第109話 シャンプーが上手な美容院はカットもなんか素敵

 「――あ~~、疲れた……」


熱い湯船に浸かりながら、俺は大きな声で呟いた。ようやくと一人になれて、心と体の疲労を湯の中に溶かしていた矢先。


 『失礼いたします』


風呂場のドアが勢いよく開かれて、スッポンポンのアイちゃんが現れた。隠すことはおろか恥じらいもなく、堂々たる仁王立ちで。


「ちょっ……アイちゃん! なにして――」

『お背中を流しに参りました』


慌てふためく俺に反して淡々と答えながら、全裸のアイちゃんはそっと浴室に足を踏み入れた。

 漫画やアニメの世界から飛び出したような抜群のプロポーション。それを惜しげもなく晒し、彼女は俺の前に膝を付ける。


 『どうぞ、こちらにお掛けください』


100円ショップで買った安物のバスチェアを指差しながら、ぶるんと大きな胸を揺らすアイちゃんは湯船の中の俺を見遣った。


「いや、いいよそんなの!」

『ですが、朝日向あさひな店長は先ほどマッサージを御所望になられました』

「それはさっきまでの話で……」

『もしや、御迷惑でしたか』


表情こそ変わらないものの、アイちゃんはシュンと力無く項垂れた。その姿に俺は俺は「うっ」と言葉を詰まらせる。いけないと思いつつ、心のどこかでアイちゃんの御奉仕を期待している。

 

「……じゃあ、お願いします」

『承知いたしました。有難うございます、店長』


理性と欲望が脳内で競り合うも、結局誘惑に負けた俺はアイちゃんの提案を受け入れた。心なしか彼女の表情も綻んで見える。


「でも、裸は隠してね」

『畏まりました』


湯船から上がり、俺はハンドタオルで鼠径部そけいぶを隠しながらバスチェアに腰を降ろした。アイちゃんも体にタオルを巻いて俺の後ろに膝を付ける。


 『それでは、洗体を開始致します』


耳を撫でるような優しい声で、アイちゃんはスポンジを手に取り泡立てた。ひょっとすると洗ってくれるのかとも考えたが、流石にそれは妄想が過ぎたか。


 『失礼いたします』


ふわり、ボディソープの泡が背中に触れた。優しい手付きでスポンジを動かし、アイちゃんは俺の背中を撫でるよう洗ってくれる。


 『冷たくはありませんか』

「うん……大丈夫」

『力加減は如何でしょう』

「うん……大丈夫」


鼓膜を擽る甘い声に、脳味噌が痺れて何も考えられなくなる。そのままアイちゃんに身を委ねれば、背中から肩、腕、胸、腹へと手が伸びていった。


 『朝日向店長。これより下半身の洗浄に移行致しますので、恐れ入りますが腰に巻かれているタオルをお取り致します』

「ああ、うん……って、それはダメ!」


危うく大人のお風呂屋さんみたいになる所だった。火乃香ほのかも居るというのに流石にそれはマズイ。

 

 『では、洗髪へ移行致します』


言うと同時にアイちゃんはシャンプーを手に取り、掌に数回液を出して俺の頭に指を這わせた。閉じた瞼の奥で、シャコシャコと髪や頭皮を擦る音が優しく木霊する。


『痒い所などは御座いませんか』

「うん、気持ちいいよ。ありがとう」

『恐れ入ります』


狭い浴室に優しい声が響く。さっきのマッサージも相俟あいまって、つい寝落ちしてしまいそうだ。


 『時に朝日向店長』

「んー?」

『今後はどのようにお名前を御呼びすれば宜しいでしょうか』

「どのようにって?」

『さきほど申し上げた通り、私の所有権は既に朝日向店長へ移行されております。多くのオーナー様は所有時にAIVISアイヴィスに自身の呼び名を設定致します』

「それはつまり、俺がアイちゃんにどう呼ばれたいかってことね」

『はい』


相変わらずの無表情で、アイちゃんはコクリと一つ頷いた。

 自分の呼び名なんて考えもしなかったけど、自宅で『店長』なんて呼ばれるのも堅苦しいな。


「けどまあ、別に何でも良いよ。アイちゃんの好きに呼んでくれれば」

『承知しました。では暫定的に「悠陽ゆうひ様」と御呼びさせて頂きます』

「様付けか……それはなんか違うかな」


薄い笑みを浮かべながら答えると、アイちゃんは俺の頭から指を手を離してシャワーノズルを取った。


 『泡をお流しします』


放水の音に紛れてアイちゃんの声が聞こえた。温度も水圧も丁度いい具合で、全身についた泡を洗い流していく。


 『店長は敬称が御嫌いですか』

「うん。なんというか仰々しくて」

『左様ですか。では次点候補の「坊ちゃま」または「ダーリン」であればどちらが宜しいでしょうか』

「いやもっと他に呼び方あるでしょ」


冗談ぽく笑いながら、俺は横目にアイちゃんを振り返った。だがその瞬間、俺の笑顔は消えてしまう。なにせ脱衣所から、火乃香が般若の如き形相でこちらを覗いているのだから。


「……なにしてンの、兄貴」


低くドスの効いた義妹の声に、俺は弁解すべく咄嗟に立ち上がった。と同時に腰のタオルが取れて俺の股間が露になる。


「……」

「……」


一糸纏わぬ俺の姿に火乃香は頬を赤く染めた。だが視線を逸らそうともせず、上から下までまじまじと凝視する。


「……兄貴のって、大きい方なの?」

「そんなこと聞くんじゃありません!」




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


薬剤師をはじめ、医療に携わる人間は学生の頃からデリケートな部分を目にすることが多いわ。だからかは割と慣れっこな人も多いの。

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