第110話 火乃香とふたりで動物園①

 「――じゃあ、留守番をよろしくねアイちゃん」

「行ってきます、アイさん」

『どうぞお気をつけて、行ってらっしゃいませ』


翌日の日曜日。いつもより少しだけ洒落こんだ俺と火乃香ほのかを、スーツ姿のアイちゃんが恭しく見送ってくれた。

 外は汗ばむほどの陽気だが、空は透き通るように青く絶好の行楽日和だ。火乃香など鼻歌交じりで、如何にも「お出掛け前」という感じだ。


 お出掛けと言っても、今日の目的地は何の特別感も無いただの動物園なのだが。


 なぜ動物園に行くことになったかと言うと、話は昨夜に遡る。

 アイちゃんがウチに来たことで、火乃香はずっと御機嫌斜めだった。そこにトドメとばかり、俺がアイちゃんに背中を流してもらっていたことで火乃香の不満が一層と増したのだ。


 何度も「誤解だ」と頭を下げて弁解し少しだけ溜飲を下げてくれたが、アイちゃんを居候させる条件として、俺と二人で出掛けることを求められた。

 来たばかりのアイちゃんを残して遊びに行くのは正直気が引けたけど、『私ならば問題ありません』と承諾してくれたので御言葉に甘えた。

 薬剤師の人手不足問題もさくらが入職してくれることで解消されるし、薬局の買収騒ぎも一段落ついたからな。今日くらい羽を伸ばしてもバチは当たらないだろう。


「ていうか火乃香、えらくデカいバッグだな。なに入れてんだ」

「んー、内緒」


肩に掛けたトートバッグを一瞥すると、火乃香は悪戯っぽく微笑み返した。こんなに笑っている火乃香は久しぶりに見た気がする。今朝も早起きだったようだし、余程楽しみにしているのだろう。


 そうして自宅の最寄り駅から電車に揺られることおよそ1時間。俺たちは県内にある市立動物園にやって来た。

 一応全国的にも有名な動物園だが、子供ガキの頃から何度と訪れている俺にしてみればアトラクションの類も無い古寂れた施設という印象だ。周りはショッピングモールなんて気の利いたものもない。

 訪れている客も家族連れや子供ばかりで、水族館みたくカップルは少ない。まして良い歳をした兄妹など俺達の他に居ないだろう。


「本当にここで良かったのか。ここ遊べるモンも少ないし施設とかもボロっちいぞ」

「別に。わたしはどこでも良かったし」

「そうなん?」

「うん。兄貴と一緒なら、どこでも嬉しいから」


にっこりと愛らしい笑みを浮かべる火乃香に、俺は「げふぁっ!」と吹き出して膝を付いた。なんと可愛いことを言うんだ俺の義妹いもうとは! もう世界で一番かわいい。


 「あ、見てみて兄貴! あれ象だよゾウ!」


そんな義兄おれを華麗に無視スルーして早々と入場ゲートを潜った火乃香は、嬉々とした様子で立派な牙のアジアゾウを指差した。


 「すごーい、でっかーい」


小走り気味で近付くと、火乃香は爛々と眼を輝かせた。ゾウなんてどこの動物園にも居てそうなものだし、そこまでハシャぐほどのことだろうか。


 「ねぇ兄貴、次はなに見に行く?」

「なんでも良いよ。火乃香は何が見たいんだ」

「んーっと、ペンギン!」

「じゃあ、こっちの道だな」


記憶を辿りながら俺はペンギンのブースがある方へ足を踏み出した。だがその直後、火乃香が俺の服を摘まんで止めた。


「どうした、火乃香」

「手」

「ん?」

「手、繋いで」


どこか恥ずかしそうに言いながら、火乃香は俺の前に左手を差し出す。


「……この甘えん坊さんめ」


憎まれ口を叩きながら、俺は差し出された火乃香の手を握り返した。ひやりと冷たい女性らしい感触が、俺の心臓を少しだけ昂らせる。


 そうして手を繋いだまま、俺たちはペンギンの居る巨大水槽に到着した。水の中を気持ちよさそうに泳ぐ白黒鳥たちを、火乃香は真剣な表情で見つめている。


 「ねえ、兄貴」

「んー」

「わたし達って、今どう見えてるのかな」


言われて俺は水槽の向こうに居る俺達を見た。めかした格好で手を繋ぐ姿は、とても義兄妹きょうだいのそれではない。


 火乃香の意図することは分かる。だけど俺は何も答えなかった。答えてはいけないと思った。

 代わりに俺は、火乃香の手を強く握った。

 すると火乃香も指先に力を込めて応えてくれた。


 だけど水槽に映る火乃香の顔を……俺は見ることが出来なかった。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


髪の長さは4人の中で私が一番長いけれど、皆大体同じ位ね。羽鐘さんと火乃香ちゃんはストレート。私と桜葉さんは後ろ手に括ることが多いわ。




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