第159話 長瀬カズキと大切なもの

 『――御免なさい。御社をウチのグループに迎え入れることは出来ないわ』

「……え?」


モニター越しの佐江木さえき社長から突き返された言葉を受けた瞬間。俺は足の裏から全身の血が抜け落ちるような感覚に見舞われた。


 『貴方を好意的に思っているのは本当よ。だけど同じグループの仲間にはなれない。少なくとも今のままではね』


淡々とした口調で、佐江木社長は腕組みをしながら断言した。予想外すぎる展開に、俺は声を出すことも出来なくなった。


 『子会社にせよ直営店にせよ、上辺だけの関係で系列化は認められないわ。本音で話が出来るようになったら、また連絡を頂戴。ただ私も色々と予定のある身だから、4度目は無いと理解しておいて』


決して口調を荒らげず、だが突き放すように言うと佐江木社長は『お疲れ様』とだけ言い置き会議から退出アウトした。

 

 『ふむ、どうやら契約は不成立のようだね。だが社長の言ったように、これで終わりでもない。またその気になったら連絡してよ』


優しくもどこか冷たい声で口調で言うと、たゆね様も画面から姿を消した。真っ暗なウィンドウの隅には呆然とした俺の姿だけが取り残されて……。



 ◇◇◇



 ――わずか10分足らずで終了した社長とのオンライン会談から、既に数日が経過していた。その間も俺の頭の中はFCフランチャイズ化を断られたことで埋め尽くされている。


 だけど未だに答えが出せない。


 佐江木社社長は『上辺だけの関係では』『本音で話が出来るようになったら』と言っていた。それはつまり俺が本心を語っていないということ。

 

 だがあの時、俺は間違いなく本心を伝えた。


 泉希みずきやアイちゃん、さくらや火乃香ほのかたち従業員のことを一番に考えている。その気持ちに嘘は無い。

 そのためにもキングファーマシーとFC契約を交わして、彼女達が自分らしく働けるこの薬局ばしょを守っていきたいのだ。

 だからこそ店の有益性と特異性を示し、言葉遣いにも細心の注意を払った。何度も文言を考え何度も頭の中で練習を重ねた。

 その努力は社長にも伝わったはず。にも関わらず『本音で』とはどういう意味なのだろう……。


 そうして悩んでいるうち、あっと言う間に時間が過ぎて、気付けば昼休憩が終わろうとしていた。

 俺は重い腰をあげ、2階の事務所から1階の店舗へ降りていく。

 すると店から2〜3メートルほど離れた歩道に、やたらと大きくて真っ白い毛並みの犬を見つけた。スタイリッシュな見た目に面長な顔立ちで、どこか気品さを漂わせている。たしか『ボルゾイ』というロシア産の犬種だ。

 いかにも金持ちが飼っていそうな大型犬の隣に、小学生くらいの男の子が居る。患者さんだろうか、白衣姿の俺を見つけるなり恐る恐るとお辞儀した。


「こんにちは」

「あ……こ、こんにちはっ」


自分から挨拶の出来る積極的な子供かと思いきや、俺が声を掛けると男の子は隠れるように白い犬へと寄り添った。


「お薬もらいに来たの?」

「……」


コクリ、男の子は無言のまま頷いて応える。


「お母さんはお店の中かな」

「お母さん……じゃない、です。今日はエルと一緒に来たから……」

「エル?」

っていう、アンドロイド……です」

AIVISアイヴィス?!」


驚く俺に対し男の子はまた静かに頷いて応え、薬局の方を指差した。見れば店の中に、メイド服を着た若い女性がいる。桃色のボブヘアを揺らす女性は、俺達の視線に気付いて優しく微笑み返した。


 アイちゃん以外のAIVISは初めて見たけど、まさか一般家庭にも普及しているとは思わなんだ。たしかAIVISは高級外車やスーパーカー並みに高価らしいが。

 いや待てよ。そういえばこの男の子が着ている服も上等だし雰囲気にも品がある。そもそも言葉遣いが子供らしからぬ丁寧さだ。きっと良いトコのお坊ちゃんなのだろう。


「君は中で待たないの? オモチャとか絵本とか、テレビもあるよ」

「いいです。僕、ライナと一緒がいいから」


言うと同時、男の子は白い犬に抱き付いた。


「ライナって、そのワンちゃん?」

「はい。本当は『スカイライナー』っていいます」


男の子はその小さな手で、白く輝く毛並みを優しく撫でた。ライナと呼ばれる大型犬は長い舌を出して嬉しそうに尾を振っている。


「大切にしてるんだね」

「だって、ライナは僕のだから」


屈託ない声でそう言うと、男の子は小さな歯を剥いてはにかんだ。

 そしてその瞬間。俺は雷に打たれたような衝撃に見舞われて、思わず返す言葉を忘れてしまった。

 

 『お待たせしました、坊ちゃま』


そうして呆然と立ち尽くしていれば、メイド服に身を包む女性型AIVISが店から出てきた。

 髪は鮮やかな薄桃色で、大きく丸い双眸は翠色に輝いている。シミひとつない新雪のような肌にアイちゃんにも匹敵する豊かな胸。


 「エル!」


その大きな胸に男の子は飛び込むよう抱きついた。なんとも羨ましい限りだが、溢れんばかりの笑顔は母親に甘える子供のように純粋だ。


 「エル、お薬もらえた?」

『はい。ちゃんと頂きましたよ』


薬の入っている袋を持ち上げると、桃色髪のメイドさんは柔らかな笑顔で答えた。同じAIVISでもウチのアイちゃんとは似ても似つかない。


 「じゃあ帰ろ、エル」

『はい。でもその前に坊ちゃま。ちゃんと先生に御挨拶しましょうね』

「うん。先生、ありがとうございました」


促されるまま振り返ると、男の子は恥ずかしそうに頭を下げた。


「お大事にね。えーっと……」

『坊ちゃま、先生が「お名前教えて下さい」って』


繋ぐ言葉に俺が迷っていると、『エル』と呼ばれるメイドさんが助け船を出してくれた。男の子は静かに俺の顔を見上げると、


 「カズキです。長瀬ながせカズキ」


どこか恥ずかしそうに笑いながら、男の子は名前を告げた。

 そうしてカズキ君はメイドさんへと腕を伸ばし、仲良く手を繋いで帰った。


 見た目から察するに、カズキ君は小学校2〜3年生くらいだろうか。あのくらいの年齢は家族と手を繋ぐなんて恥ずかしいだろうに、あろうことか彼は自ら手を差し伸べた。

 あの『エル』というメイド型AIVISのことが本当に大好きなのだろう。だから他人の目なんて気にならないし迷い無く手を伸ばせるのだろう。


 嘘も偽りも見栄も無い、本心の現れなのだから。


 その姿に、俺は自分の中で何かが弾けるような感覚に襲われた。気が付けば電話を取り、考える間もなくコールしていた。


 『はい、片桐かたぎりです』

「お疲れ様です、たゆね様。急で申し訳ないんですけど、もう一度だけ佐江木社長にアポを取って貰えませんか」


外れていた歯車が噛み合い一気に動き出す……そんな気がした。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


今回登場する長瀬カズキ君は『イロハネ』という作品に登場するわ。一緒に居る桃色髪の女性はエルグランディアという名前の家政婦型AIVISよ。

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