第128話 おバカでスケベで守銭奴でおまけに弱い人間

 怖かった。


 自分に自信が無かった。


 口では店長だの経営者だのと言っているけれど、本当はそんな器じゃないと自分でも理解していた。


 大学在学中に親父が蒸発してオフクロが難病を患った。だから俺は学校を辞めて、薬局の手伝いを始めた。


 それは事実。


 でも本当は大学を辞めない選択肢もあった。


 ただ俺は現実から目を背けて、患者様や従業員を言い訳に、中途半端な覚悟で薬局を引き継いだ。


 それが真実。


 本当は店も従業員もどうでも良かった。


 ただ単に、薬剤師として白衣を着て働いている自分を想像できなかった。


 だから偶然と出来た逃げ道に飛び込んだ。


 それだけだった。


 だからいつかは、こういう日が来ると思っていた。


 お隣の小児科が休院するずっと前から、この店に来て間もない頃から頭の片隅にその不安はあった。


 だけど薬剤師や事務員……従業員が次々と辞めていくのを言い訳にして、その現実からも目を背けていた。


 本当は少しだけ安堵していた。そして願っていた。


 このままずっと小児科さんが閉院していれば、少ない人数のまま店を回していくことが出来るのに……と。


 だけどそんな情けない台詞、泉希の前では口が裂けても言えなかった。だから、「この店の名前を日本中に轟かせてやる」なんて大口を叩いていた。


 本当は、自分にそんな才覚なんて無いと知りながら。


 『アンタがもし薬剤師になっても、ウチの店ではすぐに働かせへん。イッペン普通に就職して世の中を知らなアカン』


俺がまだ薬学部に在籍していた頃、オフクロに何度か言われた。当時の俺は意味が分からなかったし、分かろうとも思わなかった。


 その言葉を理解できたのは、俺が薬局に来てから暫くのことだった。 

 従業員が次々と辞めていく現実を目の当たりにして、ようやくとオフクロの言葉の意味を理解した。


 俺は、あまりに無知過ぎだ。


 薬のことも、経営のことも、世の中のことも、人間のことも。


 認めたくなかった。


 どちらかと言うと親父似だった。


 外見だけじゃなく中身も。


 もともと努力家でもないし地頭も良くない。口先だけでイヤなことがあればすぐに理由をつけて逃げ出す。そんな俺が、調剤薬局なんて運営できるはずがなかった。


 なんとなく知ったかブリして、その気になっているだけだった。


 心のどこかで自分には無理だと暗示を掛けていた。


 だからいつか店が無くなっても、それで良いと思っていた。


 たぶん、従業員たちはそんな俺の心の中を見透かしていたんだと思う。


 けど、本当はそれすらどうでも良かった。


 俺にあったのは、唯一店に残ってくれた泉希への想いだけだった。


 泉希に対して、特別な感情を抱いていた。


 ただ俺は、彼女と一緒に居たかった。


 それだけだった。


 だけど泉希は薬剤師だし、まだ20代だ。働き口はいくらでもある。ウチのような個人店にいるより、他の店に行った方がよほど彼女の為だと何度も考えた。


 それでも俺は、自分の我を通した。


 俺の我儘に泉希を付き合わせていた。


 現状に甘えて、泉希と過ごす時間を楽しんでいた。


 だから泉希の負担が増える事は一番の懸念だった。


 彼女の体もそうだが、彼女が仕事に圧し潰されて俺の前から去っていくことが怖かった。


 泉希と離れたくなかった。


 だから必死に薬剤師じゅうぎょういんを探した。


 掲載無料の求人サイトに、出来高制の求人広告。自分で手製のビラを作って撒いたりもした。役所に掛け合い市内の掲示板を使わせてもらった。


 だけど一向に効果は無かった。


 日ごと大きくなる不安に圧し潰されそうだった。


 そんな時だった。泉希がアイちゃんの居る派遣会社を教えてくれたのは。


 そしてアイちゃんが来てくれた。


 俺の義妹いもうとだという火乃香ほのかが来てくれた。


 念願の薬剤師、さくらも来てくれた。


 いつしか本当に家族が増えた。


 泉希以外はウチしか居場所の無いような、一癖も二癖もある従業員なかま


 今までに居た従業員とは違う。


 もしもここで俺が折れたら、アイツらは本当に路頭に迷ってしまう。


 それだけは、絶対に出来ない。


 店を終わらせる訳にはいかない。


 泉希だけじゃない。


 俺の大切な従業員かぞくのために。


 だけど、未来永劫じゃない。


 ほんの数年だけでいい。


 たゆね様に肩代わりしてもらったアイちゃんの負債は、数年あれば返せる計算。


 火乃香が成人すれば俺はお役御免だ。アイツは地頭が良いし器量もある。今から医療を学んで専門学校にでも行けば、いくらでも自立できる。


 さくらも今は記憶喪失だけど、決して治らない訳じゃない。例え記憶が戻らずとも薬剤師としての勘さえ取り戻せば、どこででもやっていける。


 この薬局は、あくまで彼女らの腰かけに過ぎない。


 未来ある俺の家族は、こんな所で終わらない。


 だから今はこれでいい。


 あと数年だけ、のらりくらりとやっていければ。


 下手な向上心で藪をつついて蛇を出すより、現状を維持する方が余程現実的だ。


 所詮俺はオフクロから店を受け継いだだけで、手腕も何も持たない、ただのドラ息子だから……。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


意外にも医療は狭い世界と言われていて、医療で通じる常識が外では全く通じないことも多いわ。そこに若い頃から居るのはデメリットだと先生は思われたのね。


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