第5話【赤の襲来】


車内に音楽が流れていた。

前奏はピアノから始まり、そこから徐々にギターのサウンドと男性のボーカルが入り交じる。

前向きで、それでいてどこか切ないような不思議な曲だった。


「何なんですかこの音楽は!?」


座席の真ん中に座るコルアが興味津々でトラックに搭載されたスピーカーを覗き込む。


「それはCD。歌を録音してる機械だよ」


康の説明に「へぇ…」と頷いてはいるものの、きっと理解していないだろう。


「これって誰の曲?」


隣から昌也が口を挟む。


「スピッツだけど」


「スピッツ?聞いたことあるような、ないような…」


音楽に疎い昌也はその歌手のことをよく知らなかった。

暇な時間があればもっぱらスマホで漫画を読むかゲームをするかの二択しかない昌也にとって、こんな風に誰かの曲を聴くのに集中するのは久しぶりのことだ。


基本的にはやはりゲームをしている方が楽しいが、音楽を流しながら異世界をドライブするというのも、これはこれでまた違った趣きがある。


「いい曲ですね」


コルアの呟きに、昌也も心の中で秘かに同意した。





それから1時間ほど走っただろうか。


だんだんと景色から植物が減っていき、今通っているのはゴツゴツとした岩や土に囲まれた荒野だった。


左右が巨大な岩壁に囲まれた広い大地をスリップしないよう康は慎重に運転していた。


足場がでこぼことしていて、少し進むたびにトラックが大きく揺さぶられる。

タイヤの大きいトラックだからこそ速度を落としながら何とか乗り越えられているが、もしもこれが普通乗用車なら恐らく通るのも困難な未開の地である。


虫や小鳥のさえずりすらなく、トラックの窓から微かに漏れる音楽と、タイヤが地面をかきむしる音だけが一帯に響いていた。


そんなトラックの様子を岩壁の上から密かに見下ろす人物がいたが、この時はまだ誰も知るよしもなかった…。


その頃車内はというと。


コルアが読み飽きて置いた動物図鑑を、昌也が退屈凌ぎに眺めていた。


読みながら何度も運転の振動で不規則に揺さぶられ、窓に頭を打ちそうになる。

道の特性上仕方のない現象とはいえ、本に集中できず酔いそうだ。


とはいえ何もせずに進路を向いているのはどうにもしょうに合わず、隣の二人と会話するのも億劫なため大した理由もなくペラペラとページを捲る。


本の内容は主に犬や猫のことで、いろんな種類や躾方しつけかた、餌や病気についての専門的な知識が図解などと共に解りやすく記されていた。


昌也は掲載されている犬の画像を見て、ふと隣にいるコルアの横顔と交互に比べてみる。


(…こいつは結局犬なのか?)


犬にしては鼻が短めで耳が大きい気がする。

かと言って猫の画像と比較しても微妙に違いがあるので、結局のところ解らずじまいだ。

そもそも異世界の種族に日本の生物事情を当てはめようとするだけ無駄なのかもしれない、と昌也は思った。


さっきからじろじろと自分を見る昌也の視線にコルアが気付く。


「…どうかしましたか?」


「いや、別に…」


気まずさを誤魔化すように、慌てて本を閉じて窓の外を向く昌也。


「…ん?」


その時、遠くの方に人影が見えた気がした。


「なあ、あれって…」


「え?」


昌也の視線に釣られてコルアも同じ場所を見る。

すると確かに人の姿らしきものが岩壁に立っていた。


目を凝らすと、赤いスカーフで顔面を覆った大人だというのが見てとれる。


「誰だ、あれ…」


建物も自然もないこんな辺境の地に人がいるなんておかしな話である。

呑気に眺める昌也とは対照的に、ハッとその正体にいち早く気付いたコルアが叫んだ。


「赤の盗賊団!」


直後、ピィーと笛のような音が岩壁を反響して一帯を通り抜ける。


「早く逃げて!」


気が動転したのか、運転する康の腕にしがみつくコルア。


「うわっ!」


突然の出来事にハンドルを取られそうになった康は慌ててコルアの方を見る。


その瞳は怯えと恐怖の感情で染まっていた。


「一体何が…」


不意に、異変に気付いた康が途中で言葉を止める。


トラックに揺られながらでも、大地が微かに震えているのが分かったのだ。


それだけではない。


何処からともなくドッドッドッと、まるで太鼓のように激しい重低音が体の芯にまで届く。


「!?」


恐る恐るサイドミラーを覗いた康は驚愕した。


後方から土煙を上げながら大勢の馬に乗った人の群れがこちらに迫って来ていたのだ。

皆、一様に赤のスカーフで顔面を覆い、手には武器らしきものを所持していた。


「何だよあいつら!?」


謎の武装集団の登場に、焦りを禁じ得ない昌也。

その隣でコルアが「もうおしまいだ…」と震えながら呟いた。


「…奴らは赤の盗賊団。通りがかる馬車や人を見つけては皆殺しにして荷物を奪うんです」


「はあっ!?」


皆殺しという不穏極まりない単語を耳にして昌也のひたいに冷や汗が浮かぶ。


「勘弁してくれよ…」


命からがらドラゴンから逃げ切ったばかりだというのに、今度は盗賊団に命を狙われるとか冗談ではない。

異世界というのはどうしてこうも危険ばかりだというのか。


突如として馬に乗った盗賊の一人が岩壁の斜面から駆け降りてきた。

盗賊はそのままトラックの横に馬をつけて、中にいる康達に向かって警告をしてくる。


「おとなしく積み荷を置いてきな!」


「ひっ…!」


緊張のあまり声にならない悲鳴が康の口から漏れる。


一体どうすればいいというのか。

止まって荷物を渡せばもしかしたら見逃してくれるかも…という迷いが康の中に生まれ、ブレーキの上に足を持っていこうとする。


「止まっちゃダメです!」


「!!」


そんな迷いを見透かしてか、コルアの力強い声が康にアクセルを踏ませた。


唸り声を上げるエンジン。

トラックは鞭打たれた馬の如く一気に加速し、隣の盗賊を引き離した。


チッ!と盗賊が舌打ちする。


「仕方ねぇ、やれ!」


リーダーの合図を受けてトラックを猛追する盗賊団。

その中の数人が矢を射る構えを見せた。


「あいつらってくるぞ!」


サイドミラーから様子を窺っていた昌也が康に注意を促す。


「言われなくても分かってるよ!」


珍しく語気を強める康。

射ってくるのが分かってもどうすることもできず、今はただ前方の岩を避けながら走り続けるしかなかった。


放たれる矢。


「ひぃぃ!」


死を意識したコルアが頭を押さえて身を丸める。


だが次々と命中した矢はいずれもトラックの硬い装甲に刺さることはなく、パラパラと弾き落とされた。


「…あれ?」


カンカンと乾いた金属音が鳴るばかりで、いつまで経っても矢が降ってこないことに戸惑いを覚えたコルアは腕の隙間から眼を覗かせる。


「…とりあえず大丈夫みたいだ。さすがトラック!」


冷や汗をかきながらも、安全を確信した昌也がニヤリと笑った。


「…何だあの乗り物は!?」


驚いたのは盗賊達の方だ。


矢が全く効かないなど想定外だった。

馬車のような見た目の割には馬もおらず、正直どこを狙えばいいのか解らない。


「いいから射て射て!」


馬で後を追いながら、なおも追撃を試みる盗賊団。

しかしどれだけ当たっても矢はことごとくトラックの表面に僅かな傷を付けることしかできなかった。


「凄い!全然効いてない!」


鼻息を荒げて感嘆の声を上げるコルアに、昌也は余裕の表情で答える。


「まあトラックは全体が鋼鉄で覆われてるからな。タイヤにでも当たらない限りは無敵ってこと!」


パァン!と乾いた破裂音が響く。


「…え?」


嫌な予感。


次の瞬間キュルキュルとタイヤのゴムが擦れる音と共に、トラックの軌道がふらつき始めた。

タイヤに矢が命中して破裂したのだ。


「うわっ!」


ハンドルを握る康は、スピードを落として何とか走行を維持するのに精一杯だった。


トラックの速度が落ちたのを見て盗賊団は、しめたとばかりに追い打ちをかけてくる。


矢を射つのを止め、トラックに追い付いた盗賊達は前後左右に別れてトラックを囲ってきたではないか。


馬を走らせながら剣を抜いたり槍を構えたり、中には鎖付きの鉄球を振り回している者もいた。


「トラックなら大丈夫ですよね!?」


コルアの質問に、昌也の顔が引き吊る。


「いやー、これは流石にヤバいかな…」


直後、ドンッという衝撃を受けてトラックが揺れる。

盗賊が荷台に向かって鉄球をぶつけてきたのだ。


「~っ!!」


タイヤがパンクしているせいでコントロールが上手くきかず、些細な動きでもスリップの危険がある中で、この攻撃である。

康は必死でハンドルを操るが、こんなのを続けられたら横転するのも時間の問題だ。


「どうすりゃいいんだ!?」


周囲は馬で固められ、逃げ場は無い。

絶体絶命のピンチに堪らず頭を抱える昌也。


その時何を思ったのか、コルアが運転席に身を乗り出した。


「ちょっと!?」


視界を遮られそうになった康が動揺してハンドルを強く握りしめる。


次の瞬間、コルアはハンドルの中央に体重を乗せて強く押し込んだ。


耳をつんざくクラクションの音がトラックから発せられる。


「何だ!?」


突然の爆音を受けて何事かと慌てふためく盗賊達。

途端に乗っている馬がパニックを起こして暴れ始めたり、上体を大きく反らして動きを止めた。


盗賊達は次々と馬から振り落とされ、硬い地面に体を打ち付ける。

一人だけは馬を制して体勢を保っていたが、もはや単騎ではどうすることもできない。


「…何て奴らだ」


周囲に倒れる仲間達を見渡して男は追跡を断念。

遠ざかるトラックを馬の上から悔しそうに見送ったのだった。

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