第143話 家族以外の人に「行ってらっしゃい」って言われるの、なんかドキドキするよね!

 「――申し訳ありません!」


休診時間中に事務所から戻ると、さくらが大きな声を上げて勢いよく調剤室から飛び出してきた。

 待合室でお待ちの女性患者様も、その大きな声にビクリと肩を震わせる。


 「お預かりした処方箋を確認したのですが、今はこちらのお薬だけ在庫が無い状態なのです!」


さくらは女性患者様の前に片膝をつけると、手元の処方箋を指差しながら溌剌はつらつと説明した。処方箋の色や形から察するに、おそらく市内にある総合病院で受診されたものだろう。


 店舗の規模にも依るが、調剤薬局では必要最低限の薬しか備蓄していない。

 というのも医薬品にも賞味期限や消費期限みたく『使用期限』が設けられていて、それを超過すると廃棄しなければならないからだ。

 

 そのため近隣の病院に関連ある薬や、自分の薬局を定期的に利用して下さっている患者様のお薬しか常備していない所も多い。

 因みに今現在日本国内で流通している品種は1万5千ほどあるが、ウチでは1200品目ほどを常備している。だけどそのうちの7割強が、門前病院の整形外科と小児科で処方される品目なのだ。


 「じゃあ、この薬は貰えないんですか?」

「いえ! とりあえず今お店にあるお薬だけを先にお渡ししますので、足りないお薬は業者さんに発注して後日に郵便で御送りさせて頂きます!」

「でも、それじゃあ今日中には貰えないですよね。出来れば今日から飲みはじめたいんですけど……」

「なななんと! それは困りました!」


相変わらずのオーバーリアクションで驚くと、さくらは眉を顰めて「う~ん」と腕組みした。こういう時の対応は教えているはずだが……。


 『では近隣にある他薬局で不足分の医薬品を調達して参ります。少々お待ち頂くことになりますが、宜しいでしょうか』


なかなか答えを出せないさくらを見兼ねて、アイちゃんが助け船を出した。

 大袈裟なさくらとは違って冷静なアイちゃんの態度に、患者様は彼女の方へと視線を移す。


 「えっと……それって、私が近くの薬局さんまで行くってことですか?」

『いえ。調達には我々が行って参ります』

「あ、そうなんですね。じゃあ御願いします」

『かしこまりました。宜しければ調剤が完了しだい御電話をさせて頂きますが、こちらでお待ちになられますか?』

「あー……なら買い物に出てきます。薬が出来たら電話をお願いします」

「はい! かしこまりました!」


薬は後ほど纏めてお渡しさせて頂くことにし、患者様は電話番号を二人に伝え買い物に出掛けられた。


「ナイスフォロー、アイちゃん」

『恐れ入ります』

「さくらも大分慣れてきたみたいだな」

「ふっふっふ! それ程でもあります!」


豊かな胸をこれでもかと張り、さくらは自信満々に鼻を膨らませた。


「ふーん、じゃあ桜葉さくらば先生に問題な。今回みたいに他の薬局へ薬を買いに行くことをなんて言う?」

「はい! 『買い付け』です!」

「いやそのまんまじゃねーか」


何の捻りもな回答に苦笑いでツッコミを入れると、さくらは「てへっ」と小さく舌を出した。


「こういう薬局間での薬の遣り取りは『分譲ぶんじょう』って言うんだよ。大手なんかは『購買こうばい』って呼んでる所もあるみたいだけど」

「ブンジョーですね! 分かりました!」


曇りなき眼でガッツポーズをしてみせるも、さくらの『分かりました』は100円ショップの消毒液くらい信用できないからな。まあ、地道に覚えていけばいいけど。


「それでアイちゃん。この薬、近くだと何処の薬局が置いてるかな?」

『はい。こちらの品目であればキングファーマシー様で取り扱いがあるかと』

「……えっ?」



 ◇◇◇



 ウチの薬局がある地域は、市営の薬剤師会に加入することで分譲業務が可能になる。

 薬剤師会というのは……簡単に言うと調剤薬局の元締めみたいなものだ。入会せずとも薬局の運営は可能だが、加入していないと不便も多い。


 たとえば今回のように他の薬局へ薬を買い付けに行けなかったり、薬剤師会が管理する掲示板に求人広告を出せなかったりと。


 また薬剤師会に加入していることで同市内の会員薬局が保有している薬品の一覧を参照できる。その一覧を元に、薬を譲ってくれるか目当ての薬局さんへ確認の電話を入れるのだ。当てずっぽうで電話をかけるより、余程時間の節約になる。

 おまけにウチにはアイちゃんが居てくれるから、わざわざ一覧を開いて探す必要も無い。なにせ彼女は全ての情報をインプットしているからな。


 そうして目星を付けた薬局に連絡を入れ、許可を貰うと必要な薬の数と金額を計算し、薬剤師会から発行される専用の台帳へ記入する。

 ウチの自治体は、この台帳でなければ薬局同士の薬の遣り取りが出来ない。よく分からないが、そういう規則なのだ。

 

 『それでは朝日向あさひな店長。行って参ります』


専用の台帳とお金をセカンドバッグに入れて、アイちゃんはキングファーマシーに向かおうとした。


「あ、ちょっと待ってアイちゃん。その分譲、俺が行ってくるよ」


だけど店を出る寸前、俺は彼女を引き留める。


 『宜しいのですか』

「うん。もうすぐ泉希みずきも休憩から戻ってくるだろうし、ちょっと見学がてらね」


理由にならない理由を付けて、俺は半ば強引にアイちゃんから分譲用のセカンドバッグを預かった。


 『畏まりました。恐れ入りますが宜しくお願い致します。お気をつけて行ってらっしゃいませ』

「行ってらっしゃいです、先輩!」


見送ってくれる二人に「行ってきます」と手を振り返して、俺は白衣姿のまま店を後にした。


 この瞬間が、俺はたまらなく好きなのだ。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


分譲のために記入する薬の価格は薬価で定められた金額なので、日本全国どこでも一律よ。なの分譲では売る方も買う方も利益は殆ど出ないの。


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