第39話 バラの花束とかプレゼントしてみたいけど花屋さんに『うわー、コイツこの顔でバラとかー』なんて思われるのが恐怖すぎる
泉希は辺りを見回して「あの席が空いているわ」と
辛うじて二人が座れる程度の狭いスペース。俺と泉希は体を寄せ合うようシートに腰掛けた。
ただでさえ窮屈だというのに、泉希は半身を押し付けるよう俺の方へ身体を寄せてくる。仕事中も妙に距離感の近い時があるけれど、もしかしてパーソナルスペースが極端に狭いのだろうか。
泉希が入社した当時は、体を密着させるどころか見えない壁のようなものがあったからな。こんなに距離感を縮めてくれたのはいつの頃からだろう。
まあ、そのおかげで以前に泉希が熱を出した時も背負って運ぶことが出来たわけだが。流石の俺でも見えない壁ごと彼女は背負えないし。
そんな経験の豊富な俺だ。椅子に並んで座るくらい今更どうということもない……ことは無かった。
髪を降ろして服装も普段と違うせいか、今日の泉希は別人のように見えて、心臓がイヤにドキドキする。触れ合う肩や腕から、この
「昨日あれからも調べたんだけど、この水族館の近くに美味しいオムライスのお店があってね――」
だがそんな俺に追い討ちを掛けるよう、泉希は満面の笑みでホームページ画面を見せてくる。前屈みになった彼女の首元から、チラリと水色の下着が覗き見えた。
俺は咄嗟に顔を逸らした。だが腕から伝わる泉希の温もりや肌の柔らかさ、鼻腔を
そうして得も言われぬ浮遊感と緊張感に包まれながら、気付けば乗り換えを終えて目的の水族館前に到着していた。
「
キョロキョロと辺りを見渡し、泉希はアイちゃんと
連休でもないのに入場口前は多くの客で賑わいを見せている。この人混みから二人を探し出すのは骨が折れそうだ。二人は現地集合らしいから、恐らくゲート前のこの辺で待ち合わせているだろうけど。
「あっ、もしかしてあれ、岩永さんじゃない?」
「ほら」と言葉を繋げて、泉希は入場ゲート付近にある街頭時計を指差した。見れば柱に寄り掛かるよう岩永君が立っている。
スタイリッシュな長身を包むのは、品と清潔感が漂う落ち着いた装い。細身のチノパンに白いシャツ、黒いカーディガンという無難極まりない装いなのに、岩永君が着ると超絶格好良く見えてしまう。空腹が最高の調味料であるように、イケメンとは最高のオシャレアイテムなのだろう。
「彼の事だから、もう二人分のチケットは買ってるでしょうね。私達も窓口に行きましょう」
イケメン岩永君の立ち姿に見惚れるかと思いきや、泉希はアッサリと販売窓口へ向かった。何故に岩永君がチケットを買っていると分かるんだ?
「あ、昨日はランチを奢ってもらったし、ここは私が出すから」
「マジか。ありがとう」
「その代わり、今日の食事代も貴方持ちだからね」
白い歯を見せニコッと笑う泉希とは打って変わって、俺はすかさず頭の中の計算機を叩いた。どこで食事をする気か知らないが、昨日のランチと合算すればトントンくらいか。もしも晩飯まで食べて帰る気なら、確実に予算オーバーだ!!
恐ろしい未来予想図に
けれど鼻歌交じりで微笑む泉希の横顔に、言葉は喉の奥に引っ込んでしまう。どころか急に金の事なんてどうでも良くなってしまった。
経営者として金勘定を放棄するのは如何なものかと思うけど、今日くらいは……まあいっか。
そうしてチケットを購入するも、俺達はまだ館内に入らず岩永君の様子を遠巻きに見ていた。俺達がここに来た時から居たということは、彼は一体いつからあの場所で待っていたのだろう。
「しかし岩永君もアレだな。初デートに花束の一つも持ってこないなんて……まだまだ彼も若いな」
「馬鹿ね。初デートにそんなモノ持ってこられた日には即帰宅よ」
「うそっ、女の人って花とか好きやん!」
「アンコンシャス・バイアスの典型文みたいなこと言うわね。まあ確かに花を贈られたら嬉しいけど、絶対に今じゃないわよ」
「なしてそげなこと言えるだ」
「花束なんて
「あ……にゃるほど」
自分のデートプランが間違いであったことに衝撃を受けつつ、俺は尚も岩永君の観察を続けた。
そうして時刻が約束の午前10時を迎える直前、岩永君の表情が驚愕に変わった。
恐らくアイちゃんが到着したのだろう。約束した時間通りに到着するあたり、アイちゃんは平常運転らしいな……なんて思ったのも束の間。
現れたアイちゃんの姿に、俺は開いた口を塞ぐことが出来ないでいた。
-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------
アンコンシャス・バイアスとは「無意識の思い込みや偏見」のことよ。年齢や性別、国籍、など表面的な情報から相手を決めつけるのはNGってコトね。
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