第90話 水城泉希(水)②
「これから宜しくお願いします。みずきさん」
まるで太陽みたいに明るい笑顔で、悠陽は私に握手を求めた。けれど私は差し出されたその手に応じず、つっけんどんに顔を背けた。
「私の苗字は『
「あっ、すみません。間違えちゃいました」
あっけらかんと照れ笑いを浮かべて謝る彼に、私は「フンッ!」と鼻を鳴らして突き撥ねた。
私は悠陽が嫌いだった。大嫌いだった。
そうして第一印象は最悪のまま、朝日向調剤薬局での仕事が始まった。
今度こそきっと上手くいくはずだ。大した根拠も無く私はそう思っていた。でも、結果的にこの店でも同じような状況だった。
薬剤師は全員40歳オーバーの女性。中には70近い人も居た。明らかに私は浮いていた。しかも職員は皆パート雇用にも関わらず、私だけが正社員登用だったから。朝日向先生が入職前に上手く説明して下さったようけど、職員は誰も良く思っていなかった。当然だと思う。
無視や嫌がらせなんて日常茶飯事だった。朝日向先生が居らっしゃる時は落ち着いていたのに、先生が身体を壊して休みがちになると、古株の薬剤師が
(また、辞めなきゃいけないのかな……)
そんな事を考えながら、私は業務終わりに1人で店の片づけをしていた。社員だからという理由で清掃や雑務を全て押し付けられていたから。
「お疲れ様ですみずきさん。いつも遅くまで有難うございます」
そんな私に、悠陽だけはずっと声を掛けてくれた。朝日向先生以外に、彼だけが私のことを
「私の苗字は水城です」
「あ、すみません。ところで甘いのと苦いの、どっちが良いですか?」
笑みを崩さず言いながら悠陽は缶珈琲を二つ私に差し向けた。私は相変わらずの仏頂面で「どうも」とだけ言い、カフェオレを受け取った。本当に失礼な態度だと思う。仮にも悠陽はこの薬局の店長なのだから。
「困った事があったら何でも僕に言ってください。頼りないかもですけど、出来る限り力になりますから」
それでも悠陽は、そんな私のことをいつも気に掛けてくれた。
でも、それこそが何よりも腹立たしかった。裕福な家庭で何不自由なく育ったボンボンが、薄っぺらい言葉を投げかけているだけだと思った。
聞けば彼は3浪もした上、せっかく入った薬学部を辞めたという。私は悠陽という人間を上辺だけで見下していた。
「わたし、水城さんと仕事するの嫌だわ~」
「分かる分かる。なんかお高く止まってさ。何様のつもりなんかな、あの態度」
けれどそんな私の汚れた心を映し出すように、私も他の従業員たちから見下され馬鹿にされていた。
「なんか、ウチ来た時に『社員じゃないと入社しない』とか言ってたらしいで~」
「うわー、最近の若い子ってそーよねー。年功序列とか、目上の人間を敬う気持ちが欠けてるのよね」
「そうそう。辛気臭いし目付き悪いし。一緒に居てるとホント息詰まるわ~」
「ほんとそれー。しかも、なんか聞いたら母子家庭で育ったらしいし。マトモな家庭環境じゃないからあんなになったんよねー」
私が聞いているのを知ってか知らず、彼女達は嬉々として私の文句を並べて行った。有ること無いこと憂さ晴らしのように。
「いい加減にしてください!」
するとどうだろう。彼は皆の前に飛び出し、
「彼女が何をしたって言うんです! 水城さんは毎日仕事を頑張ってくれてます! それも誰より一生懸命に! 少し奥手で自分を出すのが苦手なのかもしれないけど、それをフォローしてあげるのは僕や皆さんの役目でしょう!」
普段温厚な……大人しくて頼りない印象の彼だっただけに、皆は度肝を抜かれたように静まり返った。
「家庭環境が何ですか! どんな家庭環境であっても、その人自身を否定する理由にはなりません! 少なくとも僕は今薬剤師として頑張っている彼女を心から尊敬しています!」
私も他の従業員らも、その悠陽の変わり様に呆気にとられてしまった。そんな私達を尻目に、彼は踵を返して私だけをその場から連れ出した。
私の腕を掴む彼の手はとても強くて温かかった。
それから私は彼に缶珈琲を奢って貰った。
けれど私はすごくドキドキしていて……味なんて分からなかった。
-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------
薬局をはじめ医療現場にはお局様という感じの年配女性が幅を利かせていることが多いわ。女性の多い業界だから仕方のないことかもだけど。
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