第70話 どんな職場でも若い人ほどスラックスで年配の人ほどスカートだったりすること多くない?

 「――という訳で、火乃香ほのかには今日から事務員としてウチの仕事を手伝ってもらいまーす」


午前診と昼休憩を終えて間もなく。俺は薬局で泉希みずきとアイちゃんに火乃香を紹介した。


 「……よろしく御願いします」


照れ臭そうに声を小さく、薄桃色の白衣に身を包む火乃香は小さくお辞儀した。


 「これからよろしくね、火乃香ちゃん」

『宜しくお願い致します』


よほど緊張しているのか、火乃香は一向に真顔を崩さない。そんな彼女に対して、白衣姿の二人は笑顔と拍手で歓迎してくれた。


 あれから、数日が経った。


 意外にもギクシャクすることはなく、火乃香はむしろ憑き物が落ちたようにスッキリとした顔つきだ。少なくとも俺の目にはそう映っている。


 「新しいバイトを決めようと思う。今度は兄貴の言う通り、絶対に焦ったりしないで自分のやりたい仕事見つける」


そう言って、翌日の夕食に俺の好きな親子丼を出してくれたのが嬉しかった。

 だけど不安でもあった。

 もちろん火乃香の事は信じているし、きっと今度は良いバイト先を見つけてくることだろう。

 だけど心配なのも事実だ。火乃香は現役女子高生の中でも飛び抜けて可愛いから、また変な虫が寄り付いたりしないだろうか。


「火乃香。良ければウチで働かないか」


そんな不安から、俺は前振りもなく尋ねた。火乃香は驚いた顔を俺を見返すも、すぐに神妙な面持ちで上目遣いに俯いてしまう。


 「ウチって、兄貴の薬局みせで?」

「そう」

「でもわたし、薬剤師じゃない」

「分かってる。もちろん事務員としてだよ」

「高校生なのに?」

「年齢なんて関係ない」

「医療とか薬のことなんて何も知らない」

「誰だって最初はそうさ」

「でも……」


歯切れ悪く答える火乃香に「ウチで働くのは嫌か」と尋ねれば、「ちょっとだけ」と小さく返された。


「どうして嫌なんだ」

「だって、兄貴も居るんでしょ」

「そりゃ俺の店だからな」

「わたしのダメな所、兄貴に見られたくない」

「駄目な所って?」

「頭悪い所とか、常識ない所」


恥ずかしそうに視線を伏せながら答える火乃香に、俺は「そんなことか」と笑って応える。


「火乃香が無愛想なら俺なんてヤクザだよ。だからそんな俺が受付に立つより、火乃香が居てくれた方が助かるんだ」

「でも……」

「それに、お前が本当にダメなヤツなら俺もこんな風に誘ったりしないよ。火乃香なら出来ると思ってるから言ったんだ」


視線を下げる火乃香と反対に、俺はあっけらかんと笑い大袈裟に胸を張った。


 「そんなこと言って、兄貴わたしの仕事してる姿とか知らないじゃん」

「なにを言うかね。俺はこう見えて店長だぞ。人を見る目はそれなりにあるつもりだ」


自信満々と言ってみせるも、火乃香はやはり項垂れ目線を上げようとしない。それほど俺と同じ職場ははばかられるのだろうか。


「まあでも無理強いはしないから、ウチで働くのが本当にイヤなら言ってくれ」


というと、火乃香は慌てた様子で顔を上げで「そうじゃない!」と語気を強めた。

 かと思えばモゴモゴと口籠り、しばらくしてから漸くと上目に俺を見た。


 「……じゃあ、やる」


不安気ながらも決意した火乃香に、俺は笑顔で右手を差し出した。それに応えるよう火乃香も手を伸ばして握手を返す。


 翌日には入職に掛かる書類を作成し、社労士さんに連絡を入れた。泉希とアイちゃんにも火乃香を事務員として入職させることを伝えた。

 渋られるかとも思ったが、泉希は『火乃香ちゃんなら上手くやれるわ』と受け入れてくれた。

 アイちゃんも『朝日向あさひな店長の御意向に従います』と拒絶するような様子は無かった。


 そうして、いよいよ火乃香の初出社日となった。

 最初の2週間は研修期間とし、火乃香には昼の休診時間にだけ出勤してもらった。この時間帯なら患者様はほとんど来局されないから、新人教育にはピッタリなのだ。

 

 火乃香には患者様が御来局された時の挨拶から、コピー機の使い方、PCの入力方法など基本的な事から細かに説明していく。ヤル気の無い人や適性に欠く人は、割とこの時点で辞めていた。

 だけど火乃香は頑張ってくれた。どころか今までウチに居た事務員さんの誰よりも覚えが早く、一度聞いたことは忘れない頭の良さを披露してくれた。


 「兄貴が分かり易く教えてくれるから」


遠慮がちにながら、けれどどこか誇らしげな風に答える火乃香の横顔は可愛かった。


 「そういえば兄貴。この部分なんだけど」

「ああ、そこはこの入力をするんだ」

「わかった。ありがと」

「それにしても流石だな」

「なにが」

「覚えが早いし、動きもキビキビしてる」

「そうかな」

「そうだよ。俺なんて最近はどうにも物覚えが悪くなってさ。歳には勝てん。なあ、泉希」


調剤室に居た泉希に話を振ると、ジトリと目を細めて「一緒にしないでよね」と睨み返した。


 「けど火乃香ちゃんが凄いのは本当だわ。こんなに早く仕事を覚えられるなんて、私も脱帽よ」


調剤室から出て俺の隣に立った泉希は、にこりと笑ってそう言った。けれど火乃香は何も答えず、プイとソッポを向いてしまう。

 最初は緊張しているだけかと思った。だけどアイちゃんとは普通に会話をしているし、患者様の対応も完璧だ。単に人見知りという訳では無いらしい。

 たぶん泉希に対してだけだ。

 だけどそんな火乃香の態度にいきどおる事もなく、泉希は『まだ緊張してるのよ』と苦笑いを浮かべてフォローしてくれた。けど、明らかに無理をしている様子だった。


 俺は頭を抱えた。


 無理に仲良くする必要は無いが、どんな仕事だろうと最低限のコミュニケーションは不可欠だ。それが分からない火乃香でも無いだろうに。

 せめて泉希を避けている理由だけでも聞きたい。

 とはいえどう切り出せば良いか分からず、ずるずると問題を先送りにしていた。

 そんな矢先のことだった。


 オフクロから、入院の知らせを受けた。




-------【TIPS:泉希の服薬指導メモ】-------


調剤薬局の事務員になるのに資格や経験は不問よ。だけどどこの薬局も比較的年配の女性が多い印象ね。廃車や病院は若い人も多いけれど。

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