第6話 勇者 


「ふむ、芳しい香りですね」


 マスキオはノインが去った後に残った血の残り香を嗅ぐとそう呟く。

 しばし血の香りを楽しむとむさ苦しい男たちの血の香りがして、顔をしかめつつ現実に復帰する。


 周りには騎士達の残骸の山が死屍累々と広がり、生き残ったものも魔族達に追い回される姿が見える。

 もうすでに戦線として崩壊しているのは火を見るより、明らか。

 ここから立ち去るのが一番だろう。


 他の騎士たちならいざ知らず、高位神聖術が使えるマスキオならば致命傷をわざと受け、身体を回復させつつ死んだふりをすれば、この窮状からぬけだすことは容易い。

 捕虜として捕えられても困るので、腰にあるメイスを持ち、魔族軍の元に、致命傷を受けに突っ込んでいく。

 雄叫びを上げずに敵に特攻をかける神父の姿はとてもシュールだった。


「マ、マスキオ神父、早まるな。まだ私は生きている。死ぬのならば私を治してから死んでいくれ」


「あー、団長殿ですかな」


 不意に横から声を掛けられ、マスキオがそちらの方を向くと、両腕を消失させて、煤まみれになっている白翼騎士団団長ーーエバンがいた。

 マスキオは個人的に相手に敬意を持たずに威張りくさって暴力を振るうエバンのことは嫌いであったが、全快させれば、わざわざ痛い思いをせずともこの場から脱出できるので、嫌な表情をしつつも彼に近づいていく。

 億劫な気持ちを押し込めていると、ふっと進行方向で光が瞬いた。

 魔法かと思いそちらに目を向けると、倒れた騎士が膝をついて立ちあがろうとしているのが見えた。

 よく見るとその騎士は、第二王子ーーハロルドだった。

 体からは聖光が生じており、直感でマスキオはハロルドが勇者として覚醒したことを察する。


「お、おい! マスキオ神父! どこにいく!」


 もはやエバンのことなどマスキオの眼中にはない。

 勇者として目覚めたハロルドに取り入る方がよほどいい。


「殿下。先ほどまで倒れておられましたが、体調は如何に? 念のためにヒールをかけさせていただきますぞ」


「マスキオ、エバン団長の傷も癒してはくれぬか?」


「残念ながら殿下、あれほどの重症ではこの敵になだれ込んでくる中、治療するのは難しいですな」


 マスキオは平然と嘘をついた。

 半死半生までなら欠損があろうとマスキオならば苦も無く一瞬で癒すことができる。

 できればエバンにここで消えて欲しいのだ。

 これ以上、騒がしいだけの乱暴者に振り回れされるのはマスキオはごめん被りたかった。


「足を止めればいいのだろう。今ならばそれほどのことであればできる気がする」


 今は一刻も早く脱出するのが得策なので、思い留めようかと思ったが、今は勇者として覚醒したハロルドの実力を見る方に魅力を感じた。

 それに改めて思えば全快さえずとも途中で回復を切り上げて、癇癪を起こせない程に止めればいいことに気づいた。

 マスキオは黙ってことの成り行きを見ることにした。


「冠斬」


 ハロルドが剣を振り切ると、天に向かって光の斬撃が飛び、魔族軍のちょうど中心に落ちると同時に同心円上に衝撃波が起き、魔族たちが一人残らず消し飛んだ。

 マスキオは想像の遥かの上を行く光景に目を見開く。

 前勇者ーー第一王子ハハーンよりも明らかに力が上だった。

 似たような技をハハーンも使ったが、今のものの十分の一ほど。

 まだ人の理解が及ぶほどのものであったが、今見せたものはまさに人外の域だった。

 たかが一振りの剣で大隊を一瞬にして蹴散らすなど、もはや伝説上の英雄の所業しか該当するものはない。


「素晴らしい腕前ですな、殿下。よもやこれほどとは驚嘆いたしました。人の理の外にいる魔王幹部をも打倒できるのではないかと」


 マスキオは素直に賞賛しつつも、どこかにまだ潜んでいるだろうノインを連れ去った憎き魔王幹部クリスに消しかけるために言葉を紡ぐ。

 大量の子供を拷問死させるという致命的な問題を起こしつつも追求を躱し、厳罰から逃れてきたマスキオの判断力はこの状況でも一ミリもぶれていなかった


「ハア、ハア。あれらは無理だろう。今わかったがこの技は消耗が激しすぎる。一度使ったら二度連続では使えん。避けられたらそれまでだ。目の前にいた雑兵どもとは同じことにはならん。それよりもこれで心おぎなく治療に掛かれるだろう、エバン団長を楽にしてやってくれ」


 ハロルドの報告に内心若干残念がりながらも、稀代の神聖術師と名高い自分が厳罰から逃れつつもそれでも軍に左遷されていることから、物事がそうそううまく運ばないことを学習しているマスキオは気落ちせずにエバンの治療をするために足を動かす。

 本意ではないが、次期国王の権力だけではなく、勇者という力を手に入れたハロルドと対立するのも避けたかった。

 今の能力の上昇具合からして、どれだけのことができるか未知数なのもあり、治療の手抜きを看破されても面白くないので、真面目に治すことにする。


「グ!」


 マスキオが近づいていくと、エバンは目の前にある元は自分の体であっただろう灰をを口に頬張り始めた。

 どうしてそうなるのはわからないが、自害しようとしていることだけはわかった。


「マスキオ、止めてくれ!」


 背後からハロルドの叫び声が聞こえてくる。

 一瞬このまま見逃して窒息して死んでもらうのもいいかと思ったが、王子から命令されてはそういうわけにもいかない。


「失礼しますぞ、エバン団長」


 神聖術のクリーンを発動して、周りにある灰ごと喉に詰まり掛けている灰も汚れとして指定して、洗浄する。

 煤も消え、火傷で爛れた皮膚以外小綺麗な見た目になったエバンを視認すると、続いて神聖術を掛けて、両腕の欠損ごと火傷を治して全快させる。

 念のために背中をメイスで叩き、灰が口から出て来ないか確かめると治療を終えた。


「マスキオよ、メイスで叩くのはどうなのだ?」


「申し訳ありませぬ。団長クラスの方となると如何んともし難いステータスがあるため、こうしないと衝撃も体に入れられないのです」


 ハロルドの苦言に対して答えると、今だに膝をついたままのエバンに手を貸してやろうと手を伸ばす。


「ふ、ふれるな!」


 その手を青い顔で半狂乱の状態になっているエバンが払いのけると、マスキオは瞬間的に彼を蹴り上げそうになるが抑える。

 ハロルドがいなければ蹴り上げた後に、気狂いの頭をメイスで殴っているところだ。


「何をする、エバン団長! マスキオはそなたの命を救った恩人であるぞ!」


 自分に手を挙げたものにも救いの手を伸ばしたハロルドもその暴挙に怒鳴り声を上げる。

 その声を聞くとエバンは青い顔をして、卒倒する。


「気絶しましたな。エバン殿は実力至上主義の方ですから、陛下が勇者に覚醒されたあまりの力に気を触れたっといったところですかな。それとも陛下にちょっかいを掛けていたため、仕返しをされるのを恐れたたためか。某にはわかりますな」


「見ていたのか、マスキオ」


 エバンの人間性から推測して、鎌をかけると見事にあたった。

 国家反逆罪をどさくさにしでかした愚か者を見下ろして辟易した気分になりつつ、王子の問いかけに答える。


「いえ、状況からして天邪鬼なエバン殿が怯えることになることと言えば、圧倒的強者に殺されそうになる時くらいしかありませんからな。さすればエバン殿の性格と状況からある程度推測はできます。本当の意味での弱者は行動が読みやすいのですよ。大概くだらないプライドばかりを優先して自ら破滅に向かっていきますからな」


 ハロルドは辛辣なマスキオの物言いにエバンを不憫に思ったが、目の前で気絶し、醜態を晒す彼の姿を見ると先ほどマスキオの言ったままの行動をして死にかけていた姿が思いだされ言葉を紡げなかった。

 酷いとはわかりつつも、マスキオの言葉が正鵠を射っていることをハロルド自身が一番認めていた。


「そうか。優れた洞察だ」


 マスキオのあまりにも生々しい話にひとまず区切りを入れると、今現在重要度の高いこれからにことについて話を切り出す。


「これからのことだが。白翼騎士団で残ったのは我々わずか3名のみであるため、戦線として運用することは不可能だ。ここから一番近い騎士団の神灯騎士団に向かい、彼らの騎士団に力添えしようとするのが一番だと思うがどうだろうか?」


「陛下の仰せのままに。私もそのように考えておりましたゆえ。このことの沙汰でありますが、エバン殿はあまりにも不安定ですので、意識が戻ってからにしましょうか」


 マスキオはハロルドの案を肯定すると、先んじてエバンの処遇について話す。

 特にハロルドから否定を入れる言葉も返ってこないので、そのように進めるようにする。


「移動手段は敗残兵の置き土産の駑馬しかおりませんので、神灯騎士団に近づくまでしばしご辛抱くだされ」


「気にするな。馬に卑賎はない。私が反感を抱くこどなどあり得んよ」


 そう返事をすると事実であることを証明するためか、ハロルドは手近にあった馬にまたがり、神灯騎士団に向けて進路をとる。

 傷病者を運ぶのはマスキオの仕事であるので、気絶したエバンを本来は荷物を乗せるスペースに乗せると、いつ何時暴れるかわからない道中を想像して辟易とした顔をした。


 



 





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