第141話 トラウマとか嫌な思い出ってTPOに関わらずフラッシュバックするよね

  「――実は俺……女性が苦手なんです」


視線を泳がせモジモジと手遊びしながら、俺は恐る恐ると顔を上げた。

 たゆね様はポカンと大きく口を開いて驚きを露わにしている。だけど直ぐさま我に返ると、たゆね様は「コホン」と上品に咳払いをされた。


 「一体なにを言い出すかと思えば、毎日あんな美少女達に囲まれて、女性が苦手というのは無理があるだろう」


カフェラテのカップを片手に、今度は呆れた様子で俺を見遣る。ジトリと張り付くような視線が、額に浮かんだ汗を加速させる。


「その……と、年上の女の人が苦手なんです……」

「年上の女性?」


視線を泳がせモゴモゴと口籠もる俺に、たゆね様は眉根を寄せて尋ね返した。


「……俺が朝日向調剤薬局ウチのみせに入職した時、従業員は全員女性でした」

「ふむ。言っても薬局業界はまだまだ女性中心な仕事からね。珍しいことではないと思うよ」

「それは俺も思います。だけどウチは40代や50代の方ばかりで、中には60代の方も居ました。20代30代の若手は、俺と泉希だけで」

「それはなんとも。薬剤師が人手不足なのは知っているし、医療関係は経験者を採用したがる傾向にあるけど、そこまで若手が足りないとはね」

「大手やチェーン店なら新卒も採りやすいんでしょうけど、ウチみたいな個人店では無理です。そもそも新卒を採用する方法も分かりません」

「ああ、確かに大学の友人もベンチャーや零細れいさい企業には興味を示していないね。大手企業や公務員みたく安定した職場が今の世代には人気らしい」

「らしいって、たゆね様は就活しないんですか?」

「しないよ。私はもう自分の会社があるし。それに私の母校が今度こっちに分校を建てるらしくてね。そこの教師にと声も掛かってる」


平静とそう言いながら、たゆね様はまた美味そうにカフェラテを啜った。

 よく分からないけれど、進路が決まっているというのは羨ましい限りだ。俺も就活せず薬局みせに来たから人のことは言えないけど。


「話を戻しますけど、そういう理由わけで俺はあんまり薬局に馴染めなかったんです。それでもせめて仕事だけは頑張ろうと思ったんですけど……空回りしちゃって。嫌味を言われたり怒鳴られたり、中には無視する人も居ました」

「それで年上の女性に苦手意識が出来たと」


コクリ、俺は首肯して応えた。たゆね様は「なるほどね」と長い脚を組んで椅子の背にもたれ掛かった。


「俺は生意気で頼りないから、当時の従業員が怒ったのも当然でした。それに年上の女性が全員厳しいって訳じゃないのは分かってます。でも――」

「頭では理解しているけど、その年代の女性を前にした途端当時の記憶がフラッシュバックして萎縮してしまうわけだ」

「……はい」


椅子に背中を預けるたゆね様に反して、俺は小さく丸まり窄めた声で返す。


「とくに薬剤師とかキャリアウーマンとか、仕事のできる女性を前にすると……途端に体が震えて頭の中が真っ白になるんです」

「ふむ……」


鼻を鳴らしてカフェラテを啜るたゆね様に対して、俺は背中を丸めたままアメリカン珈琲を啜った。

 さくらが尊敬している人物とは言え、苦手意識はそう簡単に克服できない。


 「君のトラウマは分かった。だが心配しなくとも大丈夫だよ。彼女はやり手の経営者だけど、ハラスメントとは無縁の人物だからね」

「でも、バリバリの薬剤師なんでしょ」

「そうだね。もちろん甘い性格ではないし厳しい面もあるだろう。だけどそう身構える必要は無いさ」


たゆね様は明るく笑いフォローしてくれたが、俺はそれを素直に受け止めることが出来ず、一層と眉根を寄せた。


「取り敢えずアポは取っておくから、当日はちゃんと出席してね。間違っても『お腹が痛いから』なんて言ってサボらないよーに」


ギクリ、俺は体を震わせた。額にはダラダラと大粒の汗が浮かぶ。

 そんな俺にたゆね様は呆れたような深い溜息を吐いて、見えない何かと一緒にグイと勢いよくカフェラテを飲み干した。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


以前にも話をしたかも知れないけれど、医療の世界は男女問わず気丈な人が多いわ。私が前に勤めていた薬局の上司は「医療にハラスメントは無い」なんてことを言っていたわね。

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