第117話 俺と泉希とオフクロと①

 「――いやぁ~、二人から御飯誘ってくれるなんて嬉しいわぁ~」


色鮮やかな懐石料理に舌鼓を打ちながら、オフクロは喜色満面に俺と泉希みずきを見やった。


 「喜んで頂けて良かったです。ねっ、悠陽ゆうひ

「……せやね」


嬉しそうに笑顔で答える泉希に反して、俺は仏頂面のまま刺身に手を伸ばした。


 今、俺は泉希とオフクロの3人でシティホテルの懐石料理を頂いている。なぜこんな状況に至ったかというと、先日の泉希の発言に端を発する。


 

 ◇◇◇



 「――今度、特別ボーナス欲しい」


唐突と放たれたその一言に俺は肝を冷やした。なにせ、今の今まで泉希から金銭的な要求をされたことなど無かったのだから。


「ボーナスって……いくらくらい?」


冷や汗を浮かべて尋ね返す俺に、泉希は首を左右に振った。かと思えば俺を店の外へと連れ出し、耳元に口を寄せて声を潜める。

 

 「次の日曜日にね、貴方と朝日向あさひな先生と、3人で食事に行きたいの」

「オフクロと?」

「うん。先生の御都合もあるから無理にとは言わないけど、一度貴方からお伺いを立ててくれない?」

「それは別に良いけど、突然どうした」


金銭的な要求で無かったことに安堵しつつ、腕組みしながら俺は首を傾げた。そんな俺の姿に、泉希は眉根を寄せて溜息を吐く。


「全然急じゃないわよ。貴方、薬局が無事だったコトとか、ちゃんと先生にお伝えしたの?」

「……あ」


そういえばオフクロにはまだ薬局のことを何も話していなかった。さくらの襲来があったり、火乃香ほのかと動物園に行ったりで、すっかり忘却の彼方だった。

 乾いた笑いを浮かべ頬を引き攣らせる俺に、泉希は「やっぱりね」と肩を竦める。


 「いくら先生が第一線を退かれたかって、社長であることに変わり無いんだから。そういう大事なことは真っ先に伝えるべきよ」

「……仰る通りで」

「その様子だと、桜葉さくらばさんのことも話してないんでしょ」

「……うん」

片桐かたぎりさんのことは?」

「……まったく」

羽鐘はがねさんと暮らしてることは?」

「……微塵とも」

「私とのことは?」

「……」


背中を丸めてモジモジと手遊びする俺に、泉希はジトリと鋭く睨み付ける。その視線がより一層と俺を縮こませた。


 「まあ仕方ないわね。色々とバタバタしてたし。取り敢えず、先生にアポイントを取って頂戴。私の方から先生にお伝えしてあげるから」

「了解しました!」


背筋をピンと伸ばし警察官みたいな敬礼で返せば、俺は事務所に上がってオフクロへ電話をかけた。

 今この場で「薬局は無事だったよ」などと言うと根掘り葉掘り聞かれそうなので、「泉希がメシ行こうって言ってるんだけど」とだけ伝えた。驚きながらもオフクロは二つ返事でOKしてくれた。

 

 「お店の予約とかは私に任せて。どうせ貴方じゃ『近所の居酒屋でええやん』とか言うでしょ」


「それの何がアカンねや」と心の中で愚痴りつつ、泉希の視線に気圧され彼女に任せることにした。


 そうして来たる日曜日。火乃香とアイちゃんには「オフクロと飯食ってくる」とだけ伝え、俺は足早に家を出た。

 アイちゃんは直ぐ快諾してくれたけど、火乃香は「折角の日曜日なのに」と不貞腐れていた。詫びの代わりになけなしの金を渡して、アイちゃんに火乃香を遊びに連れて行ってやるよう頼んだ。


 「私は桜葉さんに『用事があるから』って言って出てきたわ」

「ふーん。それで、さくらはなんて?」

「『自宅警備ならお任せください』って」

「アイツらしいな」


予約してくれた店が入っているホテル。その最寄り駅で待ち合わせた俺と泉希は、オフクロと合流してから店に向かった。


 「今日はありがとうね、泉希ちゃん」

「いえっ! こちらこそ、有難うございます!」


頬を赤らめ普段よりオクターブ高い声の泉希に反して、俺は口を真一文字に結ぶ。こんな良い店を選ぶだなんて、支払いの方が気になって味が分からん。

 そんな俺の不安とは裏腹に、話はスムーズに進んでいった。オフクロの方から「薬局の方はどう?」と漠然に切り出したのだ。

 俺と泉希は先日の出来事を洗いざらい話した。

 

 薬局が無事だったこと。

 借金を肩代わりしてくれた出資者がいること。

 アイちゃんは今俺の家に暮らしていること。

 さくらという後輩が押しかけて来たこと。

 今は薬剤師としてウチで働いてくれていること。

 彼女は親父のせいで記憶喪失になったこと。


 話を重ねるたび、オフクロは呆れた様子で「なんでもっと早く言わないのよアンタは」と怪訝な顔で釘を刺してきた。まあ、予想はしていたけれど。


 「ホンマありがとうね、泉希ちゃん。この子だけやったら、アタシに報告とか絶対せぇへんしかったやろし。ホンマ泉希ちゃんみたいなええ子他に居らんねんから、絶対手放したりしたらアカンで悠陽」

「わ、分かっとるわい」


フイとソッポを向いて、俺は誤魔化すようにお茶を啜った。泉希と付き合っていることは、なんとなくオフクロに知られたくない。


 「……朝日向先生!」


だがその時、隣に座る泉希が声を上げた。いったい何事かと俺もオフクロも泉希に意識を向ける。

 そして何かを覚悟したような表情で泉希は固唾を飲むや、真っ直ぐとオフクロを見つめ返した。


 「悠陽さんと……お付き合いさせて下さい!」




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


調剤薬局は診療所と違って営利法人だから、朝日向先生は代表取締役社長という職位になるの。因みに悠陽も取締役という役員よ。


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