第119話 俺と泉希とオフクロと③

 「――ただ、一個だけ条件飲んで貰える?」


オフクロの放ったその一言が、浮かれる俺と泉希みずきを緊張に包み込んだ。


「……条件?」


神妙な声と雰囲気に、俺は冷や汗を浮かべて尋ね返した。オフクロはコクリと小さく頷けば、張り詰める俺と泉希を交互に見遣った。


 「二人は、結婚とかは考えてるんよね?」


質問に質問で返され、俺と泉希は互いの顔を見合わせた。とはいえ返答に迷うことは無い。俺のはらはとうの昔に決まっている。


「俺は考えてる。いずれは泉希と結婚したい」

「わ、私も悠陽ゆうひさんと……結婚したいです……」


堂々と言い放つ俺に対し、泉希は顔を赤らめ上目遣いに答えた。オフクロは険しい顔のまま、また静かに首肯する。


 「せやな。職場の人間同士で付き合うんやったら結婚まで考えなアカンわな。で、結婚はいつ頃にする気なん?」

「あ……取りあえず、片桐かたぎりさんからの出資金を全額返済してからと考えています」

「それがええわ。知り合いが出してくれた言うても借金には変わらんしな。まずは身綺麗にせんと。他の従業員は、アンタら二人が結婚しよ思てることは知っとん?」

「いや。少なくとも俺は言ってない」

「私もです」

「ん、それは正しい判断や」


高慢な口振りでオフクロはマグロの刺身を食べた。同じメニューなのに、オフクロと泉希の食べ進んでている量が大違いだ。


「てかオカン。さっき言うてた条件てなんやねん」

「は? 今言うたやんか」


淡々と語るオフクロに反して、俺と泉希は互いの顔を見合わせながら小首を傾げた。


 「二人が恋人同士やいうこと、結婚するまで他の従業員に絶対バレたらアカンいうことや」


オフクロは温い茶を啜り横柄に言い放った。同時、俺と泉希に戦慄が走る。


「な、なんで?」

「当たり前やろ。二人が付き合おうてるてバレたら他の子ぉら店辞めるかもしれんやん。特に薬剤師は貴重やし、火乃香いう子ぉかて優秀なんやろ?」

「そらまぁ……」

「職場恋愛いうんは組織を崩壊させる。二人のことはアタシは認める。けど少なくともが成人して借金全部返して結婚決まるまでは、何がなんでも隠し通さなアカン!」

「いや、でもオフクロ。それは流石に無理――」

「何が無理なんよ。こんな簡単なことも出来へんねやったら、結婚なんてどっちみち無理や! ゴチャゴチャ言うようなら、この話は無しや!」


言葉を重ねるたび、オフクロはボルテージを上げていった。語気も荒らげ険しい様相を呈すオフクロに、俺達が反論など出来るはずもない。

  

 「分かりました先生。借金を返すまで……悠陽さんとの結婚が叶うまで、私たちの関係は他の皆には知られないようにします」

「泉希……」

「大丈夫。元々誰に言う気も無かったし、今の関係がギクシャクしたら仕事もやりにくいしね」

「ん、泉希ちゃんはよう分かってるわ。アンタもちょっとは見習わなアカンで」


然も自分の言葉が正義とばかり、オフクロは眉間に皺を寄せたまま俺を睨みつけた。

 自分が正しいと信じて疑わないうえ周りにもそれを押し付けてくるから、正直周りの人間は堪ったものじゃない。これくらい気丈でないと事業主は務まらないのかもしれないが……。


 「悠陽」

「……なんや」


厳めしい表情で睨みつけてくるオフクロに、俺も眉尻吊り上げ仏頂面で応える。俺に出来るささやかな抵抗だった。


 「アンタ、ホンマに泉希ちゃんのこと好きなんやろね」

「――っ!!」


流石にキレそうになった。いくらオフクロでも言って良いことと悪い事がある。

 俺は腰を上げて感情を発露しそうになった。だが隣に座る泉希が無言のまま俺の腕を引いていさめてくれた。

 俺は2度ほど深呼吸してから、静かにオフクロの険しい面を睨み返す。


「泉希はずっと俺を支えてくれた。その時から俺は泉希のことが好きやった。世界で一番やった。少なくとも泉希以上に結婚したい相手なんて、今の俺には居らん」

「……泉希ちゃんは?」


まるで品定めでもするかのよう、オフクロは静かに視線を動かした。泉希は少しだけ恥ずかしそうに視線を伏せる。


 「私は……ずっと、悠陽さんの事が好きでした。多分私の方が、彼の事を好きだと思います。気持ちを伝えてくれたのは悠陽さんからでしたけど、好きだって気持ちは私の方が大きいかもしれません」


そう言い終わるより先に、泉希の指先が俺に触れた。冷たく華奢なその手を取ると、俺達はテーブルの下で固く握り合った。


 オフクロには決して見ることのできない……俺と泉希の、確かな絆。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


朝日向調剤薬局は一応株式会社となっているけれど、その持ち株は全て朝日向先生がお持ちになられているわ。個人事業主にはよくある話ね。

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