第121話 泉希とさくらのエトセトラ②
「――取り敢えず、当面必要な生活用品はあらかた揃ったわね」
「ありがとうございます
元気いっぱい深々と頭を下げる
自宅から電車で30分も掛からない場所にある大型のショッピングモール。そこを訪れた私と桜葉さんは、フードコートで少し遅めの昼食を摂っていた。
桜葉さんが私のマンションに転がり込んだ翌日、彼女の入職面接が執り行われた。採用は殆ど決まっていたので、面接は形式だけの簡単なものだったらしいけど。
ともあれ入職が決まったのなら、彼女は今後ウチの薬局へ通うことになる。ならば何かと物入りだろうと、彼女の日用品を買いにやってきたのだ。
だが全財産が500円にも満たない彼女では物を揃えるどころではない。そのため私が一旦建て替えてやることにした。もしも
「買ってあげたわけじゃないから。あくまで貸しだから。お給料が出たら、ちゃんと返してよね」
「分かっておりますとも!」
怪訝な顔でたこ焼きを摘まむ私に反して、桜葉さんはホクホク顔で特盛天丼と温蕎麦のセットを食べ進んでいく。
先日もそうだったが、彼女は見た目に依らず大喰らいだ。ゆうに私の3倍は平らげる。決して太っている訳ではないのに、一体どこへ入るのだろう。
「しかし、こうしてお友達の方とショッピングをしていると、なんだかワクワクしてつい色々と買い込んでしまいますね!」
口元と額に米粒をつけながら、桜葉さんはニカッと歯を剥きと明るく笑った。どんな食べ方をすれば、オデコに食べ零しがつくのだ。
私は呆れながらもペーパーナプキンで彼女の白い額と口元を拭ってやった。
だけど、悪い気はしなかった。むしろ心地よくすらあった。
高校も大学も勉強とバイトで必死だったから、友達とショッピングモールで遊んだことなんて一度たりとも無かった。
そもそも友達なんて居た試しが無かった。
だから、今日彼女とモールへ買い物に来れたのは純粋に嬉しかったし、柄にもなく気分が高揚した。
「ね、ねえ桜葉さん」
「はい!」
「良かったら、このパティスリーに行ってみない」
携帯電話の画面を差し出し、私はモール内にある小洒落たスイーツ店のHPを彼女に見せた。どこか敷居の高そうな外観で、それなりに有名な店らしい。以前から気になってはいたけれど、一人で行くのは憚られた。
「良いですね! 行きましょう!」
桜葉さんは目を輝かせ二つ返事にOKしてくれた。誘っておいてなんだが、特盛の天丼セットを食べたばかりだというのに大丈夫だろうか。
そんな私の心配を他所に、桜葉さんは大量の買い物袋を抱えて颯爽とフードコートを後にした。
意外なことに彼女は、「トレーや空の食器は返却する」ことを知っていた。
ここに来るまでも電車の乗り方や買い物の仕方、交通系電子マネーのチャージ方法まで理解していたから、記憶喪失ではないのかと驚いた。
「お医者様が仰るには、『自転車のパーツの名称を度忘れする事はあっても、普通に乗ることは出来るようなもの』とのことらしいです!」
正直よく分からなかった。だが思うに、感覚的に覚えていることや実際に体感した事は忘れていないが、知識として記憶した内容や、対人関係に類する事は覚えてないといった所だろうか。
「そんなことより、今はケーキに全身全霊を注ぎましょう!」
爛々と目を輝かせてパティスリーを指差しながら、桜葉さんは私の手を握り足取り軽く店に向かった。
「……ま、なんでもいいか」
「なにか仰いましたか?!」
「別に。それより、今日は食べるわよ!」
「なんと! 私も負けませんよ!」
ガッツポーズを取りながら、桜葉さんは向日葵みたく明るく笑った。
真っ暗だった青春時代を取り戻すかのように、私も桜葉さんに倣って年甲斐もなく走り出した。
もしかしたら今この瞬間こそが、私の青春時代なのだろうか。
愛しい男性が居て、妹みたいに可愛い子が居て、頼れる仕事仲間が居て、同い年の友達が居る。
幸せなんて分からないけど、心の中が満たされていく。もしかしたらこの
ならば今は、存分に謳歌してやろう。
ちょっとだけ、そう思った。
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桜葉さんは記憶喪失後でも日常生活を問題なく送れているようなので、私は「知識」に関する記憶はそのままに「思い出」や「人間関係」の記憶だけが削られたものだと考えたわ。悠陽はおバカだから桜葉さんの記憶喪失について特に何の疑念も持たずに受け入れていたようね。
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