第32話【屍の上で】


すっかり夜も更け、空にかかる雲からは三日月の仄かな光が漏れ出てきていた。


アルマーナの建物はほぼ全て焼け落ちてしまったため、生き残った人々は町の中心にある酒場だった場所につどった。

ここも全焼してしまったため瓦礫をどけて広場を作り、焼け残った寝具や食糧などを持ち寄って各自休息を取っているところだ。


焚き火の灯りに当てられて、暗がりの中でそれぞれの姿がぼんやりと浮かび上がる。


見渡してみてもマーナ族の残党は十数名しかおらず、そのほとんどは戦闘から逃れた女と子供であった。

どうにか生き延びはしたものの、仲間や家族、そして住む家まで失った一族に喜びの色は無く、あるのは絶望一色。

会話を切り出す者もおらず、辺りに流れるのはパチパチと焚き火にくべられた木が焼ける音と、何人かがすすり泣く声。


よそ者である昌也達とて例外ではなく、それぞれが燃え揺らぐ炎を無言で眺めている。

そんな中、身を寄せ合うコルアとユユのもとに歩み寄って来る者がいた。


セクタスである。

彼は二人の隣に腰を下ろすと、重苦しい空気をゴクリと飲み込んで静かに口を開いた。


「…ユユ。すまなかった」


「………え?」


隣でずっと膝に顔をうずめていたユユは突然話しかけられたことに驚き、顔を上げる。

少し充血した瞳が、泣き疲れた様子を物語っていた。


「追い詰められていたとはいえ、俺はジェイドを…お前の父親を手にかけてしまった。許してくれ…」


「………うん」


ユユは睫毛まつげを伏せて力なく頷く。

子供ながら、どうしようもなかったことは理解していた。

確かに暴力的で恐ろしい父親ではあったものの、唯一の家族を失った哀しみはそう簡単に癒えるものではない。


気まずい沈黙を打ち消すために、セクタスはユユの首もとをチラッと一瞥いちべつして話しかける。


「そのネックレス…ジェイドが作ったんだ」


「父さんが?」


剣を振るう姿しか見たことのない粗暴な父がネックレスを作るなど、到底信じられないユユは思わず振り向く。


「サリーナへの贈り物だった。…あのジェイドが誰かのためにネックレスを作るだなんて、誰も思わなかったよ」


当時のことを思い出したのか、フッと笑みを浮かべるセクタス。


「ジェイドはサリーナのことも、お前のことも愛してた。不器用な男だったが、それだけは確かだ」


「………うん」


それを聞いたユユはネックレスを握り締め、微かに下唇に力を込めた。


しばらく沈黙が続いたのを見て、今度はコルアが胸につっかえていた疑問を投げ掛ける。


「…これからどうするんですか?」


その問いに対してセクタスは首を横に振って「分からない…」と大きく溜息を吐いた。


「この状況ではアルマーナの復興は不可能だ。医療品や食糧が底をつく前に町を捨ててどこかへ移るしかない」


「行くあてはあるんですか?」と、会話を横から聞いていた康が口を挟む。

右肩にはエリエスも乗っていた。


「さあな…。女子供や怪我人を連れての長旅は難しい。マーナ族である我々を受け入れてくれる町も無いだろう。…ハッキリ言ってお手上げだよ」


これといった打開策が浮かばず、うーんと頭を悩ませる一同に向かってエリエスがとある提案をする。


「ラノウメルンに移住するのはどう?」


「ああっ!それいいかも」


「ラノウメルン?」


康が感嘆の声を上げるも、セクタスは意味が分からず首を傾げた。


「あの町とは交流がほとんど無い。我々を受け入れてくれるとは思えないが…」


「あの町の人達は優しいからきっと受け入れてくれますよ!」


これといった根拠のないコルアの意見に今一つ納得のいかないセクタスだが、あの町を救った経緯のある康達は楽観的だった。


「僕達からもお願いすれば大丈夫なんじゃないかな」


「ええ。言い方は良くないけど、私達はあの町に貸しがあるから、きっと受け入れてくれると思うわ」


「…分かった、君達の言葉を信じよう」


前向きな康達の目を見て、マーナ族の皆の間に流れる空気が絶望から希望へと変わった。


「じゃあ明日の朝ラノウメルンに出発する!みんな今夜はゆっくり休んで体力を温存してくれ」


セクタスの号令を受け、皆は言われた通り眠るための準備を始めたのであった。


康達も明日に備えて寝ようとしたが、ここでふとコルアが何かを思い出したかのように周囲をキョロキョロと見渡す。


「…そう言えばマサヤは?」


「あれ…?さっきまでその辺りにいたはずなんだけど…」と康。


言われてみればいつの間にか昌也の姿が見えなかった。

トイレにでも行ったのだろうか。

しかしこの暗闇の中、何も言わずに消えたのは正直心配だ。


「ちょっと探しに行ってきます!」


「待って」


コルアが立ち上がるのを見て、周辺の水を集結させて精霊を呼び出すエリエス。


「私も行くわ。今の昌也は何が起こるか分からない」


「そうだね、僕も行くよ」


すかさず康も立ち上がる。


自分も、と後に続くユユの肩をコルアが優しく掴んだ。


「ユユはここで待っててくれる?セクタスさん達と居てくれた方が安心だから」


「…わかった」


コルアになだめられて仕方なく座り込むユユ。

そんなユユに笑顔を向け、コルアは松明たいまつを手に取った。


「じゃあ行きましょうか」






闇夜の町に、声が響く。

それは康とコルアが昌也を呼ぶ声に他ならない。

万が一に備え、エリエスも水の精霊を召喚して捜索に当たっていた。


「マサヤー!」

「昌也君ー!」


姿を消した昌也を探し始めたのはいいものの、どこにいるのか全く検討もつかない一行はしらみ潰しに近場を巡る。


町の中にいれば声は届いているはずだが、一向に返事が返ってくる気配もない。

松明の光だけが頼りで数メートル先も見通せないため、こちらが昌也を見つけるというよりは、向こうに見つけてもらうことでしか合流は難しいだろう。


「昌也君、どこに行っちゃったんだろう…」


歩きながら松明を左右に動かして周囲を探る康。


「…!」


その時不意に、コルアが足を止めた。

耳をピクピクと動かし、意識を集中しているようだ。


「コルアちゃんどうしたの?」


「…何か聴こえる」


「え?」


言われて康とエリエスも立ち止まって耳をすませてみるものの、二人には何も聴こえない。


「…気のせいじゃないかな?」


「あっち!」


今度は駆け足で闇の中を走っていくコルアに、康とエリエスも慌ててついていく。

コルアの走る速度は徐々に上がり、二人は次第に距離を引き離されてしまう。

このままだと見失いかねず、康は焦って声をかけた。


「コルアちゃん、もう少しゆっくり…」


「!!」


突然コルアが立ち止まった。


両の目は一点を見つめ、肩を上下させながら驚愕の表情を浮かべている。

康達も恐る恐る松明をかざして視線を辿ると、そこには…


「昌也君?」


膝を抱えてしゃがみ込む昌也の後ろ姿があったではないか。


それは異様な光景だった。


この周囲に何もない闇の中で明かりも持たず、声をかけても微動だにしない。

ただすがるように剣を抱き締めて身体に強く密着させている。


ある種の不気味さを感じながらも、康は昌也を連れ戻そうと手を伸ばした。


「どうしたの?こんなところにいないで、早く皆の…」


「待って!…様子が変よ」


昌也に近付くのをエリエスが制する。


鞘に収まっているとはいえ剣を持っている。

下手に近付くとまた斬りかかられるかもしれないと危惧したのだ。


そのまま二人が警戒して昌也の動向を見定めている中、コルアが一歩足を踏み出した。


「マサヤ…泣いてるの?」


「………」


言われてみると、ズズッと鼻をすするような音や、声にならない声が昌也の方から漏れ出ていた。

顔は見えないが、確かに泣いているように見える。


コルアはそっと隣にしゃがみこんだ。


「…大丈夫?」


「………」


反応はない。

昌也はずっと顔を伏せたまま動こうとしなかった。


そんな彼に手を回し、コルアはゆっくりと抱き締める。


「コルアちゃん!?」


一度斬られた身だ。

警戒心が無いといえば嘘になるが、不思議と今の昌也からは恐ろしい気配どころか、むしろ弱々しく怯える子供のような雰囲気を感じ取っていた。


「…何があったの?」


コルアの問いかけに、昌也は唇を震わせながら蚊の鳴くような小さな声を絞り出す。


「…眼が………」


「え?」


「眼が……俺のことを見るんだ…」


「…誰の眼ですか?」


「…俺が…殺した奴ら……」


「…!」


思いもしなかった言葉に、コルア達は絶句した。


皆が今日一日、怪我人の介抱や火災の消火などをしている間、昌也はずっと死者の埋葬を行っていた。


その遺体の多くは、昌也が自らが手にかけた者達。

切断された生首や四肢をかき集めて埋めていく内に、昌也の中に言い様のない感情が芽生えたのである。


恐怖


不安


罪悪感


背徳心


これまでの人生で感じたこともないような、とてつもない重圧に、昌也の心は押し潰されていた。


無理もない。

ずっと他人と殴り合いすらしてきたこともない人生を送ってきたのに、ある日突然人をあやめてしまったのだ。

それも大勢。

剣を握っている間は力を得たことによる高揚が上回っていたが、我に返ってようやく自分のやったことの恐ろしさを昌也は自覚した。


ガタガタと震える昌也をコルアは強く抱き締める。

まだ片腕しか使えないが、精一杯の力を込めて。


「…マサヤは皆を守ったんだよ!殺したんじゃなくて、守った」


「俺が殺した…。洗っても洗っても、手に血がこびりついて…」


昌也が掌を出したのを見て、水の精霊がその手を握った。


「!?」


水が昌也の手を包み込み、付着した汚れを綺麗に洗い流す。

精霊が離れた時には、昌也の手にもう血は付いていなかった。


エリエスは昌也の肩に飛び移り、耳元で囁く。


「…もう大丈夫。あなたは汚れてない」


康も後ろから昌也の肩に手を置いた。


「…戻ろう昌也君。独りで背負う必要なんかない。僕達みんな仲間なんだから」


渇ききった瞳に、涙が再び滲む。

三人の温もりに包まれて、昌也は声を上げていた。


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