第124話 正直、手遅れ感が強い

 「――そういえば、もうすぐお隣の小児科医院さんが再開されるらしいね」


安物のワイングラスを傾けながら、たゆね様がお尋ねになられた。建前とはいえ一応この飲み会は接待だから、仕事の話もしてくれる方が有難い。


「来月には復帰されるとお伺いしています」

「なるほどね。ということは、処方箋しょほうせん枚数も今より倍増する見込みなのかな」

「そのはずです」

「なら、このタイミングで桜葉さくらば先生が来て下さったことはラッキーだったね」

「はっはっは! オーボエに乗ったつもりでお任せください!」


既に何杯目か分からないグラスを空けて、さくらは自信満々と胸を叩いた。たぶん『大船に乗ったつもりで』と言いたいのだろうな。誰も木管楽器なんぞに乗って航行する気は無いが。


 「しかし、お隣の小児科さんは何故お休みを?」

「院長先生が御高齢ですからね。お身体に不調をきたされたとかで」

「ふむ……」


それまで笑顔でワインを傾けていたたゆね様は、不意にグラスを置いて意味あり気な表情を呈した。


「どうかされました?」

「いやなに。ただ、調剤薬局という物の在り方が改めて気になってね」

「在り方、ですか?」


俺よりも早く泉希みずきが尋ね返せば、たゆね様はコクリと首を縦に振った。皆の視線が、たゆね様へ向けられる。


 「以前から感じていたけれど、調剤薬局という業種はそれ独自では成り立たない。この意味は分かるかい?」

「分かりません!」


ビシッと勢いよく挙手するさくらに、たゆね様は柔和に微笑み返す。


 「処方箋ありきだから、ですね」


そんなさくらの代わりに泉希が答えると、たゆね様は静かに首肯した。


「そう。調剤薬局はドラッグストアと違って物品販売が主な収入源とならない。あくまでも診療所や病院からの処方箋ありきの業種だ。言い方は悪いが、病院に依存しなければ運営も出来ないし、病院の評判如何で売り上げが左右される」

「なるほどです!」

「要するに薬局は診療所の方針や考えに強く左右されてしまう。仮にドクターが引退された場合、薬局は後釜の院長あるいは医院を誘致しなければならない。個人店ではそれが大手よりも難しいのが現状だ」

「……」


言われて俺と泉希は押し黙った。

 『門前のクリニックに業績が左右される』――それは薬局で働いていれば、誰しもが感じることだからだ。

 大手チェーンの薬局ならば別の店舗へ異動するなどして従業員の生活を守れるだろうが、ウチのような個人店ではそうもいかないからな……。


 「じゃあ、どうしたら良いんですか?」


沈んだ顔で閉口する俺と泉希に代わって、火乃香ほのかが怪訝そうに眉根を寄せてたゆね様に尋ね返した。 

 さくらは大きく首を傾げ、まるで話を理解していない様子だ。アイちゃんはいつも通り平静な態度で話を聞き入っている。


 「3つ。打開策が考えられる」


たゆね様は徐に右手の指を3本立てた。真剣な表情で突き立てられた指先に、俺達の意識は否応なく其方そちらへ向けられる。


 「ひとつは、医師とのコネクションを確立すること。

ふたつは、モールなど商業施設に店を構える。

みっつは、大手の傘下に入る……こんな所かな」


たゆね様の御提言に、俺はまた何も答えられなかった。なにせ彼女の提案は、俺も以前から考えていたからな。

 恐らく泉希も同じ思いなのだろう、不安とも驚きとも付かない複雑な表情で俺の横顔を見つめている。


 「大手って、大きな企業ってことでしょ? なら兄貴が今の店を大手にすればいいじゃん」

「うむ、確かにそれも一つの手ではあるね」

「だったら――」

「だが現実的ではない。そうだろう、店長さん」


火乃香の言葉を予測したか、たゆねさんは彼女の二の句を遮るよう俺に尋ねかけた。俺は神妙な面持ちのまま、「はい」と短く答えて首肯する。


 「どうして現実的じゃないの?」

「……正直、手遅れ感が強い」

「手遅れ感?」


俺の言葉をオウム返しする火乃香に、俺はまた首を縦に振って応えた。


 さっきまでの楽しい空気は一変して、重々しい雰囲気が俺達のテーブルを包む。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


モールというのはこの場合医療モールを指すわ。一つの商業ビルに複数のクリニックが集合している施設のことを「医療モール」などと言うの。

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