第151話 日本で一番優しい薬局

 「とても雰囲気の良い所だわ。流石は片桐かたぎりさんの選んでくれたお店ね」

「ありがとうございます」


和座敷の室内を見回しながら微笑む佐江木さえき社長に、たゆね様は自慢する気配も無く平静と答えた。


 店に入ってるや否や、俺達は店奥の個室へと案内された。店内は外観通りこじんまりとした造りで、清潔感にあふれた和風の内装だった。

 料亭というほどでは無いけれど、小料理屋などと気軽な感じでもない。少なくとも俺なんかがフラッと立ち寄れるような店じゃあない。さくらを連れてこなくて本当に良かった……。


 「社長、お酒は?」

「やめておくわ。最近すっかり弱くなって。朝日向あさひなさんはお酒は飲まれるの?」

「あ、僕……わ、も遠慮しておきます」


体面に座る社長に尋ねられ、俺は苦笑いのまま両手を振って答えた。

 ちなみに席位置は出入口から一番近い場所にアイちゃんが座り、俺はその隣だ。上座と呼ばれる俺の正面には佐江木社長が座り、たゆね様はアイちゃんの向かい側に居る。


 「そう固くならないで。もっと気楽に、自然体で話しましょう。一人称なんか気にしなくていいわ」

「あ……ありがとう、ございます」


「ははは」と乾いた笑みを浮かべて俺は会釈した。自然体でと言われても、この状況でどうすれば緊張せず自然に居られるのか。


 「羽鐘はがねさん、で良かったかしら?」

『はい』

「貴女は食事も出来るの?」

『いえ、水のみ経口摂取が可能です。エネルギー補給の点で申し上げるなら、AIVISアイヴィスは飲食による栄養の摂取は行いません』

「そう。それは申し訳ないことをしたわ。私達だけ料理を頂くことになって」

『問題ありません。AIVISは食欲をはじめ欲求も御座いませんので』


やはりAIVISに興味があるのか、社長は嬉々とした様子でアイちゃんに何度も質問を重ねた。

 その後間もなく、着物姿の女性店員さんが飲み物を運んできてくれた。俺も佐江木社長もウーロン茶を頼み、たゆね様だけ日本酒を注文した。なおアイちゃんは宣言通りお冷である。


 「それじゃあ、今日の出会いに乾杯」

「乾杯」「か、乾杯……」『乾杯』


たゆね様の音頭に合わせ、俺達もグラスを掲げた。さっきメニュー表を見たけれど、この小さなグラスに入ったウーロン茶が【500円】と書かれていた。なんと凶悪な値段設定か。

 緊張で喉が渇いているというのに、これじゃあ碌に喉を潤せない。いくら奢りとはいえ……いや奢りだからこそ気兼ねしてしまう。ラーメン屋に置いてある安っぽいピッチャーが恋しい。


 「そういえば朝日向さんは薬剤師じゃないと聞いているのだけれど、本当なのかしら?」

「あ、はい。薬学部には行ってたんですけど、途中で辞めちゃって……」

「家庭の事情か何か?」

「ん……まあ、そんなところです」


チビリとウーロン茶を含んで、俺は言葉を濁した。まさか『親父が借金だけ残して蒸発したからです』なんて言える筈もない。


 「じゃあ御両親が薬剤師なのね」

「はい。母が薬局を立ち上げました」

「ということは、お母様の跡を継がれたのね。その若さで店を運営されるなんて立派だわ。薬剤師って変わり者も多いでしょうに」

「ははは。まあ、薬剤師かどうかはともかく、ウチほど変わり者が集まる薬局はそう無いと思います。でも皆、俺なんかを信頼して付いてきてくれて……本当に感謝しています。俺の数少ない自慢です」


何の気なく思ったことを口に出すと、佐江木社長は目を丸くして驚いた。かと思えば、「クスクス」と上品に笑い出す。何か変なことでも口走ったかと、俺は顔を赤くして俯いた。


 「ごめんなさい。少し昔のことを思い出して」

「昔のこと、ですか?」

「ええ。私がまだ父の薬局で働いていた時に、隣の小児科さんで事務長をしていた人が居たの。その人が今の貴方と似たような事を言っていたから」

「そうなんですか」

「ええ。その人は院長先生の御子息だったけれど、ドクターじゃなくて事務長をしていたの」

「なるほど、それは俺……と似ていますね」

「ええ。それで思わず笑ってしまったの。気を悪くされたら御免なさい」

「あ、いえ! 全然そんな!」


慌てて両手を振ってみせれば、佐江木社長はまた上品に笑みをこぼした。そんなに俺とその事務長さんは似ているのだろうか。


 「実を言うと、私が独立を考えたのもその事務長が切っ掛けだったの」

「それって……病院さんとの関係が上手くいってなかったから、独立をされたってことですか?」


恐る恐ると尋ねる俺に、佐江木社長は微笑みを崩すことなく首を左右に振った。


 「いいえ、その逆よ。たしかに薬局と病院は良好な関係性を築けていない所も多いわ。それは患者様にとってはマイナスでしかない。だから彼はそんな現状を変えたいと思っていたみたいで……私も彼の力になりたいって思った」


どこか昔を懐かしむように言いながら、佐江木社長は高価たかいウーロン茶をチビリと一口含んだ。飲み口に薄く付いた口紅を拭う仕草が、妙に色っぽい。


 「でも父の薬局に居るとそうもいかない。薬局は病院と違って営利法人だし、数字や利害関係を理由にドクターと意見を違えることもある。だから私は独立を決意したの。『日本で一番優しい調剤薬局を作ろう』ってね」


にこりと優しく微笑みながらも、その言葉には重みが感じられる。だから俺は一度も目を逸らさず社長の言葉に聞き入っていた。

 そんな俺を真っ直ぐに見つ返すと、佐江木社長はまた静かに口を開いた。


 「朝日向さん。貴方は今、どんな薬局を目指しているの?」




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


時代によっても違うけれど、(大雑把に言うと)薬局は後発品の処方が多いほど利益を出しやすいの。

 でも患者様の中には後発品を嫌がる人も居るし、後発品自体が体質に合わない人も居るわ。

 だけど病院と薬局の仲が悪いと連携が取れなくて結果的に患者様のデメリットになる。佐江木社長の仰る『優しい薬局』は『医療機関同士が上手くコミュニケーションをとって、患者様を一番に考えられる優しい薬局』という意味だと思うわ。

 悠陽はちゃんと理解しているのかしら……。

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