第83話 あの子俺のこと好きだよねとか思ってもイザ違った時のことを考えたら怖くて何も出来ない定期

 「――ということがあったんですよ」

「ふぅん。あのAIVISアイヴィスちゃんがねぇ」


自然公園のデートから2週間ほど経った日のこと。昼の休憩時間中に、俺はいつものカフェでたゆねさんに公園デートの一件を相談した。

 今回は処方箋を持ってきたのではなく俺から連絡を入れた。あの日のアイちゃんの変貌ぶりがひどく気になったからだ。


 あの後、自然公園でベロベロに酔っぱらった泉希みずきは、俺の肩にもたれ掛かり寝入ってしまった。起こすのは忍びなくて、アイちゃんがしてくれたように俺も泉希の体を横たわらせ膝枕をした。

 水を買いに行った火乃香ほのかとアイちゃんが戻ってきても、泉希は起きることなく爆睡モードだった。そんな彼女を気遣ってか、火乃香はアイちゃんに「園内散策をしよう」と声を掛けた。アイちゃんも二つ返事で了解し、二人は並んで出かけた。

 残された俺は膝の上でスヤスヤと眠る泉希の顔をずっと見ていた。時々思い出したように「アホ」「バカ店長」などと本物の寝言を口走るので、そのたびに柔らかい頬を突いてやった。

 閉園時間の間際まで寝ていた泉希は、寝惚け眼に千鳥足と見事なまでにフラフラで、俺とアイちゃんに介助されながら帰宅した。酒が弱いと分かってるのに、どうして潰れるまで飲むのか。


 『私は水城みずしろ先生を御自宅まで御送りし、その後に帰社致します』

「あ、わたしも行く。兄貴はコレ買って先に帰っておいて」


そう言って火乃香に渡されたのは、米やら味噌やら牛乳やら書かれたメモ書きだった。御丁寧に品種やメーカーまで明記されている。


「わかった。じゃあ泉希のこと頼むな」

 

泉希を肩に抱える二人を見送り、俺は火乃香指定の業務用スーパーでメモ通りの食材を買って帰った。10kg以上の買い物袋を提げて帰宅した時、なんとなく罰を受けているような気分になったが……。



 ◇◇◇



 「――そういう、AIVISが人間みたいになる事例って他にあるんですか?」

「うーん、私は聞いたことが無いね。人間みたいに感情を表現するプログラムならあるけど。知り合いの専門職に今度聞いておくよ」

「ありがとうございます」

「なに。面白い話を聞かせてくれる御礼さ。ところで、その薬剤師さんも不憫だね」

「なにがですか」

「だって考えてもみなよ。君を好いているだけに、キスの現場なんて目撃したら地獄へつき落とされた気持ちだろう」

「……えっ」


ピタリ、俺は持ち上げた珈琲カップの手を止めた。


 「なに?」

「いや、泉希が俺のこと好きって、本当ですか?」


呆気に取られながら尋ねると、たゆねさんはカフェラテを飲みながら意外そうに目を丸める。


 「そりゃあそうだろう。話を聞いてる限りじゃ、彼女は確実に君に惚れてるよね」

「や、やっぱりそうですか!?」


テーブルに身を乗り出して聞き返せば、たゆねさんは「ふぅん」と鼻から声を漏らしニヤリと笑った。


 「その様子だと、君もその薬剤師さんが好きみたいだね。てっきりAIVISアイヴィスちゃんのことが好きなのかと思ってたけど」

「アイちゃんのことも勿論好きですよ。もし泉希がウチの店で働いてなかったら、俺はアイちゃんを受け入れてたと思います。だけど泉希は、俺にとって本当に特別な存在だから」

「だったら『好きだ』と伝えればいいだろうに」

「そう簡単にはいかないスよ。俺は経営者で、泉希は従業員ですから」

「コンプライアンス上の問題かい?」

「それもありますけど、もし俺と泉希が恋人関係になった後、何かの拍子で別れることがあれば仕事は気まずくなる。そしたら最悪、泉希はウチを辞めるかもしれないですから」

「ふむ……なるほどね」


どことなく気の抜けた返事で、たゆねさんはラテのカップを傾けた。


 「だけど、いつまでも手をこまねいていると、本当に彼女を失うことになるかもよ」

「どうしてですか」

「だって、他に良い男がそっちになびくかもしれないじゃない、今は君が好きかもしれないけど、人の心なんて簡単に変わるものだから。そうなると寿ことぶき退社とかも考えられるよね」

「……あ」


瞬間、俺は凍りついたように身体を硬直させた。

 たゆねさんの言う通り、ウチの薬局に来る患者様の中にも、「可愛い」とか「綺麗な先生だ」と泉希を気にいる声を聞く。


 「彼女だって子供じゃないんだ。美人だし薬剤師というステータスもある。そんな女をいつまでも他の男が放っておかないだろう」

「あ……」

「ま、心配なら自分の気持ちに素直になることさ。どうしたって足を踏みださなきゃ何も変わることは無いんだから。まあ、くれぐれも後悔だけはしないようにね」


軽妙に笑い大人びた雰囲気を醸しながら、軽く手を振りたゆねさんは店を後にした。

 俺もすぐカフェを出て薬局へ戻った。その道中、たゆねさんの「後悔しないように」という言葉が頭の中で何度もリピートされた。

 だが考えれば考えるほど、俺から泉希に告白するのは気が引けていった。万が一泉希に嫌われて薬局を辞められては、冗談を抜きにして店を閉めなくてはならない。

 とりあえず、新しく薬剤師を採用できるまでこの件は保留にしておこう。

 そんなことを考えながら店に戻れば、アイちゃんが黙々と薬の整理をしていた。ナイスバディな後ろ姿に見惚れていると、彼女は突然と振り返り俺の前に立った。


 『お忙しいところを恐れ入ります、朝日向あさひな店長。少々お時間を宜しいでしょうか』

「ああ、いいよ。どうしたのアイちゃん」


相変わらず無表情のアイちゃんに、俺は平静と尋ね返した。いつもなら何を言われるのかと戦々恐々だけど、公園デートのお誘いも同じように言われたからな。今回も悪いしらせではないだろう。そうタカを括っていた矢先。


『大変恐れ入りますが、来月をもって御社との派遣契約を終了させて頂きます』

「……えっ?」


天地がひっくり返ったかと思う衝撃が、俺の全身を貫いた。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


病院と調剤薬局は特定の利害関係にあってはならないの。派遣社員も同様で、派遣先と派遣社員が特別な利害関係を構築するのは原則NGよ。

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