第15話 【蠢くもの】


いつの間にか日が落ち、月が辺りをぼんやりと照らす夜の始まり。


ガタガタと揺れるトラックの中で、昌也は拳ほどの大きさをした石の塊をまじまじと観察していた。

青黒く艶やかな岩肌の隅々にはラメパウダーのような綺麗な砂粒が点在し、まるで星空のような煌めきを放っていた。

水の魔石である。


「こんなので液体が操れるなんて、意味わかんねーな…」


ぐるりと回したり、裏返したりするも、特に仕掛けも見当たらないただの石。

にも関わらず、巨大な水の竜を生み出したり、ガソリンを培養する様子を実際に目の当たりにしたため、その力を否定することはできない。


「その石は魔力を持つ者からエネルギーを吸い上げて液体に作用させる力を持ってるの。だから魔力を持たざる者が触ったところで水一滴すら生み出すことはできない」


と、運転中の康の肩の上からエリエスが言う。


「魔力ねぇ…。それって俺には無いのか?」


「無いでしょうね。魔力を持つ人間なんてほんの一握りしかいないし、しかも魔石を操るなんて芸当ができるのは魔族くらい」


「魔族?」


「知ってます!この世界の果てにあると言われてる、世界樹のふもとに棲んでる種族ですよね!?」


昌也とエリエスの間に挟まれ、先ほどまで静かに耳を傾けていたコルアが得意気に手を上げて会話に加わる。


「そうよ。一説によると、彼らが魔力を持っているのは世界樹の影響とも言われてるわね」


「魔族は世界樹の力を利用して世界を支配しようとしてるって、村のみんなが言ってました」


「…さっきから魔族だの世界樹だの、聞いたこともない話ばっかだな」


昌也がお手上げとばかりに石を車内のダッシュボードに置き、溜め息を吐きながら背もたれに体を預ける。

詳しく話を聞きたい気もするが、分からないことだらけで頭が混乱しそうだ。


だが、ひとつだけ気になる疑念が生まれた。


「ん?魔石は魔族しか使えないって…、てことはエリエスは魔族なのか?」


その一言に、ピリリとした緊張が車内を走る。


「いえ、私は…」


「みんな!ちょっと見て」


突然、運転中の康がエリエスの発言を遮り、ブレーキを踏んだ。

停車したトラックの前方には、ラノウメルンの町がもう目と鼻の先にある。

しかし何やら様子がおかしい。


「何だあれ…。雲?」


昌也が窓に顔を張り付けて呟く。

町のすぐ上空で、黒いもやのようなものがユラユラと揺らめいていたのだ。

その靄は闇に紛れて膨らんだり捻れたりと、雲にあるまじき奇妙な動きをしながら徐々に町を飲み込んでいく。

異様な光景にゴクリと唾を飲みこみ、言葉を失う一行。


直後、ドンッ!と大きな音を立てて、トラックに何かがぶつかった。


「うおっ!?」


何者かの手のひらが勢いよく窓を叩いたことに驚き、思わず仰け反る昌也。


「お願い、中に入れてっ!」


窓越しに、聞き覚えのある女性の声。

最初は暗くてよく見えなかったが、トラックの外から必死の形相を向けてきたのは他でもない、図書館の司書ヒスタだった。


「お前、…ヒスタ!?」


ただならぬ剣幕で声を荒げるヒスタに、車内の一同は戸惑う。


「どうかしたの?」と運転席から康が尋ねるも、ヒスタはなおも慌てた様子で訴えかけてきた。


「説明してる暇はない!とにかく入れて!」


「いや、入れてって言われても、この車3人乗りだからこれ以上…」


「早くっ!"あれ"が来る!!」


昌也の声を掻き消し、ヒスタが叫んだ。


その時である。


不意に、奇妙な音がどこからともなく聴こえてきた。

はえが耳元で飛び回っている時のような、虫の羽音とおぼしき音。

しかしその規模は一匹や二匹どころではなく、何百、いや何千もの数の重なりを予感させ、大気の震えが肌をもピリピリと刺激してくる。

音の方を向くと、巨大な闇がまるで津波のようにうごめきながら押し寄せてきたではないか。


「何だよ、あれ…」


得体の知れない恐怖にのまれ、昌也の動きが固まる。

闇はもう目の前まで迫っていた。


「マサヤ!」


コルアの声に弾かれ、ハッとした昌也は急いでドアを開ける。


「早く乗れ!!」


「…っ!」


車内に自分の入る席が無いことを悟ったヒスタはなかば強引に、昌也達の膝の上へもぞもぞと頭から突っ込んだ。

一行は身を寄せながらヒスタの身体を何とか引きずり込むと慌ててドアを閉める。


次の瞬間、トラックが闇に飲み込まれた。


まるで砂嵐の如く、耳を塞ぎたくなるような轟音と共に、窓に何百匹もの羽虫が次々と衝突してくる。


「うげっ、虫!?」


昌也は窓に張り付いたそれに目をやり、思わず身震いする。

蝿そっくりな頭と胸をしているが、腹から下はムカデのように長くうねり、その先端に鋭い針を持つ醜悪な生き物だったからだ。

一匹の大きさは5cmくらいとそれほど大きくはないものの、それが数えきれないくらい密集して窓に張り付き、ウジャウジャと這い回っている様はおぞましいの一言に尽きる。


きゃー!とヒスタの悲鳴が上がる。


「蛙…蛙が!!」


見ると、自分の顔のすぐ前にいたエリエスと目が合ってバタバタと身をよじっているところだった。

なんだそんなことかと昌也達はホッと溜め息を吐く。


「彼女はエリエス。さっき仲間になったばかりなんだ」


康からの紹介を受け、エリエスが「よろしく」と声をかけてきたことにヒスタはさらに驚く。


「か、蛙が喋った!?これは…興味深いですね」


「今はそれどころじゃねーだろ!一体何なんだよこの虫は!?」


昌也にいさめられ、ヒスタはクイッと眼鏡を整えて窓の外を見た。


「…私の知識に間違いがなければ、あれはギルゴアといって、強力な毒を持つ虫です」


「げっ、毒があるのか!?」


「あの針に刺されたら最後、一日足らずで死に至ると言われてるほどの猛毒です」


「死ぬ…」


最悪の単語を耳にし、一同の表情が青ざめる。


「でもギルゴアの生息地は魔界のはず。こんなところで大量発生するなんてありえない」


言っている間にもその虫はトラックに歯を立て、中に侵入しようと縦横無尽に動き回っていた。

フロントガラスも一面覆い尽くされて視界が完全に閉ざされているため、これでは下手にトラックを動かすこともできない。


「どうするんですか~!?」


パニックに陥ったコルアは昌也と康の顔を交互に見るが、二人とも為す術なく顔を歪めていた。

そんな中ヒスタが何かを思い出したのか、急に声を荒げる。


「灯りを…灯りを消して!全部」


「そんなことしたら何も見えなくなるぞ!?」


「いいから早くっ!」


ヒスタに促されるまま、昌也はやけくそで車内の灯りを消し、康も躊躇いながらトラックのヘッドライトを切った。


途端に漆黒の闇が訪れる。


隣にいる仲間の顔すらはっきり見えない暗闇の中、互いの存在を確かめるように、皆は身を寄せ合った。

しかし相変わらず轟々とした恐ろしげな虫の羽音が辺りを支配し、恐怖に飲まれそうになる。


「こんなことして一体何に…」


「しーっ!声を立てないで」


ヒスタが声を潜めて忠告してきたため、昌也は口をつぐむ。

しばらくすると、どこからともなく月の光が射し込んできたではないか。

虫が徐々にトラックを離れ、窓に隙間ができたためだ。


「虫が離れていく…」


「ギルゴアは光に集まる習性があるの。もう少しこのまま様子を見ましょう」


ヒソヒソとそんな会話をしていると、ヒスタの言う通り、やがて虫達は光を失ったトラックを離れてラノウメルンの町へと進路を変えたのだった。


最後の一匹の影が窓から飛び立ったのを見て、ホッと全員の肩から力が抜ける。


「助かった…」


「でも町の人達が…!」


虫の大群が黒い霧となって町を侵食する様子を目の当たりにし、康がハンドルを強く握り締める。


恐らく住人が襲われているのだろう。

ラノウメルンの方からは大勢の入り交じった悲鳴が、筆舌に尽くしがたい阿鼻叫喚の音を奏でていた。

コルアは堪らず耳を伏せて町を指差す。


「た…助けに行きましょうよ!」


「助けに…ったって、どうもできねーよ…。町に行けば俺らだって巻き込まれて終わりだ」


昌也の発言に、ヒスタも同調した。


「彼の言う通りです。私たちも早くここから離れないと、またいつ襲われるか…」


「………」


車内に気まずい沈黙が流れる。

頭では分かっていても、大勢の人を見捨てることに対して良心の呵責かしゃくに苛まれてしまうのは当然のことであろう。

しかし何も対策が浮かばない以上、今はとにかく仲間の身の安全だけでも確保すべきなのは明白だ。


「…そうだね、今は一旦離れてから考えよう」


康は唇を噛んで、トラックを発進させるためにシフトレバーに手を伸ばそうとする。

…が、座席の前へ強引に乗り上げたヒスタの体が車内を圧迫していて、腕一本すら動かすのが難しい。


「ごめん、トラックを運転するから少し体を寄せてもらえるかな?」


「え?…あ、すみません」


ヒスタが苦しげに身をよじると、何かが肘に当たってゴトッと足下に落ちた。


「な、何?」


「あー、多分さっき俺がそこに置いた水の魔石が…」


そこまで言って、何故か昌也の言葉が途切れる。

皆が不思議に思っていると、昌也はいきなり興奮気味に声を上げたではないか。


「そうだ、エリエス!お前なら何とかできるんじゃないのか!?」


「…!」


一同の視線がエリエスに注がれる。


確かに絶大な水の魔力を持つ彼女なら、あの虫の大群を追い払えるかもしれない。

エリエスの強さを身を持って体感した昌也と康、コルアは確信に近い希望を見出だした。


「そうですよ!あの時みたいに水の竜を出せばあんな虫なんて…」


「でも、あの数の虫を仕留めるには大量の水が必要よ」


詰め寄るコルアに対してエリエスは冷静に答える。


「水なら大丈夫。あの町の反対側には海があるんだ!」と、康。


「海?…それならあの町ごと沈めれるわね」


「「やめろ(やめて)!」」


エリエスの恐ろしげな一言に、全員が声を重ねてツッコむ。

そんな反応に、彼女はふふっと微笑んだ。


「冗談よ。…分かった、やるだけやってみるわ」


「じゃあ急いで海まで行きましょう!」


意気揚々としたコルアの声を合図に康はハンドルを握り、アクセルを強く踏んだ。


海へ向けてトラックは進む。

しかし、一行が考えるよりも、事態はそう簡単には収まらない。

彼らが進む先に広がる闇は深い。

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