第152話 社長はどうやって会社を大きくされたんですか

 「朝日向あさひなさん。貴方は今、どんな薬局を目指しているの?」


凛と真っ直ぐな佐江木さえき社長の瞳に見つめられ、俺は言葉と共に息を飲んだ。

 

 薬局を大きくしたい。なんなら朝日向調剤薬局の名を日本中に轟かせたい。

 それが俺の目標で、その気持ちに嘘はない。

 でもそれは、あくまでゴール地点。薬局そのものの在り方ではない。

 俺はただ漠然と『薬局を大きくしたい』と言っていただけなんだ。そんなことすら理解わかっていなかった自分が、情けなくて仕方ない。


 「失礼します」


部屋の外から女性店員の声が聞こえた。皆の視線がそちらに向けられ、戸がゆっくりと開かれる。傍の盆には小鉢が3つ載せられて。


 「こちら先付さきづけで御座います」


簡単な説明と共に趣きある小鉢料理が並べられた。アイちゃんの前にだけ何も置かれていないけれど、女性店員は当然のように部屋を下がった。たゆね様が事前に伝えてくれていたのだろう。


 「わぁ、美味しそう。頂きます」


さっきまでの迫力ある雰囲気が嘘のように、佐江木社長は小鉢を前に柔らかな笑みを浮かべた。


 「磨かれたみたいに綺麗ね、このお豆腐。わたし和食が大好物だから嬉しいわ。朝日向さんは何がお好きなのかしら?」

「え、僕……ですか? 私は――」


俺は視線を泳がせ言葉を詰まらせた。佐江木社長の『どんな薬局を目指しているのか』という発言に、まだ脳のリソースが割かれていた。


 『朝日向店長は豚丼や親子丼など、丼物と呼ばれる食事を好まれます』


そんな俺を見兼ねて、アイちゃんが代わりに答えてくれた。懐石料理を前に『親子丼が好きなんです』というのもおかしな話だが。

 

 「朝日向さんはまだお若いし、ガッツリ食べたい御年頃よね。こんな小鉢じゃ物足りないでしょう」

「あ、いえそんな……こんな高級なもの滅多に食べられないんで、ちょっと緊張しちゃって」


作り笑いを浮かべ俺は慌てて箸を動かした。だけど味が分からない。美味いことは美味いけど、料理に集中できていないせいか今一つピンとこない。


 「失礼致します」


食べ終わる頃合いを見計らっていたように、部屋の外から声が響いて女性店員が次の料理を運んできてくれた。


 「こちら椀盛わんもりで御座います。本日は鯛の桜葉蒸しを御用意いたしました」


3人の前に鮮やかな赤色の椀が置かれて、女性店員が料理の説明をしてくれた。ただ発する言葉は専門用語みたいで、てんで分からなかった。


 「へぇ、桜葉蒸しは春の料理だと思っていたよ」

「本当に。最近は色々と技術が進んでいるのね」


ぼんやりと椀を見つめるだけの俺に反して、たゆね様と佐江木社長は大人な会話を交わしていた。

 恐る恐ると蓋を開けば、湯気と共に優しい香りが鼻腔をくすぐった。見れば桜餅みたく桜の葉に包まれた鯛の練り物が、透き通る出汁に浮かんでいる。


 「そういえば、桜葉さくらばさんがそちらで就業されていると聞いたのだけれど」


どこから手を付けて良いのか迷っていると、佐江木社長が唐突と尋ねた。『鯛の桜葉蒸し』に触発されたのだろう。


「はい、毎日頑張ってくれています。さくらが来てからは店の雰囲気が一段と明るくなりました」

「ファーストネームで呼んでいるのね」

「え……ああ、まあはい」

「ならやっぱり、お二人はそういう関係なの?」


抑えきれない笑みを浮かべ、心なしか目を輝かせて佐江木社長はほんの僅か身を乗り出した。


「高校時代の後輩なんです。さくらは頭が良くて、いつも彼女に勉強を教えて貰ってたんです」

「あら、じゃあ桜葉さんとお付き合いは?」

「してません」


まるで勢いが削がれたよう、社長は詰まらなそう顔で桜葉蒸しをつついた。


 「彼女、『どうしても会いたい人が居るから』って退職を直談判したのよ。てっきり遠距離恋愛中の恋人でも居るのかと思っていたわ」

「ははは……そういえば、さくらから聞いたんですけど、社長が直接彼女と話をされたんですか?」

「ええそうよ。それがなにか?」

「いえ……ただ個人店ならともかく、御社は何百人と社員が居られるだろうに、たった一人の従業員の為に時間を割かれたのかと思って」

「何百とは言わないけれど、そうね。だけどウチの会社で働いてくれているのだから、おさである私が耳を傾けるのは当然のことよ」


決して笑みを崩さず、けれど重みのある声で平静と答えるや、佐江木社長はおもむろに箸を置いた。


 「従業員は家族ではないわ。でも従業員の背景には家族がいる。社長というのは、そういった人達の想いや人生を全て背負っている。それだけに易々と会社を潰すわけにはいかないし、時には身を削ってでも従業員を優先するわ。

 私が会社を大きくする理由もそこにあるの。母体が大きくなれば経営基盤もそれだけ揺るぎないものになるし、人手が足りない所にはヘルプを送れる。店舗間で薬のシェアも出来る。卸会社を筆頭に取引先だって見る目を変えるわ」


そう言い終えると、佐江木社長はウーロン茶のグラスに手を伸ばしコクリと上品に喉を潤した。


「……ひとつ、聞いて良いですか」

「ええ、どうぞ」

「佐江木社長は、どうやって会社を大きくされたんですか?」


ピクリ、社長の動きが止まった。

 一瞬の間隙の後にグラスを置けば、その表情からは笑顔が消して真っ直ぐに俺を見つめる。


 「端的に言うと、M&A吸収と合併よ」


そして放たれた一言は、俺の全てを震撼ふるわせた。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


佐江木社長が仰っていた『日本で一番優しい薬局』というのは患者様にだけでなく、従業員にも優しい薬局(職場)という意味だったのね。

 それにしてもM&Aだなんて……羽鐘さんの所属していた派遣会社との間でもひと悶着あったけど、悠陽は大丈夫かしら。

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