第73話 女の子が笑顔で手を振る姿って、良いですよね

 「――スー、スー……」

「寝たわね、火乃香ほのかちゃん」

「ああ」


トイプードルのキキちゃんと一緒に、ベッドの上で可愛らしい寝息を立てる火乃香。その姿に俺と泉希みずきは笑顔を見合わせた。


 「一時はどうなることかと思ったけど、この様子なら大丈夫そうね。たぶん明日には熱も下がってると思うわ」

「ああ、泉希のお陰だよ。ありがとうな」


静かに深呼吸をする泉希は、緊張の糸が解けたように「ん~っ」と背筋を伸ばす。

  

 「けど、目を覚ましてもまだ様子が変だったら、やっぱり一度病院で診てもらうべきだと思う」

「あ、うん。そう、だな」


歯切れ悪く答えて視線を逸らす俺に、泉希はジトリと冷ややかに俺を睨む。

 というのも、泉希は『病院で一度診て貰った方がいいのでは』と何度も提案してくれたのだ。けれど俺はその度に「大丈夫だろ」と適当な答えしか返せなかった。

 なにせ俺は、アレの原因がたゆねさんの薬のせいだと分かっているのだから。下手に病院に行くことも躊躇ためらわれる。

 それを知らない泉希は風邪からくる高熱のせいだと考えていたようだ。実際インフルエンザで高熱が出た時などは、大人でも幻覚や幻聴に見舞われる事があるらしい。


 「それにしても、あの変わり様はおかしいわね。まるで別人だわ」

「それはアレだな。環境が大きく変わったストレスで、ちょっと気持ちがヤラれちゃったんだな」

「そんなストレス抱えてるなら、それはそれで心配なんだけど」

「……」


薬剤師らしいもっともな泉希の意見に、俺は口を真一文字に結んで押し黙る。

 

 「まあいいわ。外も暗くなってきたし、私はそろそろおいとまするわね」


何か言いたげな様子だったが、泉希は少しだけ疲れた様子で帰り支度を始めた。もう少しゆっくりするよう引き止めるも、泉希は「明日も仕事だから」と眉尻下げて微笑んだ。


 「それに、あんまり兄妹きょうだい水入らずの時間を邪魔しても悪いからね」

「じゃあ、せめて駅まで送るよ。火乃香も暫くは起きないだろうし」


財布と携帯電話だけを手に、俺は泉希と二人でアパートを抜け出し、最寄りの駅へと向かった。


「今日はありがとうな泉希。折角の休みだったのに申し訳ねぇ」

「いいわよ別に。用事も無かったし、火乃香ちゃんは同じ職場の仲間だしね。おかげで沢山喋れて仲良くもなれたから」

「それなんだけど、二人で何の話をしてたんだ」

「んー、ヒミツっ」


唇に人差し指を添え意味深に微笑む泉希は、足取り軽く駅の改札を潜った。

 そんな彼女に手を振れば、泉希もホームに向かいながら手を振り返してくれた。

 どんな話をしたか分からないけれど、火乃香との溝が埋まったのは何よりだ。

 俺も踵を返し、帰り道にコンビニに寄ってから家に戻ると、キキちゃんが出迎えに飛んできた。一緒に寝ていた火乃香も目を覚まして。


 「あ~、お義兄にいちゃん~」

「起きたのか火乃香」

「うん」

「体はどうだ。まだしんどいか?」

「ううん、もう全然平気。泉希ちゃんは?」

「さっき帰ったよ。明日も仕事だからな」

「そっか~」

「次に出勤したときは、泉希にちゃんと今日の御礼を言うんだぞ」

「うん」


淀みなく素直に頷いた火乃香に「良い子だ」と頭を撫でれば、「えへへ」と嬉しそうに


「何か飲むか」

「じゃあ、お水ちょうだい」

「あいよ」


頷く火乃香に、俺はコップにミネラルウォーターを注いで手渡した。


 「ありがとう」


コップを受け取った火乃香は、それを少しだけ口に含むと、何故か笑みを浮かべながらも悲哀の様相で力無く項垂うなだれた。


 「わたし、泉希ちゃんのことが嫌いだった。嫌いっていうより、好きじゃなかった。お義兄ちゃんのことを取られると思ったから。

 火乃香もお義兄ちゃんのことが大好き。でも泉希ちゃんが居たら、火乃香がお義兄ちゃんの一番にはなれないと思った」


息継ぎをするようにグイと一気に水を飲み干せば、火乃香は空のコップに視線を落とした。


 「泉希ちゃん、本当に綺麗な人だった。見た目の話じゃなくて、心って意味で。今日沢山お話して、それが分かった。泉希ちゃんと家族になれるなら、それも良いかなって思った」

「火乃香……」


まるで遠い過去の記憶を想起するかのような姿に、俺は義妹の名前を呟く以外に無かった。


「勘違いしないでね。火乃香がお義兄ちゃんのこと好きなのは本当だし、いつかお義兄ちゃんを火乃香の魅力でメロメロにしてやるから」


べっと小さな舌を出して、火乃香はイタズラっぽく笑ってみせた。

 そんな火乃香が可愛らしくて、愛おしくて、でもそれ以上に酷くやるせなくて、俺は無言のまま彼女を強く抱きしめる。

 そんな俺達の姿を目にして、キキちゃんが『自分も混ぜてよ』と盛大に尻尾を振って飛びついた。


 「あははっ、キキちゃんくすぐったーいっ」


尻尾を振り回し顔を舐めるキキちゃんを、火乃香は笑顔で迎え入れる。けれどその目に浮かぶ涙を俺は見逃さなかった。

 

 同じくして俺の胸に熱い何かが込みあげ、火乃香を抱きしめる腕に力が増した。


 この子の優しさを無駄にしちゃいけない。


 そう、思った。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


薬学部には動物の解剖実習があるの。動物好きな人にはとても酷なことだし、私自身も動物好きだから本当に辛かったわ。

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