第138話 さくらと悠陽の高校生活⑦

 「――卒業おめでとうございます……先輩」

「……うん」


灰色な空模様の中。卒業証書を片手に俺はさくらと図書室に居た。

 他の生徒らはグラウンドや校舎前でクラスメイトや教師らと写真を撮ったり、思い出を語り合ったりしている。卒業式の日まで図書室に来ている変わり者は、流石に俺とさくらだけだった。


「ありがとうな、さくら。お前が勉強を教えてくれたおかげで、なんとか俺もコイツを貰えたよ」


卒業証書の入った黒い筒を掲げながら、俺はさくらに微笑みかけた。

 けれど彼女は、表情に影を落とし伏せ気味にかぶりを振る。


 「……お礼を言うのは、私の方です」 


言葉の意味が分からず俺が首を傾げると、さくらはゆっくりと顔を上げた。


 「私がまだ中学生の時、男の人に絡まれている所を先輩に助けて貰いました。あの時は怖くて、御礼も言わずに逃げ出して……ごめんなさい」


言われて初めてハッと気付いた。まさか、あの時の女の子がさくらだなんて、夢にも思わなかった。


 「私、あの時のことを謝りたかったんです。でも先輩に嫌われるのが怖くて、ずっと言い出せませんでした……本当に、ごめんなさい」


落ち着いた……だけど震えた声で、さくらは深々と頭を下げた。

 俺はようやくと理解した。

 もしもあの時さくらを助けなければ、俺が学校で孤立することも無かったかもしれない。彼女はそれを詫びたいのだろう。だけど――


「謝る事なんて、なにもない」


彼女の肩に手を置き、伏せる顔を上げさせた。


「あれは俺が勝手にやったことだ。さくらはなにも悪くない。それに俺は、お前に感謝してるんだ」

「か、感謝……ですか?」

「ああ。もしあそこでお前を助けなかったら、ここでお前と一緒に勉強することは無かっただろ。お陰で俺は毎日が楽しかったし目標もできた。だから、ありがとう」

「せ、先輩……!」


途端、膨らんだ感情が溢れ出したか、さくらはポロポロと泣き出し、鼻をすすって嗚咽おえつを漏らした。

 

「さ、さくらっ!?」


泣いている女の子への対応なんて教わっていない。どうして良いか分からず俺はアタフタと狼狽うろたえるばかりだった。

 とはいえ、このままさくらを放っておく事も出来ない。俺は恐る恐ると、さくらの小さな背中を撫で叩いた。

 本当は抱きしめるくらいの男気を見せるべきなのかもしれないが、生憎とそんな根性は無かった。

 

 これは余談だが、さくらを助けたあの日。彼女は制服から俺がこの高校の生徒だと知り、自分も同じ高校へ行こうと決意したらしい。

 どうしても、俺にもう一度会いたかったようだ。

 俺がその想いを知ったのは、さくらがウチの店に来た日のこと。記憶喪失のさくらが見せてくれた、彼女の日記帳に綴られていた。


 「謝らなきゃいけないのは、俺の方だ」


暫くして落ち着きを取り戻したさくらに、俺は囁くよう告げた。

 この図書室に俺が通い始めた頃、同級生に一緒にいる姿を見られて、『桜葉さくらばはヤクザの息子の女』などという噂が広まってしまったからだ。

 

「本当に、ゴメンな」


深く頭を下げて陳謝する俺に、さくらはフルフルと首を左右に振った。


 「私、全然イヤじゃなかったです。むしろ先輩のおかげで、毎日幸せでした」

「さくら……」

「それに私、携帯電話とかも持ってないから、どのみち友達とかは出来なかったと思います。中学生の頃も、ずっと一人ぼっちでしたから」


言いながら、さくらは悲壮な笑みを浮かべた。同時に彼女の過去を勝手に妄想して、苦虫を噛み潰した顔で俺は奥歯を軋ませる。

 

 「私、本当に楽しい高校生活でした。できるなら大学も、先輩と一緒のところに行きたいです……」

「さくら、お前……」


俺が言い終わるより早く、さくらはコクリと頷いて応えた。まさか俺と同じ大学に行きたいだなんて、考えも及ばなかった。


「さくらの成績なら、他にいくらでも優秀なトコに行けるだろう。折角頭良いのに、もったいない」


そうハッキリと言い切った。だけどさくらは決して首を縦に振らず、「俺と同じ大学に行く」と言って聞かなかった。


 「合格が分かったら、連絡ください」


眼鏡の奥に浮かぶ涙を拭いながら、さくらは柔和に微笑んだ。


 数日後、俺は受験に臨んだ。

 受けた学校も学部も一つだけだった。


 というのも、オフクロは『自宅から通える大学でないと許さない』とかたくなだったからだ。

 自宅から通うとなると、少なくとも2時間圏内にある学部に限られる。

 だが県内にある薬学部らどこも偏差値が高くて、今の俺では手も足も出ないような状況だった。

 どのみち、他に行きたい大学も無かったけれど。


 一週間後。試験結果が公表された。


 俺は見事に受かっていた。


 合格通知と入学手続きの書類が自宅に届いた。


 だけど俺は、入学を辞退した。


 さくらに追い付こうと思った。


 アイツはきっと俺と同じ大学を受験して、間違いなく受かるだろう。だけどいまの俺が受かるようなレベルの所にアイツが行くべきじゃない。

 一時の感情で人生を棒に振るような真似、絶対に間違っている。


 そう思った俺は、浪人することを決めた。


 しかしこの決断が、まさかあんな結末を迎えようとは……この時の俺は、まだ知る由も無かった。




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桜葉さん、もしかすると中学ではイジメにあっていたのかしら。だとすると悠陽の存在が彼女を守っていたのかもしれないわね。あくまでも邪推だけど。

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