第75話 火乃香と泉希のお留守番② ~キキちゃんも一緒~

 「――それに、あんなバカを好きになった変わり者同士だから。私たち」


冗談っぽく言いながら、泉希みずきさんは頬を桜色に染めつつ笑いかけてくれた。

 するとなぜだろう。わたしの目から熱い水が溢れて、握り交わした手の上にポタリと落ちた。


 「火乃香ほのかちゃんも本当に悠陽ゆうひが……お義兄にいさんのことが大好きなのね」


ポロポロと涙を流すわたしに、泉希さんは優しい声で微笑みかけてくへる。その声と仕草が、わたしの涙を一層と加速させた。

 だけど泣いている顔は見せたくない。わたしは握られた手を解いて、おもむろに立ち上がった。


 「火乃香ちゃん?」

「すみません……少し、喉が渇いて」


泉希さんから逃げるように、覚束ない足取りのままわたしはキッチンへ向かった。

 本当は喉なんて乾いてない。でも何か飲まないと、泉希さんに余計な誤解を与えてしまう。わたしは冷蔵庫の中を見回した。


 「あ……」


ドアポケットの栄養ドリンクを見つけた。これなら量も少ないし体にも良いはずだ。

 数本あるうちの一本を手に取り、わたしはグイッと一気に飲み干す。美味しくはない。

 けれど直後、全身が心地よい感覚に包まれて、胸のつかえが取れたような気がした。気持ちが軽い。

 栄養ドリンクなんて初めて飲んだけど、こんなに効果があるとは思わなかった。

 全身に刺さる棘が抜かれたように、わたしは足取り軽くベッドへ戻るった。


 「ごめんなさい、泉希さん」


するとどうしたことだろう。床に座ったままの泉希さんへ向かって、わたしは深く頭を下げた。

 自分でも意味が分からない。突然溢れるように口から言葉が飛び出した。泉希さんはキョトンと呆気に取られている。それ以上に、わたしは内心驚いた。


 「今まで冷たくしてゴメンなさい。ホントは泉希さんの事が羨ましかった。頭が良くて美人で、良いトコのお嬢様なんだろうって嫉妬してた。おまけにお義兄にいちゃんに好かれてて、すごく悔しかった」

「おに……え? ちょ、どうしたの火乃香ちゃん」


引き笑いを浮かべ動揺する泉希さんの前で、わたしは肩を落として顔を伏せる。


「わたし、本当は泉希さんとも仲良くしたいです。だけど、お義兄ちゃんが盗られると思って、すごく怖かったの! わたしにはもう、お義兄ちゃんしか居ないから……お義兄ちゃんのこと、本当に大好きだから!」


本心だった。心の奥底に押し込んでいた紛れもないわたしの本音。だけど声に出すのが怖くて、必死に隠していた。

 そんなわたしの変わり様に驚きつつ、泉希さんは優しく頭を撫でてくれた。


 「その気持ち、私もすごく分かる」


穏やかな波のような声。泉希さんは微笑みながら「隣、座ってもいい?」と尋ねた。

 コクリと頷いて応えれば、彼女は「ありがとう」とベッドに腰を降ろした。


 「悠陽って、本当に太陽みたいな男性ヒトよね。バカみたいに明るくて真っすぐで、時々暑苦しくて鬱陶しくなるけど。スケベだし抜けてる所も多いし、お調子者のくせ変に頑固なところもあって。一緒に仕事をしてるとウンザリすることも多いわ」


溜め息混じりに泉希さんは肩をすかした。こんなに悪口を言うなんて、本当に義兄の事が好きなのだろうか。わたしは少しだけ疑った。


 「でもそれ以上に優しくて、暖かくて、私や周りを照らしてくれる。今の私が在るのも、全部アイツのお陰なの」


けれど、まるで夢を見ているような彼女の横顔に、わたしの疑念はすぐに消えた。普段の凛とした雰囲気も優しい雰囲気も失せて、一人の乙女が今わたしの隣に居る。


 「だから、ごめんなさい。たとえ火乃香ちゃんであっても、悠陽のことはは譲れない。アイツだけは誰だろうと渡せない。渡したくない」


打って変わった力強い言葉。表情は真剣そのもの。強く激しく荒々しい波のような想いが、わたしの中に染み込んでくる。


 「でも私は欲張りだから、出来れば火乃香ちゃんとも仲良くしたい。ずっと一人っ子だったから妹や姉妹にちょっと憧れてて」

「……火乃香も、ずっとお姉ちゃんが欲しかった」


ポツリ、わたしが答えた。泉希さんは微笑み返してくれた。悔しいはずなのに、苦しいはずなのに、何故か口角が上がってしまう。


 「ねえ、泉希さん」

「なに?」

「お義姉ねえちゃんって、呼んでもいい?」


少しだけ赤らむ顔でおずおずと覗き込むよう尋ねれば、泉希さんは「うーん」と天井を見上げた。


 「流石にそれは、まだ早いかな。だっていつか本当に義姉妹になる日まで、私達は恋敵ライバルだから」


清流のような爽やかさで、白い歯を見せ笑いかける泉希さんに、わたしもまた笑顔を取り戻した。


「そっか……じゃあ間をとって『泉希ちゃん』!」

「み、泉希?!」


思いも寄らなかったのか、泉希さんの笑顔が苦笑に変わった。けれど「ふむ」と息を一つ吐いて、少しだけ困った風に笑う。


 「そうね。私も『先生』って呼ばれるよりは、まだそっちの方が好きかな」

「じゃあ決まり! ねえ泉希ちゃん、ひとつお願いがあるんだけど」

「早速きたわね。なに?」

「火乃香の知らないお義兄ちゃんの話、もっと聞かせてほしい!」

「いいわよ。それじゃあ、まずは羽鐘さんがウチに来た時の話ね。アイツったら、本当にスケベでどうしようもなくて――」


そうしてわたしと泉希さんは、義兄が帰宅するまでずっと二人で語り明かした。


 もしも泉希さんが、本当にわたしのお義姉ちゃんになるとしたら……そんな事を、想いながら。

 



-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


薬剤師には「先生」と呼んで欲しい人と「名前」で呼んで欲しい人が居るわ。比較的後者が多くて、私も名前で呼んでほしい派ね。

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