第3話 最前線


「マスキオよ、ハハーン兄上が死んだことは知っているか?」


 前線に配置されている五つの大隊の一つイスタリア王国の白翼騎士団。

 その前線を維持する騎士団の中央ーー神聖術師が詰めるテントの中で、第一王子ハハーンが亡くなったことで継承権第一位の王子となった第二王子のハロルドがはマスキオ神父に対して、現状を把握しているかどうか尋ねる。


「ハロルド殿下、もちろん存じております」


「ろくな事情も伝えられず、後方にある持ち場から移動させられたはずだというのに、よく知り得たものだな」


「後方から私が移動しなければならない事態となると、援護にくるはずだった勇者様たちが敗れ、挟み撃ちになる時しか有り得ませんから。これも陛下から戦場に対する考えの薫陶を受けていたおかげです」


「お前は逞しいな。勇者を倒したものと魔族軍との板挟みに合っているというそんな殊勝な言葉が出てくるとは」


 マスキオが自分の立場や利益を顧みずに行動する人間であることは兼ねてから交流があったハロルドは知っていたが、命がかかっている状況にあってもこんな向こうみずさを見せるとは思いもしなかった。

 女神から祝福を受けられない不浄とものとされる無職の少女に、周りから疎まれることになろうとも神聖術を施すことから傑物と思っていたが、命を擲ても傷つくものを癒そうとするその高潔さまでをも垣間見た今、ハロルドの中で彼は聖者そのものであった。


「私のような周りから我儘で周囲から疎まれている生臭坊主では殿下には敵いませんよ。ここから脱出させようとする騎士団に所属する大貴族家のものたちの誘いを断ってここに止まっていられるのでしょう?」


「奴らは私を新たな神輿にして政をしたいだけな上、兄と違い、上級剣士程度の職業しかもらえなかった非才の者と私をさんざののしてきたものたちだからな。そんなものと沓を並べるくらいならば、ここで気心が知れた其方らと短い時間であろうと共にいた方がよほどいい。それにもしかしたら兄上の奴隷であるノインが難を逃れ、ここまでくるかもしれんからな」


 ハロルドが本音を吐露するとマスキオは破顔する。


「賢い少女ですからね。勇者様が倒されるとしたら魔王軍幹部もしくは、魔王くらいのものですが、そんなものからでも逃げ仰せられるような知恵があの子にはあるように感じます。陛下が逗留する理由が私と同じようで安心しました」


 ハロルドは素直にノインの無事を祈るマスキオの姿に苦笑が漏れる。

 出会ったもの軒並み鏖殺する魔王幹部クリスからノインが難を逃れて生きていると彼が信じるのは賢いからではない。

 ハロルドの兄のハハーンたちによる拷問や無理難題によって助長された生存本能ゆえだ。

 

 兄のハハーンがノインに振るう暴力を戦場で度々見ていたハロルドはその度に不憫に思い、少女に対して望みを尋ね、できる範囲での施しを与えるようにしていた。

 彼女の望みはいつも生き残るために必要なものが欲しいというものだった。

 ハロルドは武具類を与えたとしても拷問の邪魔になるのでハハーンに取り上げられることは分かりきっていったし、ノインから掠め取ろうする無頼の輩に命を奪われる可能性があることも考えられたので、彼女に戦場や危険な魔物に対する知識を与えた。

 十歳程度の少女にはひどく退屈なものだったと思うが、騎士団のほとんでの者が確認していないだろう過去の騎士団の戦闘記録まで確認するほどノインは貪欲に知識を吸収していった。

 その様子はただ興味があるからと言うものではなく、溺れながら必死に何かを掴もうとする生への執着のようなものを感じた。

 その姿に人生で初めてハロルドは怖気を覚えた。

 魔物と相対した時と同じようなものを年ばも行かない少女から彼は感じてしまったからだ。

 ハハーンたちや無職の彼女を迫害する王国の人々が作り上げた最悪な環境がノインから生きること以外の全てを剥奪し、生きることのみに特化した何か人とは別のものにしてしまったことをハロルドは察した。

 ハロルドが偏にノインを気にかけるのは、全くもって死ぬことが想像できない恐ろしいものに目がそらせないと言う怯えからだ。


「私も良かったよ。ノインを気にかけているのが私以外にもいるのだから」


『敵襲! 敵襲!』


 ハロルドが低い声でそう言うと魔法で声を大きく響かせる騎士の甲高い声が響き渡る。

 ついにクリスがここにやって来たのだ。


「私も後方に配置されることが決まっているので向かわせてもらう。もし其方をノインを尋ねるようであれば私にも一報入れるように頼む」


「仰せのままに我が君よ」


 ハロルドはマントを翻すとマスキオの快活な返事を聞きつつ、テントの外に出る。


「な?!」


 外に出た瞬間に思わずハロルドは声を上げる。

 地が割れ、肉片が飛び散り、騎士たちの絶叫を上げるさまが見えた。

 それは想像の数段上の最悪な光景だった。


 様々な戦闘職のものがいる上、各々が武の誉れや曰くをもつものが多く、クリスのスキルが謎であろうと、総当たりをすれば相性がいいものと当たり、勝てると高を括っていたと言うのに。

 目の前で行われているのは一方的な虐殺だ。

 攻撃をする間もなく、反応できず棒立ちのまま千切られていく。


 勇者には一回り劣るものの、この白翼騎士団を構成するする騎士たちは右翼で魔族軍、引いては最終目標である山ゴブリン軍への進軍を牽引する白竜騎士団にも劣らない兵たちだというのにだ。

 王家の人間としては不遇な職業である上級剣士を職業にもつハロルドであってもクリスとの彼我の差がどう足掻いても埋まらないものであるとわかるほどの光景。

 ハロルドよりも一段上の職業を持っている小隊長たちはなおさらのこと、白翼騎士団きっての実力者である団長に至っては一切の希望を失い、哀れなことに卑屈な笑みを浮かべていた。


 もはや崩壊一歩手前。

 実力差が見極められない雑兵とハハーンの死に激怒した王のクリス討伐の勅命がなければ確実に崩壊していた。


「怯むな! 勝利は我らの手にある! ハロルド・イスタリアのなのもとに勇者ハハーンを仇を成した逆賊を討ち取るのだ!」


「おお!」


 ひどく滑稽なことだと思いながらも、半ば絶望したハロルドが勝てないと分かっていながらも悪あがきに士気の低下した騎士たちに向けて喝を入れる。

 崩れかけた騎士団は士気を盛り返す。

 彼らはハロルドの言葉によって励まされたのではない。

 勇者は死んだ場合、兄弟に引き継がれるという伝承を王国民である騎士たちは信じているがゆえに、この状況でも喝を入れる余裕のあるハロルドが勇者を継承したのではないかと希望を見出したのだ。

 ハハーンは放蕩ゆえに技術などなく力を振り回すだけだったが、ハロルドには一段上の職業の小隊長たちと互角以上の戦いができるほどの武芸巧者。

 そこに勇者の力が組合わされるならば、ハハーンのように敗北することなくうまく渡り合える可能性もある。

 皆、そう期待したのだ。

 当の本人は全く勇者の力を継承する予兆もないのだが、皆その希望に縋った。


 勇者ではない器用な凡人のハロルドはそんな皆の希望に応えるように人垣をかき分けてクリスの元に駆けていく。

 自分自身の命を糧にすれば奇跡を起こせるかもしれないと淡い希望を抱いて。


「皆さん、ここから逃げてください!」


 そんな矢先に一人の少女が戦場に響いた。

 指揮に水を差す無頼のものーーノインをクリスと相対するものたちが瞳に収める。

 彼らは彼女が生きてそこにいる理由を瞬時に理解する。

 クリスの襲撃から生き残ったのだ。

 出なければ少女はここで叫び声をあげていない。


 絶望的なこの場でクリスから襲撃から生き残ったという事実は大きかった。

 そして目にみえるような形で提示された救いの誘惑に抗えるには、クリスという恐怖は大きすぎた。

 騎士の一人がノインが指差す洞窟に走り出すと、一人また一人と走り出していく。


 半ばヤケクソな特攻をかけようとしていたハロルドの足もノインの姿を見て止まる。

 やはり生きていた。


「なぜ、ノインがあそこで懸命に呼びかけている?」


 だがノインが自分が生き残るためではなく、騎士たちに向けて救いの手を伸ばしていることに違和感を覚える。

 おかしい。

 何かがおかしい。

 クリスに近づいているという事実を忘れ、目の前に現れた異変を凝視する。


 押し合い、へし合い兵士たちが雪崩混んでいく洞窟に微かに蜃気楼のような歪みが見えた。


「大火蝦蟇が潜んでいる穴に見られる特徴」


 モンスターの図鑑を持ってきてノインに読ませてきた時の記憶が蘇ってきた。

 鉱物が群生する鉱山に生息するモンスターに異様に興味を示し、図鑑以外にもいるモンスターについても質問してきていた。

 当時はモンスターによる難を逃れるために知識を収集していたと思っていたが。

 まさかその逆に利用しようとしているなどとは。

 大火蝦蟇はカエルのような見た目をしているが亜竜の類で、強烈な炎のブレスと主食を鉱物とするために表皮がひどく硬い。

 何の備えもなく奇襲を喰らえば、団長クラスといえどもなす術もなく灰になる。

 今殺到している雑兵など言わずもがなだろう。


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