぎてからは数えとらん」


「400歳…」


衝撃的な事実に言葉を失う一行。

魔族の寿命がどれくらいなのか知るよしもないが、人間では考えられないくらい長い年月。


「魔族って長生きなんですね…」


ポカンと口を開けるコルアに続いて康も疑問をぶつける。


「…つまり、その剣の中にはあなたの息子さんや、他にも何百人もの魂が入ってるってことですか?」


「何千だ。戦場で散った無数の魂が今も成仏できないまま、その剣の中に囚われとる」


「そ、そんなのどうすればいいんですか!?」


怯えてぶるぶると震えるコルアの前で、ダイタスは金槌かなづちを手に取って昌也の方を向いた。


「破壊するしかあるまい。その剣を壊して息子や人間達の魂を解放する」


「壊す!?ちょっと待ってくれよ!」


それを聞いた昌也が剣を握って後ずさりする。


「そいつをよこせ人間。お前も魂を吸い取られるぞ」


「いや、俺は他の奴らとは違う!剣に取り込まれたりしない」


「昌也、渡した方がいいと思う。彼の言う通り、その剣からは嫌な感じがするの」


エリエスの言葉に賛同しているのか、コルアと康も昌也のことを見つめる。

皆もともと昌也がこの剣を握ることに不安はあった。

それが今回ダイタスの話を聞いて確信へと変わったのだ。


全員から無言の圧力を受けながら、壁に背をつける昌也。


「…っ!みんな今日会ったばかりの奴の言うことを信じるのか?…だいたい、たまたま迷い込んだとこに鍛治屋がいるなんてやっぱおかしいだろ」


「剣が意思を持ってお前達を導いたんだ。偶然ではない」


「俺達は自分の意志でここにいる。剣は関係ねえ!」


むきになった昌也の瞳が一瞬赤く染まったのをダイタスは見逃さなかった。


「…お前さん、剣に呑まれかけとるな。このままだと手遅れになるぞ」


「よこせ」とダイタスは強引に昌也から剣を取り上げると、それを鉄床かなとこの上に置いて金槌を振り上げた。


「やめろっ!」


ガキンッ!と振り下ろされた金槌が鉄床を激しく叩き、摩擦で小さな火花が弾ける。

そこに剣は無い。


「!?」


皆が振り向くと、瞬く間に剣を奪った昌也が玄関先へと飛び出し、刀身を抜いてこちらに切っ先を向けているではないか。

その瞳は赤い光を放ち、狂気じみた異様な雰囲気が漂っていた。


「…この剣が無ければ俺達はアルマーナで死んでた。誰にもこの力は奪わせねぇ」


「昌也!」


エリエスの叫びと同時に、康のズボンのポケットから水の魔石が飛び出す。

石は井戸の水を巻き上げて精霊の姿に変わると昌也の前に対峙した。


「その魔力は…」


水の精霊を目の当たりにしてダイタスが呟く。

庭で休んでいた魔獣達も異変に気付き、毛を逆立てて唸り声を上げた。


「剣を下ろしなさい昌也!仲間に向かって刃を向けるなんて許さない」


エリエスの警告に怯み、剣を握る手に汗が滲む。

だが昌也は剣を手離そうとはしなかった。


「お前はいつもそうだ…。俺の話なんて聞いちゃくれない。いつも力づくで俺を黙らせようとする」


戦意を失わない昌也に対し、水の精霊と魔獣が警戒しながらジリジリと距離を詰める。

康とコルアはそんな緊迫した様子を遠巻きから見守ることしかできない。


全員からの視線を一身に受け、昌也の目が泳ぐ。


きっと今の自分が何を言ったところで、剣を渡すまでは聞き入れられないだろう。

仲間達に囲まれながら、昌也はどうしようもない孤独感に苛まれていた。


「俺だって…」


「…?」


「強くなりたいだけだ…」


昌也は一瞬哀しそうな表情を浮かべると、皆が引き留める間もなく森の中へ逃げた。


「昌也!」「マサヤ!」「昌也君!」


思いもよらなかった出来事に驚きを隠せないエリエス達。

魔獣達がいち早く反応して後を追おうとするが、それをダイタスが制止する。


「待て!殺されるぞ」


森の手前で止まった魔獣はもどかしそうにうろうろと足を動かす。


「マサヤを追いかけないと!」


「追いかけてどうする?説得できるのか?」


「それは…」


ダイタスから諭されて黙り込むコルア。

代わりに康が前に出る。


「でもこのままだと昌也君が迷子になる。彼を見捨てることはできません」


「あやつの眼を見ただろう?追い付いたところで、斬られるかもしれんのだぞ」


「さっきは混乱してただけ。今度はきっと話を聞いてくれるはずよ」


「………」


エリエスの言葉を聞いて、ダイタスは少し考えた後静かに頷いた。


「…分かった。だったらこいつらを連れていけ。鼻がきく」


「ありがとう」


魔獣をあてがわれ、早速森へと足を踏み入れようとする三人。


「ちょっと待て」


「?」


直前でエリエスがダイタスに呼び止められ、振り向く。

ダイタスは少し間を置いた後、どこか言いにくそうに尋ねた。


「…お前さん、もしかしてガルマか?」


(またその名前…)


聞き覚えのある単語に康が反応し、とっさにエリエスの方を向く。




"ガルマ…!何故あなたがここに!?"




それはかつてラノウメルンの丘で襲ってきた魔族の男がエリエスを見て放った言葉。

二度も同じ名前を呼ばれるなんて、きっと何かあるに違いないと康は感じた。


しかし当のエリエスはやはり以前と同じように否定する。


「いいえ、私はエリエス。ガルマじゃない」


「何?しかしその魔力は…」


言いかけてダイタスは途中で口をつぐみ、首を横に振った。


「…いや、儂の勘違いだ。行くがいい。ただし深追いはするなよ」


ダイタスに見送られ、三人と三匹は草木を掻き分けて足早に深い森の中へと消えていった。


(一体誰のことなんだろう、そのガルマって…)


魔獣に先導されながら、水の精霊に乗るエリエスの姿を横目で見る康。


自分達は彼女のことを知っているようで、その過去や生い立ちについては何も知らない事実を改めて突き付けられたような気持ちだった。

とはいえ、今はとにかく昌也を探すことが最優先だ。

気になることは全てが落ち着いた時に改めて聞けばいい。


康は気持ちを切り替えると再び前を向いて、薄暗い森を進むのであった。

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