第163話 なんだかまたややこしい事になりそうだ part2

 佐江木さえき社長と3度の会談を経て、俺はようやくとFC契約を結べるに至った。

 だけど今はまだ合格ラインに立った段階。わばスタート地点。詳しい契約の話は時間をかけて煮詰めていく必要がある。


 「貴方のお店はまだ切羽詰まっているいるわけでもないのだし、話はゆっくり進めていきましょう。聞けば休院されていたお隣の小児科さんが、もう間もなく復帰されるそうじゃない」


そう言って社長は店を後にされた。帰り際に『何かあればいつでも頼っていいから。私も貴方を頼ることがあるだろうし』と言ってくれた。

 きっとその言葉は社交辞令だろうし、俺が力になれることなんてAIVISアイヴィス関連の話くらいだ。それでもあの社長と対等な立場に居る気がして嬉しかった。

 颯爽と立ち去る彼女の後ろ姿を、朝日向調剤薬局の従業員一同は深々と頭を下げて見送った。


 「無事にできたんだし、お祝いしようよ、お祝い!」

「それは名案ですね! レッツバーリーです!」

『ならば買い出しに参りましょう』


火乃香ほのかの発案にさくらが乗っかり、あっと言う間に我が家で祝賀会が催される運びとなった。あの狭いアパートにまた5人も集まるのか。


「じゃあ俺は店を閉めていくから、先に帰って準備しといてくれ」


とはいえ折角のお祝い気分に水を差すわけにもいかず、意気揚々と燥ぐ火乃香たちを見送り、待合室のベンチに腰を降ろした。


 「悠陽ゆうひ


すると直後、店の外からひょっこりと泉希が顔を覗かせた。俺の隣に腰かければ、「お疲れ様」と缶珈琲を寄越してくれた。


「ありがと。お前は皆と行かないのか?」

「まぁね。買い出しに4人も要らないでしょ」

「それもそうか」


温かい缶珈琲をチビリと口に含めば、浅い苦みと香りが口一杯に広がった。疲れた体へ染み込んでいくように。


 「良かったわね、FC契約も無事にいきそうで」

「お前のおかげだよ泉希。お前に背中を押して貰わなきゃ、こうはならなかった」

「そんなことないわ。今回の件で貴方は経営者として一皮剥けたと思う。だから社長さんにも認められたんだと思うわ。もっと自信を持って良いんじゃない?」


仕方ないと言った風に泉希は小さく肩を竦めた。照れ隠しっぽい振る舞いに、思わず笑みが漏れる。


「本当、お前が恋人で良かったよ」

「その割には『綺麗な女の子が好き』とか『従業員は全員俺の家族』とか言ってたわね。恋人としては正直複雑よ」


「フンッ」と突っけんどんに鼻を鳴らして、泉希は溜め息混じりに俺を睨めつけた。背中に冷たい汗を感じながら、俺は缶珈琲で自分の口を塞いだ。


 「……まあでも、それが貴方だし。朝日向あさひな悠陽ゆうひのおバカとスケベは今に始まったことじゃないから。その病気に効く薬はどんな薬剤師でも調剤できないから」

「うっ……」

「でも、そんな貴方とこの薬局みせは、私達にとってどんな薬よりも心を落ち着かせてくれる。いつの間にか透析の薬くらい欠かせないものになってたの」


打って変わって柔和な微笑を浮かべ、泉希はズイと顔を近付けた。目尻の吊り上がった大きな瞳に驚く俺の姿が映し出される。


 「だからこれからも頑張ってよね、バカ店長!」


そんな俺の鼻先をツンと指先で突つけば、泉希は頬を桜色に染めてはにかんだ。

 その愛らしい姿に俺の心臓はドクンと高鳴って、次の瞬間には彼女の細い肩を抱き締めていた。


 「泉希……!」


昂る衝動が熱と変わり視線で彼女を捉える。

 それが泉希にも伝わったか、彼女は恥じらいながらもそっと瞳を閉じた。

 閉じた瞼とすぼめた唇。

 俺は彼女の肩を掴んだまま静かに顔を寄せた。


 ――コン、コンッ。


だが二人の唇が触れる寸前。閉じられた自動ドアが軽快にノックされた。

 キスまであと数㎝というところ、俺と泉希はハッと身体を離しドアの方を見遣った。摺りガラスの向こうに、薄らぼんやりと人影が見える。


 『夜分に失礼致します。隣にある小児科医院の者ですが、灯りが点いておりましたので御挨拶に参りました』


くぐもった声がガラス越しに響いた。澄んだ声音と冷然とした口調から察するに、若い女性のようだ。突然の来訪に俺と泉希は顔を見合わせた。


 「お隣のドクターって、男性よね」

「ああ。もうかなりの御高齢だよ。病院を休まれてたのも体調を崩されたからだし」

「じゃあ、いま表に居らしてるのは看護師さんか受付さんかしら」

「どうだろう……取り敢えず、出てみるか」


そうして開かない自動ドアを手ずから開けば、そこに居たのはドクターでも看護師でもなく――若く美しいメイドだった。


 『お初お目にかかります。来月より隣の小児科に勤務致しますので、ご挨拶に参りました』


熱の無い表情と抑揚の無い声で以て、女性は微動だにせず俺へ告げた。


 なんだか、またややこしい事になりそうだ……。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


ようやくFC契約が結ばれて、来月にはお隣の小児科さんが復帰されて一件落着かと思いきや、病院にメイドさんだなんて。それにもしかすると彼女は……朝日向調剤薬局のドタバタ劇は、まだ終わりそうにないわね!!


 ……というか私、いつになったら悠陽と結ばれるのかしら。

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