第14話 【強がり】


水の牢獄に囚われ、首から下の自由を完全に奪われた3人。

抵抗しようにもまるで蓑虫みのむしのように身をよじるだけで精一杯だ。


「ほらな!おっさんのせいで俺達みんな死ぬんだ!!」


言わんこっちゃないと顔をしかめる昌也だったが、こうなった以上もはや打つ手はない。

このまま鼻や口も塞がれて、あとは窒息死を待つだけ。


「こんなところで死にたくないよー!」


「うぅ、ごめん…ごめんよ…」


泣きわめくコルアと、ひたすらに謝る康。


蜘蛛の巣に絡まった獲物の如く3人が絶望に打ちひしがれる中、蛙はただ静かに精霊の右肩に乗ってそれぞれのことを見据えていた。


生殺与奪を完全に握られているこの状況下。

その視線の微かな動きにさえピリリとした緊張が走り、心臓が締め付けれるように苦しい。


しばらくして重い口を開いたのは昌也達でも精霊でもなく、その蛙自身だった。


「…あなた達、水の魔石を手に入れてどうするつもり?」


先程の精霊と同じ声色だが、口調から堅苦しさが消え、目の前の蛙から発せられたとは到底思えないような人間の女性らしい口ぶり。


「蛙が喋った!?」


コルアの大袈裟な反応に、昌也は冷ややかな視線を送る。


「獣人のお前が喋るくらいだから今さら驚かねーよ…」


こちらの世界では蛙が喋るのは不思議なことなのかもしれないが、火を吹くドラゴンや会話する獣人がいるような奇怪な状景を見すぎた昌也と康に今さら驚きはない。


「ぼく達はガソリンっていう液体を増やしたいだけで、その石があれば何とかなるって聞いて、それで…」


しどろもどろになる康に、蛙が聞き返す。


「確かにこの石はどんな液体でも思い通りに増やしたり操ったりできるけど、そのガソリンというのは一体何なの?」


「トラックを動かすための燃料です」


「…トラック?」


「馬車みたいな乗り物で、自分達はそれに乗って旅をしてるんです」


この世界でのいつも通りの反応にもすっかり慣れたコルアが横から助け船を出す。


「つまりあなた達は、その乗り物を動かすためだけに石を奪いに来たの?」


「まあその…そういうことです…」


気まずげに視線を逸らす一同。

そんな3人の様子を見て、蛙は呆れたようなホッとしたような表情で緊張を解いた。


「…あなた達、他の奴らとは違うみたいね」


「他の奴ら?」


「そこにいる連中のことよ」


蛙は付近に散らばった骸を見渡す。


「この連中は力を求めたり悪用するために石を狙い、見つけた途端仲間割れを起こしてこの様よ…」


「お前が殺したんじゃなかったのか…」


昌也の呟きに、蛙は少しムッとして言い返す。


「私はただ連中が二度と来ないように驚かせたり痛めつけたりしただけ」


「俺達は殺されかけたけどな」


「本気で私の命を脅かそうと向かって来る相手を返り討ちにすることに何か問題でもある?」


「う…、それは…悪かったよ…」


先程の自分の行動を思い返し、昌也はばつが悪そうに謝った。

結果的に康が思い止まったおかげで殺さずに済んだものの、強引に石を奪おうとしたのは事実だ。

責められて当然だろう。


「それに、もし私を殺してたら魔石も力を失うところだったのよ?」


「え!?」


「石は私から魔力を吸い上げて力を得てるから、私が死ねばただの石に成り果てる」


「そうだったのか…」


偶然とはいえ自分ではなく康の判断が正しかったと知り、ぐうの音も出ない。

蛙は項垂うなだれる昌也を一瞥いちべつすると、水面に映る自分の姿を眺める。


「…でもまあ、殺されても仕方ないことなのかもね。私はただの蛙なんだから…」


哀しげな呟き。

その背中は、どこか憂いを帯びているように見えた。


「君は…」


康が声を発すると同時に、3人を拘束していた水がパシャリとこぼれて消える。


「!」


地面に打ち捨てられた各々は、体を動かして自由になった事実を確認するとすぐに身を起こした。


水を限界まで吸い込んで濡れた服が全身を縛るかせのようにしっとり重い。

そして寒い。

夕暮れのひんやりとした風を受けて身震いする昌也の横を通り抜け、水の精霊に乗った蛙は康の前へとやってきた。


「あなたは命の恩人よ。お礼として、そのガソリンというのを増やしてあげるから案内して」


そう言ったかと思うと、途端に周辺を包んでいた白い霧が嘘のように消え去って視界が開ける。

どうやらこの山全域を覆う濃霧も蛙の力で発生していたものらしい。

呆気に取られながら3人は、そういえば霧の成分も水だったなと今さらながら思ったのだった。









「それじゃあ、やってみるよ?」


昌也とコルア、蛙が見守る前で康が恐る恐るトラックの給油口の中に水の魔石を放り込んだ。


石がカラカラと音を立ててガソリンタンクの中に転がり落ち、ほんの少し水分を弾く音が聞こえた。

昌也が耳を傾けてみると、内部からコポコポと僅かに水が湧き出るような音が聴こえる気がする。


「どうですか?」


「さあ…、何か音はするけど…」


コルアに向かって自信なさげに答える昌也。


その時突然トラックが爆音を響かせたことに驚き、昌也は飛び退く。

康がエンジンをかけたのだ。


「うわっ!動かすなら先に言ってくれよ!?」


「ごめんごめん」


と、運転席から康。


そのままトラックの中で食い入るようにメーターを覗き込んでいると、燃料のゲージが徐々にではあるが上昇を始めたではないか。


「やった!ガソリンが増えてるよ!!」


「マジか!?」


半信半疑だった昌也も同じくメーターを見るなり歓喜の声を上げた。

やがてガソリンが満タンになったのを確認すると、康の合図で蛙が魔石を給油口から排出する。

魔石は付近の水溜まりに飛び込むと、再び水の精霊へと姿を変えて蛙を肩に乗せた。


「これで大丈夫なの?」


「もちろん、おかげで満タンになったよ!」


エンジンを動かしたまま運転席から康が降りてきてお礼を言う。

一件落着とばかりに昌也も肩の荷を下ろし、久しぶりに笑顔が戻った。


「これでしばらくは持ちそうだな。もしガソリンが無くなりそうになったら、またここに来ていいか?」


3人の上機嫌な眼差しとは裏腹に、肝心の蛙はというとその言葉に苦い顔をした。


「残念だけど、私はもうここを離れようと思ってるの。石を狙う連中から身を隠すためにここに留まっていたけど、噂が広まってしまったから他の隠れ家を探すことにするわ」


「えっ!?てことはもうその石の力は頼れないってことか?」


「そうね」


「やっとガソリンの心配が無くなると思ったのに…」


必死に手繰り寄せた糸が切れたような結末に昌也はガックリと肩を落とした。

また一から別の方法を探さなくてはいけないかと思うと気が重くなる。

コルアも同じ気持ちで俯く。

すっかり意気消沈する昌也達の隣で、康だけは何か言いたげに蛙の前に出た。


「あの…もし迷惑じゃなければさ、僕達と一緒に行かない?」


「えっ!?」


予想だにしなかった提案に今度は蛙が驚く番だった。

無論、昌也とコルアも同じくらい面食らって眼をパチクリさせているのは言うまでもない。


「私に、あなた達の旅に同行しろって言うの?…それでいつでも都合のいい時に石の力を利用するってわけ?」


「もちろん無理にとは言わないよ!でも一緒に来てくれたら僕達は凄く助かるし、それに君は…」


「…?」


「なんだか寂しそうだし…」


「………」


まさかそんな言葉をかけられるとは思ってもみなかった。

ずっと山に籠り、寂しいだなんて感情を押し殺してきた永い日々。

蛙である自分の気持ちなど誰からも理解されないと思っていたのに…。


溢れ出る感情が口元を震わせる。


「そ、そんなこと…」


戸惑いを隠しきれない蛙に対して康は真剣な眼差しで向き合う。


「これからはどこにも隠れなくて済むように僕達が君のことを守るからさ、どうかな?」


ここで蛙の目が陰り、急に張り詰める空気。


「…守る?」


いきなり一帯の空気や大地が震え出したかと思うと、そばを流れる川から水が沸き上がって魔石の精霊の元へ集まり始めたではないか。

山に巣食う鳥という鳥が、突然の地鳴りに危険を察知して一斉に上空へと飛び立ち逃げて行く。


「誰が、誰を守るって?」


まるで地面から空に向けて雨が降っているようだった。

舞い上がった水分は重力の法則を無視して、磁力に引き付けられる鉄の如く、ただ一点に集結する。

精霊だったものはみるみる内に膨大な量の水を吸収すると、とてつもなく巨大な八つ首の竜へと姿を変えた。


水流を激しく振動させたような巨竜の不気味な咆哮が鼓膜を震わせる。


蛙の持つ力の強大さに言葉を失う昌也達。


先程あと少しのところで倒す寸前までいったのは、ただ相手が油断していただけなのだと改めて思い知った。

トラックなどいとも簡単に丸飲みにしてしまいそうな巨大な竜の口が詰め寄ってくる。


「何の力も持たない人間風情が、私を守るですって?」


巨竜の頭上で蛙が凄み、思わず後退りする昌也とコルア。

だが意外にも康だけが尻込みすることなく蛙の眼を見つめ返した。


「…守るよ。どれだけ大きな力を持ってても、君は優しくて独りぼっちだから」


「………」


流れる沈黙。

しかし康の真っ直ぐな瞳にほだされたのか、やがて蛙の雰囲気はほがらかなものへと変わった。


ピョンと蛙が康の右肩に飛び乗る。

それと同時に水の竜は水蒸気となって空気中に霧散し、周囲一帯にパラパラと小雨を降らせた。


「…あなた、以外と勇気があるのね。足は震えてるけど」


康の肩の上で蛙が呟く。


「はは…」


強がっていることがバレてしまい、気まずさを誤魔化すように康は苦笑いを浮かべた。


「いいわ。旅に同行してあげる」


「ほんとに!?」


「ただし条件がある。私を、カトリシアに連れていって」


「…カトリシア?」


聞いたこともない単語がいきなり出てきて、首を傾げる昌也と康。

代わりにコルアが耳をピンと立てて反応した。


「それって、聖都カトリシアのことですか?」


「ええ」


「どんなとこなんだ?」


話についていけない昌也が口を挟む。


「法皇と聖女が治めるとても神聖な街ですよ。でもここからものすごーく遠くて、トラックでも何日かかるか…」


「ふーん…ま、ガソリンの心配もなくなったことだし、何とかなるだろ」


えらく楽観的な昌也に「そうだね」と康も同意する。


「でもそろそろ暗くなるから、一旦ラノウメルンに戻ろうか」


「え、また戻るのか?」


「夜道は危ないし、それにあの司書さんにお礼も言いたいしね」


太陽はいつの間にか沈みかけていて、夕暮れのオレンジ色も、夜の青黒さをにじませ始めていた。


その時、くしゅん!と突然コルアが大きなくしゃみをした。


「…あの、どこでもいいから早く着替えて休みましょう」


寒そうに自分の身を抱くコルアを見て、昌也は苦笑いを浮かべる。

かくいう昌也もずっと寒さを我慢していたので、正直なところコルアと同じ気持ちだった。


「…じゃあラノウメルンに戻るか」


そうと決まると、一同は早速トラックに乗り込む。

康はすぐに車内のエアコンを動かして、設定温度を限界まで暖かくした。


「ひっ!中から風が吹いてますよ!?」


大げさに驚きながらエアコンの送風口をカチャカチャと動かすコルアを、昌也は呆れながら静止する。


「すぐに暖かくなるから我慢しろ」


「何なんですかこの風?」


「それはエアコンって言って…」


昌也の説明に耳を傾けるコルア。


そんな二人の様子を、康の肩の上から穏やかに眺める蛙。

何年もの間山の中で孤独だったため、こんな風に賑やかな空間に身を置いていることにまだ実感が湧いていないのだ。


「これからよろしくね、蛙さん」


康がシートベルトを装着しながら、蛙に声をかけた。

ハッとした蛙は康の目を見つめ、少し戸惑いがちに返事をした。


「…エリエスよ。私の名前はエリエス」


「エリエス?そんな名前だったんだね。…ぼくは康」


康はエリエスという名前を胸に刻み込み、あらためてよろしくと伝えた。


「自分はコルアっていいます!」


「俺は昌也」


やり取りを横から聞いていた二人が、それぞれ自己紹介をする。

エリエスが目をやると、皆が温かい目で自分を見ていた。


こんな視線を浴びるのはいつぶりだろうか。


今まで向けられてきたのは、自分の命を狙う殺気立った冷たい視線ばかり。

ずっと、他人の視線が恐かった。

孤独なまま、暗い山奥で死んでいくだけだと思っていた。

だが、そんな暮らしもとうとう終わったのだ。

そんな実感と共に、エリエスの瞳を涙が濡らした。


「よろしく…」


来たときよりも一人仲間を増やして、一行はラノウメルンへと引き返す。

3人乗りのトラックで、4人の旅は順調に進みだしたかに思われていた。






…しかし、夜の闇に紛れ、ラノウメルンを一望できる丘の上で妖しげに立つ何者かの影が、不穏な空気を予感させた。


「人間どもに死を…」


その人物が呟いた直後、凄まじい数の羽虫が飛び立った。

鋭い顎とトゲを持った、蜂のような虫である。

虫は大群となってラノウメルンを目指し、夜空を覆った。


ラノウメルンを照らしていた月の光が途絶えたことに気付いた者は、まだいない。

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