第135話 さくらと悠陽の高校生活④

 「あ、あの……」


黒縁眼鏡に黒髪の女子生徒が、羽音のように細い声で囁きかけた。


「な、なに?」


ここに来た時と同じく唐突と声を掛けられて、驚きを露わに尋ね返した。


「あ、えと、その……」


自分から声を掛けて来たにも関わらず、女子生徒はモジモジと不安気に手遊びをしながら、上目遣いに俺を見つめた。


 「い、いま……何年生ですか?」

「え、2年だけど」

「そ、そうなん……ですね」

「うん……」


フェードアウトするように会話は途切れて、静寂が俺達の間に満ちた。

 本当は話を広げたかった。だけど一年以上まともに人と話をしていないせいで、どんな返しをすれば良いか分からなかった。

 

 これは邪推だが、おそらく彼女も俺と同じで普段あまり人と会話をしないのだろう。『出来ない』と言ったほうが正しいか。

 これがシンパシーというものか。同じ性質ぼっちだからこそ分かる何かがある。


 恐らく彼女も同じだろう。だからこそなけなしの勇気を振り絞り俺に声を掛けてくれたのだ。

 優しい人だ。俺にはそれが分かる。

 だからこそ彼女の思いを無駄にはしたくない。

 ドキドキと拍動する心音を感じながら、俺は意を決して口を開いた。


「そっちは」


まるで独り言のような声量。だけど彼女は勢いよく顔を上げ、驚きに目を丸めながら俺を見つめ返す。


「え、えと……?」

「いま何年生?」

「あ、い、いい1年生です!」

「そっか」


人差し指を立てて答える少女に、俺はまたキャッチボールにならない返答をしてしまった。

 けど、それが今の俺に出来る精一杯だった。緊張と興奮で頭の中が掻き乱されて、声を出すのに全てのリソースを割かれているみたいだ。人と関わるのはこれほど大事なのかと改めて思い知らされる。


(……でもそっか。1年か)


教科書を読むフリをしながら、俺は心の中でポツリと呟いた。

 正直に言うと残念だった。彼女が2年生か3年生なら勉強を教えて貰えたかもしれない。あわよくば友達になる……のは流石に無理か。なんにせよ世の中そう都合よくは行かないらしい。


 「あ、あの……」


勝手に気落ちしている俺に、少女が再び声を掛けてきた。心なしか、さっきよりも声が聞き取り易い。


「なに?」

「に、2年生……ですよね?」

「うん」

「それ、1年の教科書……です」

「ああ……ちょっと、復習」

「そ、そうなん、ですか……」

「……うん」


感心しているのか、驚いているのか。複雑な表情で女子生徒はゆっくりと首を縦に下ろした。


 それからまた暫く会話は途切れて、俺は教科書に齧り付いた。去年の2学期あたりの履修範囲だからまだイケるかと思ったけど、見積もりが甘かった。

 相変わらずの茶髪頭を抱えて、俺は「うーん」と唸り声を漏らす。


 「な、なな、なにか……お困り、ですか?」


そんな俺の姿を見兼ねてか、少女はおずおずとした態度で尋ねた。


「う、うん……ちょっと内容を度忘れして」


嘘だ。本当はてんで覚えていないだけなのに、名前も知らない後輩に「勉強が分からないんだ」なんて言うのが恥ずかしくかった。


 「あ、あの」

「ん?」

「ここは、この公式を使うんです」


開かれた教科書に、彼女のか細い指が這う。先程とは打って変わった流れるような口振りで、個人授業が始まった。

 彼女の説明は馬鹿な俺でも理解できるほど分かり易くて、俺は二重の意味で驚かされた。


「凄いな。ここ、まだ履修範囲じゃないだろ」

「あ、えと……私、趣味とか無くて、休みの日も本を読んだり、教科書を開くことくらいしか……」


照れ臭そうに、けれどどこか悲しそうに答えた彼女の姿に、俺は自分が恥ずかしくなった。相手が後輩だからと見栄を張って、下手に格好つける姿が馬鹿馬鹿しく思えた。


「……あのさ」

「は、はい!」

「良かったら勉強教えてくれないかな。本当は俺、成績ヤバくて困ってたんだ」


 彼女を見習い、少しだけ自分を出した。


 断られると思った。なにせ今日会ったばかりの、名前も知らない他級生なのだから。だけど彼女とは本音で話したいと思った。

 彼女には、ありのままの俺を見せたかった。


 「は、はい! 私で良ければ!」


意外にも彼女は快諾してくれた。まるでその言葉を待っていたと言わんばかりに。ギコちなく嬉しそうに微笑む彼女の姿が、心の内を表していた。


 瞬間、俺の心臓がドキリと波を打った。

 ちょっとだけ、彼女のことが可愛いく見えた。

 胸はあんまり大きくないけど。


「そういえば君、名前は?」

「あ……さ、桜葉さくらばです! 桜葉、さくら……」




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


学生時代の桜葉さんは本当に大人しくて真面目な性格だったのね。というか、この御話に出てくる登場人物ってほぼ全員友達が居ないわよね……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る