第35話【巡り合わせ】
「…ん?あいつら、いなくなったぞ」
後ろからずっと追ってきていたはずの男達の姿が、いつの間にか見えなくなったことに昌也が気付いた。
康もサイドミラーを確認してその言葉が事実であることを知ると、安堵の表情を浮かべてトラックの速度を落とす。
「やっと諦めてくれたのかな」
「さっき悲鳴みたいなのが聴こえたような気が…」
耳をピクピクと動かして意識を集中させるコルア。
その時突然バンッ!という激しい衝突音がしたことに「ひゃっ!」と驚いて跳び跳ねた。
草むらから出現した野獣が、牙を剥き出しにしてトラックの窓に飛びかかってきたのだ。
「ひっ…!」
驚きのあまり康の喉からも引きつった声が漏れる。
野獣は爪でガリガリと車体を引っ掻きながら中にいるコルア達を喰らおうと激しく吠えたてる。
吐く息が窓を白く曇らせ、血の混じった唾液が窓にこびりついた。
「くそっ!何なんだよこいつ!?」
焦って剣を握りながら悪態をつく昌也。
やっと賞金稼ぎ達を振り切ったと思いきや、今度は巨大な狼の登場である。
状況はむしろ悪化したといえるだろう。
真っ赤な瞳に睨まれ、コルアと康は身震いする。
「赤い目…。まさか…」
「…っ!!」
エリエスがそれに気付くと同時に、康が急ブレーキを踏んだ。
野獣が追ってきているというのに、何故トラックを止めるのか。
前方を見た一同はその理由に納得して思わず息を飲む。
自分達のいる場所が断崖絶壁の上だったからだ。
ブレーキの判断があと数秒遅ければトラックごと落下して命は無かっただろう。
命が助かったことにホッと一息つく間もなく、一同は目の前に広がる景色に言葉を失った。
分厚い雲に覆われ、雷鳴が響く暗黒の空。
流れる川の水は血を思わせるほど赤く、植物の根が血管のように地表のいたるところに張り巡らされている。
その根の元を辿ると、遥か遠くにとてつもなく巨大な樹木がそびえ立っているのが見えた。
そしてその樹を囲うように要塞化された街と巨城。
「嘘でしょ…。私達、魔界に来ちゃったの…?」
エリエスが愕然と呟く。
「「魔界!?」」
予想だにしなかった現状を聞かされ、全員が目を丸くした。
そこへ再び野獣がトラックに襲いかかる。
周囲を見渡すと、三匹の野獣達によって完全に包囲されてしまっていた。
恐怖のあまりコルアが尻尾を縮こまらせて昌也にしがみつく。
「もし本当にここが魔界なら、この獣達は魔界の番犬なんじゃ…」
「…何だよその番犬って?」
「魔界への侵入者に襲いかかる魔獣で、一度狙った相手が死ぬまでずっと追い続けるとか…」
「死ぬまで…って、どうすりゃいいんだよ!?」
「コルアちゃん、獣同士どうにか説得できない?」
康の提案に、コルアは首が千切れそうなくらいぶんぶんと強く横に振る。
「無理です無理です!魔獣は凶暴で言葉なんか通じません!!外に出た瞬間食べられちゃいますよ!」
「じゃあこのままトラックで逃げるしか…」
「そうね。でももし魔獣が町まで付いてきたら大勢が犠牲になるわ」
エリエスの言う通り、自分達が逃げている途中で誰かと遭遇などしようものなら、この獣は手当たり次第に人々を襲うだろう。
その事実が康にアクセルを踏むのを躊躇させた。
だが打開策が見出だせずにこうして皆が尻込みしている間にもトラックは激しく揺さぶられ、窓はいつ割れてもおかしくないくらいの衝撃を受け続けている。
「…
そんな苛立ちと恐怖のせめぎ合いに堪えかねた昌也が、聖剣を握り締めてドアに手をかけた。
「昌也!」
「?」
エリエスの呼びかけに振り向く昌也。
「…気をつけて」
「ああ。こういう時のための力だろ」
昌也は心配する皆に笑顔を向けて覚悟を決めると、トラックのドアを開けて魔獣が
獲物が自ら出てきたのを見るや、魔獣達が一斉に昌也へ牙を向ける。
昌也は臆することなく聖剣を強く握り、その刀身を鞘から解き放とうとした、まさにその時である。
「…やれやれ、また魔石を狙う馬鹿者がやってきたのか」
森の奥から一人の老人が現れた。
魔獣が老人の存在に気付いて振り向く。
「おじいさん危ない!」
康達の心配とは裏腹に、老人は事も無げに魔獣の隣へ歩み寄ると、その頭を撫でたではないか。
まるでペットにでも接するかのように。
魔獣達も先程までの威圧感はどこへやら、牙を引っ込めてすっかり大人しくなった。
「…何者なんだ?」
昌也は剣に手をかけたまま老人の正体を探る。
禿げ上がった頭に、長く蓄えた髭。
背は低く、みすぼらしい木こりのような格好をした老人である。
しかし両の瞳は充血しているのかと思うくらい真っ赤な色をしている。
康はその瞳にどこか見覚えがあった。
「ラノウメルンでぼくらを襲ってきた男と同じ眼だ…」
「…あの人魔族よ。赤い眼は魔族の証」
「え!?」
エリエスの言葉に驚きを隠せないコルア。
「あれが…」
トラックの窓から身を乗り出して、始めて見る魔族をよく観察する。
向こうもまた同じように、この魔界に足を踏み入れた人間が何者なのか見定めているようだった。
「…ここは人間が来ていい場所じゃない。死にたくなければ
老人と魔獣の威嚇に気圧され、康が慌てて車内から昌也を呼ぶ。
「そ、そうします!昌也君、早く行こう」
「…ああ」
言われた通り剣から手を離し、背中を向ける昌也。
穏便に済むならそれが一番だろう。
これで無駄な争いが回避できたと一同が胸を撫で下ろしていると、ふと老人が昌也の剣に気付いて目を見開いた。
「おい人間!!」
「…?」
「…その剣、ちょっと見せてみろ」
「………」
昌也は怪訝な顔をしつつ、剣を鞘ごと持ち上げて老人によく見えるようにかざす。
剣に目をやり、老人はそれが何なのか確証を得ると頭に冷や汗を浮かべた。
「ガレディア…」
「ガレ…何?」
突然老人が呟いた単語が理解できず、昌也は聞き返す。
「ガレディア。その剣の名だ」
「この剣のこと知ってんのか!?」
「知ってるも何も、その剣は
「はあ!?」
突拍子もない老人の発言に、昌也達全員は信じられないような顔をする。
無理もない。
こんな胡散臭い魔族の老人が聖剣を作ったなどと、一体誰が信用できようか。
「嘘に決まってる!たまたま迷いこんだ森の中で剣の作り手が見つかるなんて、そんな偶然あるわけねーよ」
あまりに出来すぎた展開を昌也は否定するが、老人は動じずただ静かに剣を見つめていた。
「これも巡り合わせか…」
老人は何やら物思いにふけた後、その身を翻して手を振る。
「…ついてこい。証拠を見せてやる」
「証拠?」
昌也は振り向き、仲間達と顔を見合わせる。
本当にこの老人についていって大丈夫なのだろうか、という疑惑がどうしても拭いきれないのだ。
それは皆同じだった。
「…罠とかじゃないよね?」
「でも魔獣を
「確かに、もし私達を殺すつもりならこんな回りくどいことしないと思うわ」
康の不安に同意しつつも、コルアとエリエスは前向きに捉える。
それに、聖剣の謎が解けるかもしれないという好奇心が無いといえば嘘になる。
「どうした?早く来んか!」
悩んでいる一行を催促する老人。
「ちなみに馬車は通れんぞ」と付け足されたことで、康達は警戒しつつも渋々トラックを降りた。
やはり人間界とは違った雰囲気に、ピリピリとした緊張感が走る。
「魔石を忘れないで」
とエリエスから言われて、康は思い出したように慌てて石をズボンのポケットに入れるとトラックに鍵をかけた。
老人の後を追う一行を、魔獣達が鋭い目付きで監視してくる。
いきなり襲われるのではないかという恐怖から、皆は首をすくめながら魔獣の横を通り抜ける。
ジッとこちらを睨んでくる魔獣に対して、コルアは尻尾を丸めながら「えへへ…」と苦笑いした。
『…ちなみに俺達も喋れるぞ、リノルアの娘よ』
「えっ!?」
魔獣が喋った。
ドスの効いた声で唐突に話しかけられ、コルア達は心臓が止まるほど驚いたのは言うまでもない。
『凶暴なのは間違いないがな』
ハハハと邪悪な笑みを浮かべて笑い合う魔獣達に唖然としつつ、だったら最初から喋ってくれよ…と揃って大きな溜め息を吐いたのだった。
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