第88話 だって貴方は、私の太陽だから

 「――私と、結婚して」


あまりにも意外で唐突な言葉に、俺は「へっ?」と間抜けな声と表情を返すことしか出来なかった。

 そんな俺に反して、泉希みずきの表情は真剣そのもの。俺を揶揄からかっていたり、冗談を言っている雰囲気ではない。それが証拠に、彼女の頬は紅潮し手も小刻みに震えている。


 こんな状況でなければ、諸手もろてを挙げて喜んでいただろう。なにせ大好きな女性に想いを告げられたのだから。

 けれど今は、喜び以上に『何故このタイミングで切り出すのか』という疑念が胸の中で渦を巻く。

 もしかすると何か深い考えがあっての事かもしれない。だが混乱する頭では考えが回らない。心臓は加速し、苦々しい笑みを浮かべる事しか出来なかった。


「はは……ど、どうしたんだよ泉希。いったい何の冗談だよ、お前らしくない……」

「冗談なんかじゃないわ」


誤魔化すように頬を引きらせた俺に反して、泉希は真剣味あふれる声で首を振る。


 「貴方が羽鐘はがねさんのことを本当に大切に想ってる事は知ってる。私だって彼女を廃棄処分なんかにはしたくない。だけど薬局を売れば一時的にも収入が途絶える。そうすれば今度は火乃香ちゃんの後見人資格を失うかもしれないわ」

「それは……」

「でも、私と貴方が結婚すれば所得が合算になる。それに後見人制度も一人暮らしの男性より夫婦の方が継続しやすいはずよ」


流れるような泉希の言葉に、俺の身体は落雷のような衝撃に貫かれた。

 確かにその方法ならアイちゃんを買い取れるし、誰かを失うこともない。この店は手放すことになるけれど泉希とも一緒に居られる。

 少なくとも俺の選択肢では泉希と一緒に居られる可能性はほぼゼロだった。それだけでも彼女の提案には大きなメリットがある。もしかすると、これが最適解なのだろうか。違う意味でのドキドキが、俺の胸を躍らせる。


「でも泉希。そんな政略結婚みたいな真似……」

「分かってる。別に『一生一緒に居てくれ』なんて言わない。私とは一時だけの仮の夫婦で構わない。火乃香ちゃんが成人したら離婚してくれてもいい。ただ、一つだけ約束して欲しいの」

「約束……?」


眉根を寄せて尋ね返せば、泉希は赤らんだ頬のままコクリと頷いて応えた。


 「もしも私と仮の結婚をすることになって、何年か後に仮の夫婦生活が終わったとしても……今までと同じように、貴方の傍に居させて欲しい」


少しだけ視線を伏せたまま、泉希は笑みも浮かべず真剣に言葉を並べる。その声と表情が、彼女の想いを表しているかのよう。


 「でも、勘違いはしないで。貴方や羽鐘さん達のために自分を犠牲にしてる訳じゃないから。全ては私の意思。ただ貴方の役に立ちたい。貴方にはくらい顔をしてほしくない。ただ貴方と……一緒に居たいだけだから」


心なしか面映おもはゆく、なのにどこか嬉しそうに微笑む泉希に、俺の胸に押し寄せる鼓動の波は徐々に勢いを増していく。


「泉希……どうして、そんな……」


見えているのに見えないような、手を伸ばせば届くのに遠い。そんな不思議な感覚に見舞われて、俺は戦慄せんりつしながら問いかける。

 すると泉希はゆっくりと視線を上げて、桜色の頬に柔和な笑みを浮かべた。


 「だって貴方は、私の太陽だから」


それは今まで見たことも無いほど、優しく穏やかな笑顔だった。まるで美しい森の中にキラキラと輝く神秘の泉。


 俺は改めて……水城みずしろ泉希みずきに心を奪われた。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


悠陽は諦めているようだけど、20代後半ならたとえ資格やキャリアが無くても挽回できるわ。というかヤル気さえあれば年齢なんて関係ないわよ!

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