第84話 アイちゃんと倒産

 『大変申し訳ございませんが、御社との派遣契約を終了させて頂きます』

「……えっ?」


突然のアイちゃんの申し出に、俺は間抜けに開いた口を塞げずに居た。バクバクと拍動する心音を感じながら、俺は不安げに彼女を見つめ返す。


「それってつまり、ウチを辞めるってこと?」

『端的に申し上げれば、そうなります』


動揺を露にする俺と違い、アイちゃんは相変わらず冷静そのもの。あまりの温度差に視界が揺らぐ。


 「ちょっと待って!」


そんな俺をフォローするように、受付にいた泉希が会話に加わった。だがそんな彼女の表情にも焦りの色が伺える。


 「一体どうしたの羽鐘はがねさん、そんな唐突に!」

『唐突では御座いません。契約書に基づき契約解除の30日以上前にお伝えさせて頂いております』

「そういう事じゃなくて、なんで辞めちゃうか理由を聞きたいの! やっぱり悠陽ゆうひのせい? コイツのセクハラが原因なのよね?!」

『いえ、それは有り得ません。以前にも申し上げましたが、AIVISアイヴィスである私にハラスメント行為は適応されません』


真正面から否定してくれて、先ずはホッと安堵に胸を撫で下ろす。ただ、辞める理由が俺のセクハラだと頭ごなしに決めつける泉希はどうかと思うけど。


 「悠陽が原因じゃないなら、どうして?」

『申し訳ございません。それを私から申し上げることは規則に抵触いたします。明日、弊社の営業担当が参りますので、その際にお伝えさせて頂きます』


 相変わらず無表情ながら、どことなく申し訳なさそうにアイちゃんは頭を下げた。その後は俺も泉希も何を尋ねることすら出来ず、ただモヤモヤとした感覚だけが胸に積もって……。



 ◇◇◇



 翌日木曜日。アイちゃんが予告した通り、彼女の所属する派遣会社の営業担当の女性が店を訪れた。


 「いつもお世話になっております。平素は羽鐘はがねを御利用くださり誠にありがとうございます」


午前診察を終えて間もないタイミングだったので、俺と泉希は待合室に女性を迎え入れた。街でもそう見かけないレベルの恰幅かっぷくの良さで、女性は俺達の対面へと腰を降ろした。傍には当然のようにアイちゃんを立たせて。


「単刀直入にお伺いします。どうしてアイちゃ……羽鐘さんとの派遣契約が打ち切られるんですか」


一方的な契約の打ち切りと女性営業の振舞いに、俺は語気を強めて尋ねた。すると営業の女性は嫌味な笑みを口端くちはに浮かべる。


 「率直に申し上げますと、お恥ずかしながら先日弊社の倒産が決定致しまして」

「倒産、ですか?」

「ええ。それ故に御迷惑と存じますが、次回の契約更新は出来かねるのです。何卒なにとぞご容赦ください」


口ではそう言いつつ悪びれる様子は無く会釈すらない営業担当に、俺の苛立ちは増々と募る。眉を吊り上げ押し黙る俺を見兼ねたか、隣の泉希が前傾姿勢をとった。


 「あの、聞いても良いですか」

「なんでしょうか、水城みずしろ先生」

「倒産ということは、御社の従業員は?」

「残念ながら解雇という形になります」

「じゃあ、羽鐘さんも?」

「いえ。羽鐘は弊社の所有するAIVIS。解雇ではなく資産償却しさんしょうきゃく……即ち売却処分渡となります」


売却処分。つまりアイちゃんは他所よその会社に売られるということか。

 確かに彼女はAIVISというアンドロイドだ。人間でないのは事実。でも俺には、どうしても人身売買のように思えてならなかった。

 膝の上で握る拳が力の行き場を失って、俺の身体を小刻みに震わせる。


「なんとか……ならないんですか」

「申し訳ございません。羽鐘を御愛顧くださった事には御礼を申し上げます。ですがこれは決定事項で御座いますので」


取り付く島も無い物言いに、泉希は当惑した様子でアイちゃんを見た。俺もまた、真顔で佇立する彼女に視線を向けた。


 「ですが」


直後、担当営業がポツリと言い放った。俺と泉希の意識はそちらに向けられる。


 「ですがお客様は羽鐘に『アイちゃん』と愛称も付けて御愛顧いただいておる様子です。私としても羽鐘を下取りに出すのは忍びないので、ひとつ代替案を提示させて頂いても宜しいでしょうか」

「代替案?」

「ええ。御社が羽鐘を御買取り頂くという案です」

「買い取り……ですか」

「はい。弊社は資産整理のひとつとして羽鐘を売却する意向です。故に御社が羽鐘をお買い上げ頂けるのであれば、弊社は何の問題も御座いません」


そんな俺の反応も想定の範囲だと言わんばかりに、営業の女性は言葉を並べていく。だが整然とした声を聞くたび俺の感情が掻き乱され、とうとう怒りが沸点を迎えた。


「ちょっと待って下さい。さっきから買うだの売るだの、そんな言い方――」

「悠陽」


思わず怒りに身を任せそうになる俺を、泉希の声が止めてくれた。苛立つ俺に代わって、今度は彼女が営業女性と向かい合う。


 「すみません、話を戻します。もし仮に羽鐘さんを買い取るとしたら、いくらくらい必要なんです」

「およお2500万円です」

「「にせっ……!」」


俺と泉希は揃って声を跳ね上げた。そんな大金、俺に払えるはずがない。個人は当然、資本金500万円の小さな薬局に、そんな大金がプールされているはずも無い。仮にあったとしてもそれは運営資金。使えばどの道この店は終わりだ。

 それを理解しているのだろう。冷静だった泉希も目を丸めている。何故かアイちゃんも自身の営業の女性をじっと見つめて。


 冷たく張り詰めるような空気が、静寂の中に俺達を包み込んだ。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


派遣社員が派遣元と契約の話をするのはNGなことが多いわ。因みに「御社の〇〇さんに来て欲しいんですけど」など個人を指定するのもダメなの。

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