第16話 崩落する天井の先
僅かに湿った土の匂いと、前方に見える橙色になった日の光を見ると、ダンジョンに入る直前の坑道の入り口に戻ってきたことを察した。
夕焼けを見るにやはり結構な時間をあの場所で消費していたようだ。
もしあそこで遺物回収を手動で行なっていた場合はどういうことになったかと思うと、ゾッとする。
余裕で日付を跨いでいたことは確実で、そのまま脱水症状でお陀仏なんてことも考えられないこともない。
あそこにいた時は、もはや偵察に行こうとしていた予定も眼中にないくらいに遺物に目が眩んでいたからな。
偵察については見に行きたいが、生憎とまだクリスは迷宮の中にいる可能性が高い。
早くても今日出てくると言うこともないだろう。
と言うよりも、下層部に行くように命令を出していたため、まだ下に向けて攻略を進めている可能性がある。
早く解除して上に戻ってくるように指示した方がいいだろう。
「クリスにルイナと共に帰投するように命令を出すか」
そのまま進んで、もしクリスより強い魔物や相性の悪い魔物に出会って、行き倒れになったら目も当てられない。
幸い回復役のルイナがいるのでそれでも進めはできるが、速度は遅くなる上に、クリス本人も命令に縛られて進んでいるので碌なことにはならないだろう。
「少し遺物を確認して、偵察ができる組み合わせがあれば偵察に行くか」
おそらく膨大な量の遺物なのであることにあるだろうが、この短い時間で見つけ出すのは不可能だろう。
ダメ元であるが、ルイナによって用意された家に向けて足を進めていく。
「持つものも持ってしまったし、居間に穴が空いた状態のままは流石に良くはないか。ルイナが帰ってきたらどうにかしてもらうように言っておこう」
ーーー
クリスは命令が出されたことでダンジョンの奥に奥にと進んでいくがまるで、底が見えなかった。
少しでも足を早めるためにルイナを背負い、途中の遺物も全く無視して進んでいるが、10時間近く掛けても、手強い魔物が増えていくだけなのだ。
ボスの気配すら感じられる階層にいない。
自分が手強いと感じる連中以上の相手から逃れて、ノインがまだ生きて下の階層にいることが信じれらない。
クリスのスキルから流れている強化があるとはいえ、ノインは脆弱な人族の栄養不足の十歳児に過ぎないというのに。
普通ならば今ごろ、魔物の腹の肥やしになっているところだ。
「暑い上に、バケモノのような魔物がまるでキリもなく、現れておる。地獄というのはまさにここのことを言うのじゃろうな」
ルイナが作り出した水を口に含みながら、クリスは走っていると、いきなり命令が変わり、驚きから足が止まる。
命令は外に出てこいという内容のもの。
それはつまり、ノインがダンジョンの最下層に至り、さらにダンジョンボスを倒したことを意味する。
人族でも魔族でも達成できるものがいない。
まさに前人未到の領域に足を踏み入れたと言ってもいいだろう。
冗談でとしか思えないことだが、下層からこの速さで脱出するにはそれ意外にはありえない。
あの転移の罠で最下層近くまでワープさせられたというのに、そんな不足の事態から攻略完了したことを考えると自然、まるで進めていない自分自身に対して忸怩たる思いを込み上げてくる。
自らの方が多くのものや有利な要素を持ちつつも、絶望的な状況に陥った少女の足元に及ばないのだから。
クリスの人生の中でここまでの理不尽に遭遇したことはなかった。
生まれながらにして全てを持っていた故に、彼女自体が理不尽そのものであり、常に理不尽に晒される側にはいなかったからだ。
だというのに、現在自分を超える理不尽にクリスは遭遇している。
前代未聞未聞の事態と言ってもいい。
「地獄もここまでだ。地上にノインが戻ったからそっちにいくぞ」
「なに? あの小娘がか? あれはここの化け物どもと渡り合えるような職業も持っていなければ、碌な装備も持っていないというのにか」
クリスの想像だにしない言葉にルイナも驚愕する。
多少思い切りのいいところのある娘だと思っていたが、まさかダンジョンを攻略できるような力があるとは想像だにもしていなかった。
人間を辞めた超人でなければ、攻略できないところに、最も超人から遠いところにいるだろう秀でた力を持っていない痩せ細った少女が攻略できるとは誰も想像できるはずがない。
「今、地上にこいって命令が出たからな。まず間違いない。ノインが私たちが犠牲になることを嫌って、自分の命を投げ出すことはまずないからな」
「昨日の件を考えると命を粗末にするのか、大事にしとるのかよくわからんのあの娘は」
「命は誰よりも大切にしてるんだろうよ。他人と自分の命に明確な線引きがしているだけで」
「まだ幼いというのに達観しすぎじゃな。いつも死と隣り合わせの極限状態にでもおったのか」
そんなことはこちらが知りたい。
僅か10年余りであそこまでの殺伐とした死生観に到達するのか、全く想像できないのだから。
「ババア。減らず口を叩いていると舌を噛むぞ。ここから一気に飛ばすからな」
目の前に現れる溶岩でできた大蛇にも気後れせずに、走るついでに何度も蹴りを繰り出して消滅させると、クリスは一気に駆け抜けていく。
途中で罠も踏むものの、発動するころにはすでにその場所にクリスは存在せず、不発に終わる。
背後でなる轟音も気にせずに上層へと向かう階段を飛ばし飛ばしで登っていく。
上層に行き、そのままの勢いで加速しようとするといきなり、先にある天井が崩落して瓦礫を飛ばしたが、持ち前の反射神経で全て避けると、夕日の照っているのが見えた。
これは間違いなく、外の光景だ。
状況の理解はできない。
だがクリスの勘がこのまま流れに乗って外に出るのが正しいと告げていた。
地を蹴り、未だ崩落して降り注ぐ天井の瓦礫を踏み台にして、そのまま外に飛び出す。
外に出ると魔族の死体と遠方にオーラを噴出させている人族がいるのが見えた。
すぐにあれがこの異常事態を起こした張本人だと確信する。
ここがどこかはわからないが、あれを始末しなければ、どうにもならない。
「寿命が減るわ。一度下せ」
一気に肉薄しようかとクリスが思うと、若干ゲンナリした声でそうルイナが切り出してきたので、ハロルドを注視しながらクリスはルイナを地面に下ろす。
ルイナの足が地面につくと一気に踏み込み、消耗して肩で息をしているハロルドに肉薄する。
ハロルドは一瞬驚いて目を見開くが、すぐに剣で受けに回る。
剣と脚がぶつかる。
衝撃で二人とも後方に下がり、息を整える。
いつものクリスならば一息ついたここで、相手を侮る言葉を吐いたが、迷宮の消耗が大きくそこまでの余裕はない。
ハロルドも同じく、先ほどの大技ーー冠斬で大きく消耗し、積極的に動いて勝てる自信がなかった。
お互いに動くに動けず、膠着状態が生まれる。
簡単には倒せないことを悟り、ルイナを回収して早くこの場から去ろうかと、クリスがが考えると、横から気配が近づいてくるのを感じた。
「ハアアアア!」
気合いを入れた声と共に細剣を持った女騎士ーーオフィリアが不意打ち気味に、クリスに向けて突きを放つが、クリスは横目で見つつ下がり避ける。
一瞬の隙が生じたことを好機として観たハロルドが細剣を避けた先で剣を振るい、わずかにクリスの腹を掠めた。
圧倒的な弱者である人族に傷を付けられたということに腑が煮え繰り返りそうになるが、状況が状況なので早々にここから脱出することを優先する。
「ふん、ここまでにしておいてやろう」
捨て台詞を吐いて、後方にいるだろうルイナの元に向かうために走り出す。
先ほどと同じように一息で距離を積めると、ルイナをそのまま抱き上げて、この場から対応逃げるためにクリスはどこか決めることなく、戦場外に向けて走り出す。
「若干体の動きが悪くなってきたか」
消耗とかではなく、何かに拘束されているようなものに思える。
おおよそ人族側にいる人間たちの仕業であることは明白だった。
「辛そうじゃの。軽くしてやろう」
どうにもできないし、どうしたものかとクリスが思っていると、ルイナがそう提案し、煌めく杖を振ると体を拘束していた何かが解ける。
クリスはすかさずに全力で踏み込んで、空に跳躍する。
完全にこれでここからは抜け出せると確信していたが、空中で不自然に動きが止まった。
「逃しません」
見ると人族の軍団の中から緑色の束が伸びて、そのうちの一つがクリスの足を拘束しているのが見えた。
叩きつけられることを避けるために、蹴りを入れて切断するが、クリスたちはその場に引き戻される。
「二対一か、流石に旗色が悪いの……」
地面に下降する中でハロルドと光の束を送った主であるオフィリアがクリスが落下するだろう場所に向けて集まってくるのを見て、悄然とした様子でルイナがぼやき、クリスが舌打ちをする。
オフィリアが先ほどの妨害をできるならハロルドに仕留められることは火を見るより明らかだった。
「お前も何か妨害や攻撃ができないのか?」
「できんことはないが儂もお主と同じで神聖術と水魔法の使いすぎで消耗が激しいからな。もう今の時点でガス欠同然じゃ。万全の状態に見えるあの娘と張り合えるほどのものではないじゃろうて」
「く、くそこんなところで私は死にたくないぞ!」
「な、なんじゃお主!?」
先ほどまで毅然とした態度をとっていたというのに、死が間近にあると悟った瞬間に、狼狽始めたクリスに、その様子を想像だにしていなかったルイナは素っ頓狂な声をあげる。
ルイナの戸惑いなど関係なく、クリスたちは着実に落下していく。
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