第38話 小洒落たランチと聞いてパスタくらいしか思い浮かばないのは私だけではないと思います

 たゆねさんから【好感度を測定できる眼鏡】と謎の薬を預かった後、俺はカフェの前で泉希みずきに出くわした。

 偶然なのか俺の後を付けてきたのかは分からないけれど、話の流れから近くの洋風レストランで昼メシを食うことになった。

 

 ウチの薬局があるこの町は、繁華街でもオフィス街でもない片田舎の住宅街。だというのにランチで1000円以上も取る小洒落た雰囲気を醸す店で、俺と泉希はパスタセットを注文した。


 もちろん、俺の奢りだ。


 ちなみについ先程まで泣きべそを搔いていた泉希お嬢様は、今は鼻歌交じりでペペロンチーノに舌鼓を打っておられる。

 ただこの昼食会は明日の打ち合わせという名目のはずなのに、俺が明日の話を始めると、泉希は口籠ったり視線を逸らしたりで中々話が進まなかった。

 おまけに「前に行けなかった水族館のチケットが残ってるからアレを使おう」と提案すると、泉希はテーブルに身を乗り出して俺を睨みつけて、


 「あのチケットは絶対使わないから! どうしても使うって言うなら、私仕事辞めるからね!」


半ば脅迫とも思える勢いで反論してきた。チケットを使えばひとり2千円以上する入館料が無料になるのに、これを使わない手はないと思うのだが……。

 とはいえ泉希に辞められても困る。俺は頭の中で今月の生活費を計算し、断腸の思いで『使わない』という意志を受け入れた。

 

 水族館のホームページを見ながら、アイちゃん達はどの順路で見て回るのか。館内で食事するつもりなのか。ペンギンの餌やりは見るだろうが、バックヤードツアーまでは参加しないか……そんなことを話し合った。


 一時間ほどレストランの中で打ち合わせをしたが、これ以上の長居は店迷惑になるからと店を出た。

 泉希は「まだ打ち合わせが必要だ」と言って先程のカフェへ行こうと提案した。

 だけどさっきのこともあるし、何よりこれ以上金を使いたくない。俺は「他の相談内容はメッセージで送ってくれよ」と告げて駅前で泉希と別れた。


 帰宅し携帯電話を確認すると、大量のメッセージが泉希から届いていた。明日の件に関する物が半分ほどで、もう半分は俺とたゆねさんが本当に交際をしていないのかという再確認だった。

 それらに返事をするだけでも1時間以上掛かってしまい、こんな事ならカフェにでも行っておけば良かったかな、と少しだけ後悔した。



 ◇◇◇



 翌日、日曜日。俺と泉希は薬局近くの駅で待ち合わせをしていた。場所も時間も前回と全く同じだ。あの時は泉希の体調不良で御破産になったけど。

 そのせいか、俺の脳裏には前回と同様に『泉希は体調を崩しているのではないか』という一抹の不安が過ぎってしまう。暗雲を胸に抱きつつ、俺は約束の10分前に駅の改札前へと到着した。


 「あっ! 悠陽ゆうひ!」


聞こえてきたのは泉希の明るい声。どうやら今日は万全の体調らしい。

 ほっと安堵の息を吐いて、俺は声の方へと視線を向けた、その瞬間。俺の胸に募る不安は根刮ぎ刈り取られた。


 なにせ今日の泉希は、見違えるほどに綺麗なのだから。


 今まで一度も見たことのないスカート姿で、肩には小さなアウターを羽織っている。髪型もいつもの後ろ手に括った形でなくストレートに流して。

 その装いとはにかんだ笑顔に、俺は思わず見惚れてしまう。

 

 「悠陽? どうしたの、顔が赤いわよ?」


惚け立ち尽くす俺の元に、泉希は小走りで近寄ると不思議そうに顔を覗き込む。長い髪をかきあげ上目遣いに見つめる仕草と、いつもより気合いの入ったメイクが一段と可愛くて、俺は恥かしさに顔を逸らした。


「べ、別に! なんでもない!」

「そう? ならいいけど……あ、もうすぐ電車が来るわ。早く行きましょう」

「あ、おい泉希!」


小走りに改札へ向かう泉希を追いかければ、彼女は悪戯っぽく微笑み返した。その笑顔にキュッ……と胸を締め付けられるような痛みを覚えながら、俺と泉希はホームへと向かった。


 今回は遊びではなくアイちゃんを見守る為の尾行だ。けれどまるでデートのような雰囲気に、俺の口元も意図せず緩んでしまった。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


今更だけれど調剤薬局はれっきとした医療機関よ。でもその実、調剤薬局は病院と違って『小売業』に分類されるの。どこか釈然としないわよね。

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