第4話 サキュバス族


「止まれ、罠だ!」


 できる限りの大声を上げて、洞窟に殺到する騎士たちを止めようとする。

 だがハロルドがクリスに特攻させようとするためにこの場に止まらせようとしていると思っているのか、騎士たちは叫ぶたびに走る速度を上げていく。

 ハロルドの後ろにいる騎士たちまでも洞窟に向けて、走り出し始めた。

 ここにきて白翼騎士団は崩壊した。


 皆、一様に大火蝦蟇のいる洞窟に押し合い、へし合い飛び込んでいく。

 地獄の入り口だとも知らずに。


 気づくと騎士たちの狂騒に紛れて、ノインに姿が消えていた。

 計画的な行いだった。

 生き残ってもハハーンが死んだ責を取らされて処刑される身の上を儚んだ突発的な行いではない。

 何かの狙いがある。


 ノインと交流があったためにそこまでハロルドは気づいたが、そこから先に思考を伸ばすよりも今の事態を収める必要があった。


「止まれ!」


 これではただの犬死にだった。

 全くの無為に死ぬくらいならば、敵の最大の戦力である魔王軍幹部に刃を向けて死ぬ方がまだ誉がある。


「殿下。クリスを繋ぎ止めるための贄が欲しいのはわかりますが、逃げるための方べんには少々見苦しいのではないのですかな」


「エバン団長」


 横合いから白翼騎士団団長ーーエバン団長が声をかけてきた。

 エバンは卑屈な笑みを浮かべて、ニタニタとしながら近づいてくる。


「洞窟に罠がある。近づいてはならん。ヘソの曲がったことなど言わずに私に協力しろ」


「あの拷問好きの品性下劣のハハーンの弟君に言われましてもな。それにあなたは神の血を引くと言われる王族にありながら、女神から並大抵の職業しか与えられなかったのですからな」


「何が言いたい?」


「私よりも卑賎なものに指図など受けたくないと言っているのですよ、ハロルド。下賎な魔族のことです。あなたを活き餌として転がしておけばわずかですが時間を稼げるでしょう」


「貴様……!」


 慇懃無礼な態度を解いて、王子であるハロルドを嘲弄すると、エバンは剣を振り抜く。

 ハロルドはそれを受け止める。


「並の上級騎士ならこれで終わるのですが。お世辞にも腕がいいと言われるだけのことはありますな。まあ所詮は雑魚ですが。『雷神剣』」


 だが受け止めた直後にエバンの剣に雷電が生じ、反射で飛びすさるのも虚しく、絡め取られハロルドの体を痺れさせた。


「では、ハロルド。そこでクリスに嬲られるのを待ちながら、我々が脱出するのを見ておいて下さい」


 エバンは捨て台詞を吐くと、殺到している騎士たちを押し除けて、大火蝦蟇がいるとも疑わずに洞窟の奥に進んでいく。

 身動きができない状態でハロルドはほとんどの騎士が殺到していって入っていった洞窟から、炎の渦が巻き上がるのが見え、周囲に集まっている騎士たちも皆、灰燼に帰す。


 ーーー


 勇者パーティーが全滅していたことにやはり勘づいていたようで、いつも後方に配置させられているはずの神聖術師が控えたテントが移動していた。

 できれば戦闘などは避けたかったが、白翼騎士団の背後には魔族軍、左にはバランスの取れた聖血騎士団、右には教会出仕者多数の神灯騎士団と固められており、回り込むことはできない。

 それゆえに警戒を強めている正面からいくしかなく、私が正面から行ったとしても、クリスと戦う羽目になった腹いせに殺されるか、処刑して責を取らせるために生け取りにされるのが関の山なのでクリスを正面から向かわせるしかない。

 だがクリスを正面から行かせるのもスキルを考えると、リスクが大きいので、騎士団全員と戦わせるわけにもいかない。


 私のようにハマった場合は、クリスは瞬殺されてしまうのだ。

 できれば分断したいが、私がちょっかいを掛ければ、その瞬間に引き寄せる間もなく、物理的に潰されることが目に見えている。

 何か利用できるものはないかと見ると少し離れた場所に山の岩肌ご同化してわかりにくくはあるが洞窟があるのが見えた。

 周囲には蜃気楼のようなものはないが、洞窟の周りだけ時折、蜃気楼のように景色が不明瞭になる。

 あれは火大蝦蟇が住んでいる証だった。


 軍の事前情報に火大蝦蟇についてはなかったし、警戒されることはないのでこれは利用できそうだと思い、騎士たちを誘導することにした。



 ーーー


 クリスに注目が集まったので、岩肌に隠れつつ、移動して、洞窟に逃げるように誘導したらうまくいった。

 予定がずれて、拷問の傷を癒すのが遅れていることが不味かったのか。

 体の調子はかつてないほどに悪い。

 あれほどうるさく痛みを感じていた体が、嘘のように痛みが引いているのだ。


「クリスとの戦闘の時は興奮して痛みを感じなかったからな。あれも大きく影響してるかもしれない。全身の骨を砕く拷問を受けた以来だな。この痛みが消えて、寒気がする感覚」


 神聖術師曰く、この感覚は死の一歩手前らしい。

 早くマスキオ神父の元に向かおう。

 少し離れたところで魔族軍と継戦している白翼騎士団の一部の騎士たちも崩壊状態に陥ったことに対する混乱から抜け出して、こちらにくる可能性も考えられないでもない。


 急ぎ足で神聖術師のテントに向かっていると、テントが破け、驚いた顔をしたマスキオ神父を掴んだクリスがこちらまで跳躍してきた。

 結構距離があったと思うが、一飛びで来たところを見るとやはりステータスが隔絶している。

 大幅に弱体化していたとはいえ、こんなものによく勝てたものだ。


「連れてきてくれたんだ」


「命令を下されてるからな。体が勝手に動く。でなければこの人族などもう潰しているところだ」


 確かに命令したが、場所の指定をしていないので、クリス側で場所の指定をしてその場で放逐するかと思っていたので驚きだ。

 律儀なのか、弱者の首輪の仕組みを知らないかはわからないが、私としては助かった。


「どういうことです? ノイン? もう私には何がなんだかわからないのですが? なぜあなたがクリスに命令を? それに騎士たちはどこに行ったのです?」


「話してもいいですが、その前に傷を癒してくれますか」


「ああ!? すいません。全身に酷い傷を負っているというのに、自分のことばかり」


 マスキオ神父は謝罪を入れつつ、私に対して上位の神聖術をかける。

 体に痛みが戻るかと思うと、すんなりと寒気と共にすんなりと消える。

 ここでの用は完全に済んだ。


「ありがとうございます。では」


「え?」


 礼を言って別れの挨拶をするとマスキオ神父は素っ頓狂な顔してこちらを見つめる。

 私はそれを無視して、彼の元から離れる。

 彼の誠意に応えるには今の戦線はあまりにも動きすぎていたのだ。

 もうすでに魔族軍と継戦していた白翼騎士団の一部は、潰されてすでに魔族軍がこちらに押しかけている上、騎士たちに眠りを妨げられ、怒り狂った大火蝦蟇が洞窟から姿を現していた。

 もはや一刻の猶予もありはしない。


「クリス、ハハーンたちがいた地点まで一度撤退してくれる」


「く、くそ。もう少しだったというのに」


 あわよくばこのまま魔族軍の仲間に合流して、私を始末させようと画策していたようで悔しそうにしている。

 こんな状況で悠長に話し込むわけがないだろうに。


「そうだ。そいつを連れてくのはどうだ? 近くに居れば役に立つだろう」


「いやだ。連れてかない」


「くそ」


 マスキオ神父と接すること時間など短かったというのに、何かに勘づいて彼が私を害する可能性があると判断したようだ。

 スキルか、何かはわからないが、便利なものだ。

 仲間を大勢殺されたマスキオ神父が私に対する復讐心にかられることを予測して、提案した可能性もあるが、勇者パーティーを遊ぶように殺した倫理観を考えると、そういう義侠に基づいた考え方をする下地がなさそうなので低いだろう。


 クリスは悪態をつくと、私を抱えると跳躍しながら駆ける。

 風圧で前が見えないなと思うと、ハハーンたちがいた場所に到着する。


 ハハーンたちの遺体は血痕だけを残して消えており、割と惨殺現場は綺麗だった。

 魔物が啄んでくれたのだろう。

 また見たいものではなかったからありがたい。


 傷は回復しても、体力までは回復することはできないので、地面に腰を下ろし、体力を回復させるために一心地つく。

 ついでにマスキオ神父の害意を察知したからくりについて聞いておくことにする。


「なんで先、神父を連れてこうと思ったの?」


 弱者の首輪の強制力を感じたのか、クリスは苦々しげな顔をしながら口を開けた。


「……奴はお前に対して発情していた上に、拷問する奴特有の血生臭い匂いがしたからだ」


 発情に拷問?

 生育不良なガキな上に、傷だらけの私にあまつさえ欲情し、しかもあの誰彼構わず神聖術を使おうとしようとしている人物が拷問など。

 まだドラゴンがヤギに食べられたという話の方が信憑性がある。


「根拠は何?」


「根拠は私がサキュパス族だということだ」


 サキュパス族か。

 確か魔族の中にいると実しやかに語られている男の精気を主食とする魔人の一種だ。


 ここ10年近くの従軍記録を見ているが、一度も記述を発見できなかったものなのに、こんなところで発見するとは。


 話の流れ的に種族特有の発情しているかどうかわかるスキルでも持ってるようだ。

 

「昔話でたまに出てくる魔族にいるっていうあのサキュパス?」


「昔話? 私がいるというのにサキュパス族は今現在人族に碌に認識されていないというのか!?」


「そりゃ。人側から見たら魔人なんてほとんど一緒みたいなものだし」


 事実、実際に魔人たちを見てる私からしてもあまり違いがわからない。

 それに至近で見ているが、クリスが精気を奪おうとしている場面を見たことがない。


「ふん。もういい。人族から認識されずとも私は私だ」


 自分という存在をぞんざいに認識されていたことにショックを受けたようでクリスはそっぽを向く。

 自身に対する事柄に対しては意外にナイーブなようだ。

 戦闘の時に先の言葉で傷ついて、遅れを取ったみたいなことにならないようにある程度気にしてやった方がいいかもしれない。


 それにしてもマスキオ神父が危険人物か。

 おおよそ魔族軍大量に押し寄せているあの状況から生還できる可能性も低いとは思うが、できればあの場で殺した方が良かったかもしれない。

 マスキオ神父が内心はわからないが、ハハーンといい拷問好きの人間は大概まともな人間ではないから、想像できない方法で何かしてくる可能性もないではない。

 もし再び彼を確認した場合は、近づかずに距離を取った方がいいだろう。

 こちらの手札であるクリスも見せているし、それを踏まえて何かをやってくることもありそうだし。

 小悪党の白翼騎士団団長を慕っていたハロルド王子に対し、よく人を見る目がないと思っていたが、私も大概だったようだ。

 ここまではハハーンの奴隷ということーーハハーンに関わるのが嫌で質の悪い連中から見逃されていたところもあるので、しっかりと見定めて自衛をしなければならない。

 怪しいものは手札を見られる前に、迷わずに即殺することにしよう。













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